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「自分を信じる」は古臭い精神論なのか?

プロ格闘ゲーマーの梅原大吾が、以前何かの配信で格ゲーにおける練習のことについて話していた。

まだアマチュアだったころ(プロゲーマーというものが誕生したのが比較的最近のことなので、キャリアの大半はアマチュアなのだが)、格ゲーのテクニックで、彼の常識では不可能だと思われていることをやっている人がいたらしい。彼は驚き、「それってどうやって習得するんですか?」と質問したのだそうだ。

すると、その人は「自分を信じて練習するだけだよ」みたいな、非常に抽象的な回答を返してきて、困惑したのだという。

そこで言われたとおり自分を信じて練習を重ねていったら、いつの間にかそれができるようになったらしい。はじめは不可能に思えたけれど、反復練習を重ねるうちにできるようになったらしいのだ。

初心者はだいたい上級者のやっていることを見て、「自分にはそれができるとは思えない。きっと、それにはコツがあるはずだ」と考える。しかし、実際には万人が使えるコツなんてものはなく、地道に練習して「自分を成長させる」ことが必要だったりする。

「成長する」ことは成長前にはなかなか想像しにくい。いまの自分の能力を基準にして、できることはできる、できないことはできないと思いがちだ。しかし、能力を伸ばして「できないことをできるようにする」のが本命だということだ。

こういったことは誰にでも経験はあるのではないかと思う。

精神論的な話ではあるが、「自分を信じる」ということはつまり、「自信」ということなんだろうな、と思った。よくできている言葉だ。

よく「成功体験が自信になる」というけれど、成功体験によって「自分がなんか信じられるような気がする」ということなのだろう。しかし本質は、別に根拠などなくても「自分を信じる」というシンプルなこと。

ちょっとやっただだけですぐに成長を実感できるものは継続しやすい。やればやった分だけ成果が見えるからだ。しかし、世の中の大半のことは、すぐには成果が見えないものではないか、と思う。

好例は読書だろう。「どういう本を読めばいいでしょうか?」という質問をする人がいるが、「いい本を1・2冊読めばたちどころに知性が身につく」と考えているらしい。でも、たった数冊読んだだけでたちどころに身につくものなんてほとんどないと思う。

僕は10年ちょいで1300冊ほど本を読んだけれど、それぐらい読まないといまの自分にはならなかったと思う。読書においては「知性を身に着けたい」と思うことはないけれど、時間をかけていろいろ読んできたので、多少は賢くなれたような気がする。

「自分を信じる」というのは古臭い精神論みたいだけれど、実際には結構役に立つような気はする。「成長が感じられないけど、成長してるんだろうか?」とか、「勝てる気がしないけれど、意味があるんだろうか?」と思っても、とにかく自分を信じて、やり続ける。

そのうち、何がしかの実を結ぶときがくるかもしれない。むしろ簡単に成果を感じられるもののほうが世の中少ないような気さえする。暗中模索する時期というのは絶対あるものなので、とにかく自分を信じて、やっていくことが大事、と。

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