作曲がひと段落しました
とある作曲の依頼をされていたのだが、やっと完成し、納品することができた。まだ細かい修正などをする可能性はあるが、いったんは作業がひと段落したということで安心している。
コメディアスという劇団の方からの依頼だった。
さとださんという漫画家の作品を、VR演劇(VR空間で行う演劇のジャンル)に仕立てているのだが、その 劇伴を依頼されたのである。劇伴というのは、映画やアニメなどで流れているBGMのことだ。
今回は演劇なので、場面につけるというよりは、シーンごとのつなぎの音楽を作って欲しい、という依頼だった。
もともと、僕はさとださんの作品に個人で音楽をつける動画を何作か制作しており、それが目に留まって今回のお話に至ったらしい。なんにせよありがたいことである。
一番作曲に熱中していたのは10年以上も前のことだが、当時は報酬などもなく、無償で動画サイトにアップしていただけだったのだが、最近は有償で依頼がくるようになった。簡単にいうとバイトのようなものだが、趣味の延長のようなものである。しかし、依頼をこなすというのは、責任が生じるので、かなり精神的にも負荷が大きい。
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当たり前の話だが、自分で好き勝手にものを作るのと、他人から依頼されてものを作るというのは、質的にほとんど全く違う行為である。両者の違いについて、今回つくづく感じたのは以下の2点だ。
①締め切りがある。ダラダラ作ることは許されない。
②完成は自分で決められない。依頼者が決める。
①はもう言わずもがなである。依頼された時点で、締め切りが存在するので、その日までに作品を完成させなければならない。自分で勝手にやっている場合は、自分のペースで作っていけばよいので問題はない。ただ、難しいのは、自分の締め切りもあるのだが、どういうシーンにつける音楽なのか? のような要素は最初から明確に固まっているわけではないので、「じゃあこういうのでお願いします」というのが用意されるまでもそれなりに時間がかかる。
それでいて、自分の作業の締め切りもあるので、時間的にタイトなのは避けられない、というわけだ。もちろん、自分の後にも工程があるため、その意味でも早く仕上げる必要はある。もっとも、これは仕事ならだいたいこんな感じなので、作曲だから、というわけではない。
②については、趣味と仕事で明確に異なる部分だ。自分で作品をつくる場合は、OKを出すのはもちろん自分なのだが、人から依頼されてものを作る場合、OKを出すのは依頼者になる。
自分がイメージしたものと相手がイメージしたものがどんぴしゃで合えば話は早いのだが、なかなかそんなわけにはゆかない。今回の自分のケースでいうと、半分ぐらいは自分が出したイメージと一致したのだが、もう半分は違っていた。
しかし、それは自分が意図を取り違えていた部分もあるので、仕方のない部分でもある。なんとか最終的に「これだよね」という意見の一致を見たので、一件落着、というわけだ。
音楽というのは、とりわけ抽象的な芸術なので、それがまた難しさを際立たせているのかもしれない。イメージと違うと言われたとき、相手も明確なイメージを持っているわけではないし、あってもそれを表現できない。
だから、「こういうのはどうですか? あるいはこういうのは?」と、こちらからいろんなパターンを提案し、「うーん、じゃあこっちで」というのを繰り返す。だから、かなり手間もかかる。
完成させたのは6曲だが、相手に素案として提出していないものも含めたら、たぶん100曲ぐらいは書いたのではないだろうか。
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なんにせよ、いったんは完成を見たので、しばらくはゆっくりできそうなのでなによりだ。いったん、書きかけの小説を完成させることにしようか……。
以前は、完成させた小説は文学新人賞に応募していたのだが、もうそろそろ辞めようかなと思っている。もし、万が一、賞を受賞したとしても、2作、3作と出版社から依頼されて、それをこなしていくのが難しいためだ。
ものを依頼されたときの責任と、自分ひとりで勝手につくることができる気楽さを天秤にかけると、そういう選択肢もありかな、と思う。
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