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すべてのシーンは「取り引き」だ

ちょっと前に、奥さんと「キャスト・アウェイ」という映画を見た。トム・ハンクスが主演の、いわゆる「無人島もの」である。

国際クーリエ会社のFedExの社員である主人公が、事故に遭い、無人島での暮らしを余儀なくされる。実在の会社が出てくるので実話っぽく仕立てあげられてはいるが、本作は完全にフィクションらしい。

それはまあさておき。
 
無人島ものなので、無人島に到達する前のシーンを除けば、キャラクターはトム・ハンクスしか登場しない。だから、この映画はほとんど彼の「ひとり芝居」だといってもいい。

ひとり芝居が得意な俳優はもちろん大勢いるが、トム・ハンクスはそのうちの一人だと思う。シリアスなシーンでも、動きがいちいちコミカルで面白い。

偶然、いま読んでいる本が「物語の法則」という本だったので、その内容に絡めて見てしまった。

その本の中に書かれていたことで、けっこう興味深い一節があった。「物語のすべてのシーンは、取引だ」というのだ。

取引というのは、なにも金銭的なものだけではなくて、心理的な駆け引きの場合も含むのだが、たとえば映画のシーンというのは、何かを求める人と、それに対峙する人の取引の場面を切り取ったものである、というのである。
 
この「キャスト・アウェイ」という映画は、無人島モノなので、無人島のシーンでは、トム・ハンクス以外の登場人物はいない。しかし、登場人物がひとりだけの無人島モノであっても、実際は取引の連続なのだ、ということがわかる。
 
主人公が島から脱出するために、ボートで沖に出ると、高波が襲ってくる。波が強いので、なかなか前に進めない。

しかし、それでも必死にオールを漕いで前進していくと、さらに高い波が主人公を襲い、ボートもろとも海底に叩きつけられる。その結果、ボートは穴が空いて破損してしまい、主人公はサンゴ礁に足を切られ、大怪我を負ってしまう。
 
人間として登場しているのは主人公ひとりだけだが、これは「自然との取引」の場面だろう。主人公は、島からの脱出を欲するが、海によってそれは阻まれる。

そして、その取引が失敗した代償として、ボートの破損と、怪我という対価を払う。ここで気をつけなければならないのは、何かに挑戦するということは、何かを失うリスクがあるということで、多くの場合、それは不可逆的だ、ということだろう。

穴があいたボートは二度戻ってはこない。怪我のほうは、幸いにも、自己治癒能力があるので、なんとかなるのだが、損失であることに変わりはない。
 

「何かを得るには、何かを差し出さなければならない」という言葉があるけど、まさにこの映画を見ていると実感した。しかし、取引によって失うことはあっても、その手痛い「経験」から、学ぶことはあるのだ。

そして、そういう学びからしか、真に生きた知恵は手に入らない、ということも、同時に考えさせられることになった。

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