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戯曲「ウォーターフロント」 05/06

◆5場 湖畔にて

・登場人物
記憶の人(その土地を覚えている)
川が湖になった。中央に浮かぶ湖畔にて。
以下、記憶の人の言葉。

この湖の前は、川と街がありました。川が流れる前は、そこにたくさんの家が建っていました。建てられる前は、たくさんの自然で満ちていました。その前にも川が流れていました。そして元をたどれば、ここはほとんど海でした。
消え去った大地について想像します。忘れ去られた彼ら彼女らについて想像します。一箇所に留まることしか許されなかったあなた。もしも私が一人一人のそばにいられたら、足かせが取れた彼らの手をそっと引きながら、東西南北津々浦々、様々な色彩に満ちた世界を一緒に見に行こう。Suicaに入った残高など気にせず、自動改札を無視して、できるだけ早く走ろう。朝は特製の小麦で焼いたパンを食べて、お昼はカンガルーの肉、夜は綺麗におめかしして高級フレンチはいかがですか。ロウソクの炎で照らされたあなたの頬の赤みに、私はうっとりして、緊張して味もわからないかもしれません。今まできっと、あなたは私が訪れることに期待してないし、同時に拒んでもいなかったと思います。けれど、誰とも待ち合わせしていない私を、誰とも繋がらなかった私を、ただ、そのままひとりでいさせてくれた事に、感謝しているんです。ありがとう。受け入れてくれて、本当にありがとう。そして、泳ぐことが、自分の力で空を飛べる唯一の方法だと教えてくれた貴女。貴女がいた街が、私の故郷です。ずっと言いたかったんだけど、遅れてごめんね。
春には一緒に、命が満ち満ちた陽気の中でピクニックに行って、夏には煌めく星でいっぱいの丘に行って、夜がこんなに長かったということを新鮮に思い出しながら語り明かそう。秋は鍛え抜かれた肉体がぶつかり合うスポーツを見ながら、その試合結果に一喜一憂して、冬は着飾った街のネオンに揺られながら、寒空の中に浮かぶ温もりに身体を預けよう。その途中途中で出会う人々に、私は貴女を紹介して回るのです。彼らのほとんどは貴女のことを覚えていません。でも一度は、貴女の懐に抱かれたことのある人々です。もしかしたら、懐かしいメロディに触れた時のように、ふっと、思い出してくれる人もいるかもしれません。そうした旧友たちを連れ立って、新しく街を作りましょう。ニュータウンを作りましょう。手と手を取り合い、指を握り締め、大きな大きな輪を作って、その中心に家を立てましょう。これは私たちの家です。誰が住んでも良いし、引っ越しても構いません。けれど、季節が変わっても、世界が変わっても、君が変わっても、ここに帰ろうと、最後にそう思える家にしよう。ありふれた夕飯の匂いに揺さぶられる、この心を大事にして、ここが好きだと、まっすぐ言葉に出して言いたい。
私に気が付いて、家の窓から手を振る貴女。私は思い切り振り返して、大きな声で、優しい言葉をかけてあげたい。
いま、新しく生まれた貴女も、時間が来たらこの街に遊びに来てください。そしていつか、どこか遠くに遊びにいきましょう。いつか一緒に、一緒に。


(続)


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