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戯曲「ウォーターフロント」 03/06

◆3場 山中にて 【冬】

・登場人物
栞(今となっては冷え性)
初(占いアプリに課金した)
早朝だが暗闇。曇天である。

栞 寒すぎませんか。寒すぎますよね。
初 暑くなったり寒くなったり。
栞 …今日雨が降るか知ってます? テレビで天気予報見ましたか?
初 朝はテレビを見ない主義なんです。
栞 ああ、持ってはいるんですね。
初 テレビは好きです。勝手に番組が流れるので、ネットよりも能動的になる必要がありませんから。
栞 それじゃあラジオでも良いのではないですか?
初 そうですね。実はラジオの方が好きです。天気予報もそっちで聞きました。
栞 それならそうと最初から言ってください。
初 …ごめんなさい。
栞 それで、なんていってました。
初 都会の方の天気は雨、田舎の方の天気は曇りのち雨です。
栞 やっぱり雨が降るんですね。
初 予感はしていたんですね。
栞 今朝、雨の夢を見たんです。
初 ええ、なにそれ。
栞 その夢を見たら、起きた日は何故か雨が降るんです。夢、といっても、実際にあったことなんですけど。思い出してるというか。
初 あなたの夢は当たりますからね。怖いくらい。ちょっとドキドキするけど、聞いちゃお。どんな夢なんですか。
栞 おもらしの夢です。
初 それはそれは。

初、くすくす笑う。

栞 笑わないで聞いて。お願い。笑わないで聞いて。その時の私は10歳になったばかりで、学校の遠足に行きました。いつもは大きな公園でピクニックだったんですけど、その時は趣向を変えて登山することになりました。もちろん子供が登るので、初心者用の山でした。標高もかなり小さかったと思います。私はそれが億劫でした。山登り自体にではなく、一緒の班になった友達の百合ちゃんと一緒になるのが嫌でした。彼女は歯を矯正している最中でした。口を開いたら、取り付けられたその器具が見えるのです。
笑顔が可愛い子でした。いつもおしゃれで、ひとつひとつの所作が綺麗で、そんなに仲良くなかったけれど、私は一方的に好きでした。汚い私には彼女が不相応だと思っていから、声をかけることもあまりなくて。男子からも人気があったんじゃないかな。

間。

栞 ある日、そんな百合ちゃんが歯にあんな醜いものをつけきて…彼女が笑うたびに背筋が凍るようでした。ショックでした。そんなもの見たくなかった。家に帰って母に泣きながら相談したけれど、真面目に取り合ってもらえませんでした。美しいものは、徹底的に美しくあって欲しい。美しいものの中に、汚いものがあってはいけないと、そう思いました。
だから、山を登っている途中、百合ちゃんのいる班から抜けたんです。列の最後を歩きながら、一歩一歩、その歩みをゆったりと感じていると、やがて前の子の背中が見えなくなりました。

栞、後ずさりしている。

栞 あっという間に迷いました。すぐに自分が来た道も分からなくなって、私はただただ歩き続けました。雨が降ってきました。手も足も、泥でぐちゃぐちゃになっていきます。とても寒い。もちろん不安だったけれど、なぜか不思議と落ち着いていました。
やがて川に出ました。小さい山といっても、市内に流れるものと比べて少し流れが荒いものです。その時、川向こうに誰かが立っているのが見えました。雨なのでよく見えませんでしたが、人がいるのは分かりました。そして、こちらに手を振ってきました。

間。

栞 その時、私以外、誰もいないはずなのに、これは私宛てではないのだと、直感でそう思いました。

間。

栞 彼が立ち去ろうとします。私は追いかけようと川の中に入りました。当時の私の身長からしたら、少し深いものでした。ざぶざぶ、お尻くらいまで水に浸かったその時、私は、ふっと、おもらしをしてしまいました。冷たさの刺激で、ふっと、気が緩んだんだと思います。止める意思もなく、サーっと、全身の力が抜けていきました。男子と、塩素の匂いのことを思い出しました。

栞、体内にある水の流れを感じている。

栞 私のおしっこは川の水と一緒に下流に流れていきます。恐らく私の住む市内を通過し、そのまま流れに流れて、海へと続き、ゆくゆくは蒸発して雨になるんでしょう。
そう想像して、私はひどく感動していました。その時初めて世界と繋がった気がしたんです。一周したんです。これから先、雨がふると、私のおしっこが混ざっているのかなあと、綺麗と汚いで分ける必要がなくて、みんな丸ごと平等に汚いなあと思ったら…嬉しかったんです、とても。

街に雨が振り始める。

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