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話してはいけない(前編)

東京都 Aさんから聞いた話。

Aさんは30代の男性会社員で、趣味で怪談を収集していた。収集した怪談を誰かに話しては、怖がっている様子を見るのが好きだった。

ある日の深夜のこと、Aさんは行きつけのバーで、常連客から「これまでにない」ほどの怪談を仕入れた。本当におぞましい内容だそうで、Aさんは心から震え上がった。この話は絶対にウケる、誰かに話したいとすぐに思った。しかし、その常連客が言うには、この話は「誰かに話してはいけない」のだそうだ。呪いやそういう類のものは信じていないと前置きをしつつも、理由はわからないが、話すことで自分や周囲になにかしらの影響があるのだという。実際、話を聞いた直後にカウンター内のグラスが落ちて割れ、常連客が「ほらね」と言いたげにAさんに目線を送った。

そんなことがあったにも関わらず、Aさんは誰かにその怪談を話したくてたまらなくなってしまった。バーを出てすぐに、Aさんは妻に電話をした。おもしろい話があるから、帰ってから聞かせたいと伝えると、せっかくだからということで、お酒を飲みながらその話をすることになった。二人とも、怪談が好きだった。

深夜の1時か2時くらいだっただろうか。Aさんが帰宅すると、リビングのテーブルに缶ビールと、どこから出してきたのか誕生日ケーキに挿すための細いロウソクが準備してあった。Aさんは着替えを済ませたあと、リビングの照明を消し、椅子に腰を下ろし、ロウソクに火をともしてから怪談をし始めた。

怪談の最中、何度か家鳴りがあり、「ほら、そこまで霊が来ているんだよ」と冗談を交えたり、驚かせるような演技をしたりして、数分かかってオチを話し終えた。妻は、「夜中にトイレに行けなくなった」など文句を言い、Aさんにとって、それはそれは好ましい反応をしてくれた。なんとも言えぬ達成感を感じながら、Aさんは椅子から立ち上がり、明かりを点け、リビングから続く廊下を通り、トイレに入った。

用を足していると、「ゴン」という衝突音がトイレに響いた。どうやら、その音の発生源はリビングのようだった。妻が膝をテーブルに打ち付けたのだろうか、こんな夜中に大きな音を立てて迷惑なやつだと思ったが、頭の隅に小さな不安が生まれた。なにかしらの影響がある–先ほど常連客から聞いたセリフを思い出す。Aさんはトイレから出て、手も洗わずにリビングの戸を空けた。

真っ先に目に入ったのは、頭をテーブルの天板にべたりとつけて、突っ伏している妻の姿だった。ビールを飲んでいたし、眠くなって寝てしまったのだろうか。部屋を見回しても異常はなさそうだ。

「おーい、どうしたの。」

Aさんは、突っ伏している妻に声を掛ける。息はしているようだが反応がない。数回揺さぶった後、妻はぬっと顔を上げて、真正面を見据えながら、ぼそりと低い声でなにか呟いた。聞こえなかったので、Aさんは聞き返す。

すると、妻はテーブルに置かれた手を少し持ち上げて、うわごとを言いながら、ゆっくりと手のひらで叩き始めた。バン、バン、と徐々に大きく、徐々に短い間隔で叩いていく。冷や汗が出るほどの大きな音が、部屋中に鳴り響いた。妻の発する声も次第に大きくなっていき、言葉がはっきりとわかるようになった。野太い声で、こう繰り返していた。

「やめろ、やめろ、やめろ」

異様な妻の姿に、Aさんの心臓はバクバクと危険を知らせていた。熱いような冷たいような感触が、背筋に走る。同時に「あの話」のせいだ、お前のせいだと脳が伝えてくる。

ともかく、妻を止めなければと、Aさんは奥歯を噛み締めて、妻の手を取り声をかけ続けた。その数秒後、ふっと妻の力が抜けたように感じた。頭をだらりと傾げ、先ほどまで狂ったようにテーブルを叩いていた手はぶらりと垂れ下がった。唐突に訪れた静寂の中で、Aさんの呼吸音だけが聞こえる。

一瞬、妻の体がびくりと震えた。うーんと唸りながら、頭を上げ、妻は眠そうに目をこすった。

「あれ、ごめん。私、先に寝ちゃってたみたい。」
「寝てた...?さっきのこと、覚えてないのか?」
「さっきのことって?それより電話で話してた怪談、話してよ。」

ちょっと待てと、Aさんが妻に先ほどの経緯を伝えると、まったく記憶がないというばかりか、そんなのは作り話だ、変なことを言うなと一蹴されてしまった。つい先ほどのおぞましい体験は、本当にあったのだろうか、もしかしたら自分の方こそ夢を見ていたのではないだろうかと、自信がなくなっていった。Aさん夫妻は、さっき起こったことはなかったものとして、そのときは処理をしたのだそうだ。この世には話してはならないものもあるのかもしれない、という考えが、恐怖と共にAさんの脳に刻まれた日だった。

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