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娯楽企業の源流と哲学「任天堂“驚き”を生む方程式」

読んだのは2015年。当時任天堂の代表だった岩田聡さんが逝去されたのがキッカケでした。

1995年生まれの自分にとって任天堂は常に身近な会社で、幼少期にはゲームボーイ、ゲームキューブ、DS、Wiiには本当によくお世話になってました。もちろんポケモン、ゼルダ、マリオ、大乱闘スマブラにも。別に特段ゲーマーだったわけではないですが、ひと通りのゲームは遊んでました。中高時代はソニーのPSPに浮気してた時もあったけど。笑

中学時代に海外に住んでいた間は、DSやWiiのゲームのおかげで外国人の友達と仲良くなれたりしたので、今振り返ると結構人生への影響は大きかった気もします。任天堂のゲームって海外でもこんなに遊ばれてるんだなーと、子供ながら日本企業としての任天堂を誇らしく思っていた記憶もあります。

そんな感じでプチ任天堂ファンだった背景もあって、岩田聡さんが逝去された時、なんとなく任天堂の歴史について興味が湧き手にとってみた感じです。

内容はというと、DSやWiiの誕生秘話、祖業の花札屋からゲーム企業になるまでの軌跡、宿敵ソニーとの攻防、宮本茂さんや横井軍平さんらレジェンドたちの逸話、培われてきた哲学などなど面白いものばかりで、あっというまに読み終えてしまった記憶。自分がお世話になってきた会社の歴史とその裏側を知れるのは面白いです。

※ちなみに本書は2009年発売なのでNintendo Switch発売の遥か前に書かれたものです。

振り返りつつ、本書より印象に残った箇所を抜粋・コメントしておこうと思います。

田が宮本、竹田の2人と会議をしていた時のこと。 「性能を追わない」「お母さんに嫌われない」というところまで議論が辿り着くと、岩田は突然、「少し待っていてください」と社長室へ行き、自分のDVDケースを持って戻って来た。よくある縦長のパッケージ。それを2枚、3枚と重ねて言う。 「次世代機は、DVDケースが2、3枚くらいの容積にしましょうよ」  どのメーカーの据え置き型ゲーム機も、世代交代に連れて性能アップを誇示するかのように大きくなっている。それを、最初のゲーム機、ファミコンよりも小さくしようと言うのだ。  お母さん至上主義の立場からすれば、いいことずくめだと岩田は考えた。

「重要なのは次世代の技術ではなく次世代のゲーム体験であり、パワーが大切なのではない。」

かくして「振り回す」「テレビに向けて場所を指す」といった、かつてない直感的な操作方法を持つゲーム機、Wiiが誕生する。  これなら、ゲームをやらない中高年でも違和感なく触ることができる。ゲーム機史上、初めてコントローラーを「リモコン」と呼ぶことにしたのは、岩田のこだわりだ。

ゲームはそれを遊ぶ子供の母親から嫌われる存在だったが、Wiiはその母親からも好かれる存在になるよう設計された。「リモコン」という呼称まで含めて天才すぎる…

「私の名刺には、社長と書いてありますが……」。次に頭を指しながら「頭の中はゲーム開発者です。でも……」。今度は胸に手を当てながら言う。「心はゲーマー(ゲームファン)です」。  岩田聡という人物の本質を見事に表現した自己紹介は、観客の心を一瞬にして掴んだ。

岩田さんかっこよすぎる。

宮本は、もともと決まっていた工事現場という舞台設定から作業服のキャラクターを想起し、粗いドット絵でもわかりやすいという理由でヒゲをつけたキャラクターを描いて、単に「おっさん」と呼んでいた。米国法人の社員に見せたところ、マリオという同僚に似ていると話題になり、そう命名された経緯がある。

マリオ、爆誕。

宮本が開発現場の第一線を離れ、プロジェクト全体を統括するプロデューサーという立場に徹するようになってから、宮本の「ちゃぶ台返し」は任天堂の社内にすっかりと定着してしまった。海外法人でも「Return tea table」として広く知られているという。

面白いゲーム、お客さんに満足してもらうゲームを作るためなら、柔軟に、臨機応変に対処するのが宮本流。ちゃぶ台返しも、ルールの逸脱も、他のプロジェクトチームからネタと人を引っ張るという“〝 裏技”〟 も何でもあり。

Return tea table。

「任天堂という会社は、昔からゲームという事業ドメイン以外に対しては極めて禁欲的。余計なことはしない会社なんです。Wiiフィットが普及したからといって、自らがデータを収集して健康管理のビジネスに手を出そうなんてことは、絶対に考えられない」 スクウェア・エニックスの社長和田洋一は、こう話す。

「だって、私たちは、娯楽の会社ですから」  ゲーム人口拡大という旗印のもと、ひたすらゲームの復興を願い、結果として事業領域が拡大しても、決して軸足を娯楽屋から外さず、自らは黒子に回る。

自社は得意分野であるビデオゲームというコアコンピタンス(競争力の源泉)に集中し、コア以外の部分はよその力を借りる。  ゲームの領域でもゲーム機の製造工程すらコア以外と見なす。  任天堂はファミコン時代から、ハードの製造を外部に委託する“〝 ファブレス”〟 企業。その分、ゲーム機本体の研究開発や、ソフトの開発にリソースを振り向けることができ、強みを発揮している。

「独創的で柔軟であること。これはある意味、任天堂の社是ですから。文書として伝わってないだけで、山内時代から、たぶん任天堂がずっと守っていくべきこと。それから、人に喜ばれることが好き。言い換えるとサービス精神ですかね。うん。それから知的好奇心があること」

娯楽にフォーカス。独創的で柔軟。

「危機感」「娯楽」「驚き」「喜び」「堅牢」「枯れた技術」「水平思考」……。  岩田や宮本が大切にし、「ゲームの任天堂」の復活を呼んだこれらのキーワードは、すべて、横井の生んだ商品や横井の哲学に通ずる。  そして、岩田や宮本は、結果として横井の遺志を継ぐように、脳トレやWiiフィットで娯楽屋の強さを他分野へ応用し、大きな成功を収めて見せた。

任天堂のゲームの源流は「枯れた技術の水平思考」で知られゲームボーイの生みの親でもある横井軍平さんだった。

山内は、わずか 12 年で売上高を約 27 倍に、営業利益を約 37 倍に増やしたことになる。

2008年 10 月、任天堂の経営方針説明会の質疑応答で、岩田はこんなエピソードを披露した。 「今日ここに並んでいる6人は山内溥という人の教え子です。山内溥という人は、何にこだわっていたか。『娯楽はよそと同じが一番アカン』ということで、とにかく何を作って持っていっても、『それはよそのとどう違うんだ』と聞かれるわけです。『いや、違わないけど、ちょっといいんです』というのは一番ダメな答えで、それではものすごく怒られる。それがいかに娯楽にとって愚かなことかということを、徹底していたんですね。

娯楽に徹せよ。独創的であれ。必需品と区別しろ。身の丈を知れ……。山内の教えが、任天堂の企業文化を醸成し、山内から岩田らへ言葉が継がれている。

山内は1960年代半ばにかけて、「ディズニーふりかけ」「ポパイラーメン」などを次々と開発、その数年後には、簡易複写機や電卓などを独自開発し、事務機器業界にも参入した。  経営の多角化と言うよりは、迷走と言った方が正しい。

タクシー、食品、複写機……。今では考えられないような多角経営の時代が、任天堂にはあった。負債を抱え、倒産しそうな憂き目に遭ったこともある。  そのすべての危機を乗り越える中で、山内の嗅覚は研ぎ澄まされ、娯楽屋として生き抜く覚悟が固まった。

任天堂に入社してから社長を辞めるまで半世紀以上。幾多の苦難をかいくぐった山内の価値観は、ソフト体質と運という言葉に収斂され、任天堂に定着した。

先代の山内さんの、多角化せず娯楽事業に徹すること、ソフトに注力する、という思想が今の任天堂の礎。

そんな新手のゲームプラットフォームが、急速に台頭している。米アップルの多機能携帯電話iPhoneと、iPhoneから携帯電話機能だけを省いた《iPod Touch》だ。  その普及台数は、2008年末時点で、DSの3分の1に迫る約3000万台。全世界に散らばるこれらすべての端末で、1万種類以上ものゲームソフトを楽しむことができる。  携帯型ゲーム機の戦いは、新たなフェーズに突入した。

岩田がこれからやろうとしている「クリエイター人口拡大戦略」。皮肉にも、これをアップルが先に、しかも徹底して実践している。日本法人でiPodのプロダクトマネージャーを務める一井良夫は言う。 「Mac1台とiPhoneかiPod Touchをご用意いただき、それに年間1万800円のメンバーシップ料をお支払いいただければ、どなたでも世界中のiPhoneやiPod Touch向けのソフト市場に参入できます」  アップストアでは、プロもアマもない。

ゲーム端末としてのiPhoneの台頭が今後、DS本体とソフトの売れ行きに、どのような影響を及ぼすのか、岩田は気が気ではないはずだ。

今では考えられないけど、まだDSよりもiPhoneの普及台数が少なかった時代。スマートフォン黎明期。
この後、Wii人気に賞味期限がきてiPhoneの台頭もあり、任天堂の株価は大暴落していく。

久しく、モノ作り大国として崇められ、ハードに偏重していた日本経済界において、モノを作りながらソフト至上主義を唱える任天堂は、希有な存在と言える。その潜在的な強さが世界市場の中で明確に顕在化するまで、時間はかかった。が、今まさに時を得た。  再び自らを乗り越えるアイデアを、消費者の笑顔を創出できるのか。驚きを生む独自の方程式を培い、育んできた任天堂の地力が試されている。

2008年以降しばらく低迷期が続きますが、その後は誰もがご存じの通り2017年発売のNintendo Switchが世界的な爆裂大ヒット。本書が発売された2009年と比較すると2024年2月現在で株価は3倍以上に。

やっぱかっこよすぎるて、任天堂…

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