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日本再生のための前向きな提言「シン・ニホン」

話題ですよね。ミーハーなので読んでみました。

言わずと知れた名著『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』の著者で、ヤフーCSOの安宅和人さんの新著です。数年前、社会人になった頃くらいに「イシューからはじめよ」を読んで衝撃を受けたので、今作もと思い手に取りました。

「イシューからはじめよ」が課題解決と生産性の本質について書かれた実践的な本だった一方で、「シン・ニホン」はもっとマクロな観点から日本の現状を分析して未来に向けた提言をする、スケールが大きく重量感のある本でした。日本の批判で終わらずにポジティブな提言が続くので、なんか希望が持てる、そんな本でした。

どうやら、安宅さんが今までTEDやいろんな講演会で話をしてきた内容をまとめて整理したのが本書らしいので、TEDの動画PDF資料を見ると本書の内容の大枠がわかるかも。

にしても、こんな膨大な量のファクトを収集して、わかりやすいデータとして可視化して、解くべき課題を特定して、建設的な議論をした上で具体的な提言をする、なんてのができるなんて本当に凄すぎる。まさに「イシューからはじめよ」で書かれてたイシューからはじめる課題解決の過程が記されてる本でもあります。

本書から抜粋・コメントしておきます。

データ×AIの世界ではすべての変化が指数関数的(exponential) に起きる。5年、 10 年で数倍という変化ではなく、一桁二桁変わるということだ。  結果、現在の不可能なことの多くは5年後、 10 年後には可能になる。冒頭に示したとおり、2007年には予測できたとはいえ遥か遠くに見えた囲碁のAIは、わずか9年でトッププロ9段の誰も勝てない状況になった(2016年)。深層学習が動くようになった2012年から数えればわずか4年だ。囲碁が生まれてから約2000年。この衝撃の大きさがわかるだろう。

実際、自分の母親と話したりすると「ポケットに電話を入れて持ち歩くなんて映画の世界だと思ってたのに、今なんてパソコン持ち歩けるもんね〜」なんて言ってたりする。

先にAIとは計算機×アルゴリズム×データであると述べた。これはシンプルだがなかなか神妙な式で、単にアルゴリズム技術を持っている、あるいは単に膨大なデータを持っているだけではAIを作れないことを示している。江戸時代の呉服店が「あそこのお嬢さんがそろそろ婿を取るらしい」という話を聞いてきて提案をそろそろと行っていたように、データは持っている人と必要な人、あるいは持っている人同士は、つながらなければ価値を生まないことが多い。これらを禁ずることは、さまざまなデータを自社で持ち、それらを1社でネットワーク化してつなぎ得るメガプラットフォーマー(GAFAとBATJ など) が圧倒的に力を握る社会となることを強く意味している。

わかりやすい。

2016年に孫泰蔵さんから見せてもらった二枚の写真を共有しておきたい。一枚は 20 世紀になる直前、1900年のニューヨーク。もう一枚はその 13 年後、1913年の同市の風景だ(次の資料1‐6、1‐7)。馬車しか走っていなかった道が、すべてT型フォードに変わっている。ちなみにT型フォードの発売は1908年。わずか5年でこれほどの変化が起きたということだ。大半の人が思っているよりも、変化は遥かに速く起きる。

これ衝撃。スマホと同じ現象。このスライド14,15参照。

一人あたり生産性の実数で見てみるとさらにわかりやすい。長らくまったく伸ばせておらず、半ば一人負けと言っても過言ではない。よくバブル崩壊のせいかのように言われるが、それは誤りだ。バブル崩壊後、清算にかかったと思われる 10 年後の2000年代の頭でも、日本の相対的な地位はそれほど悪いわけではない。GDPが伸びないのは、人口の問題以前に生産性が伸ばせていないからなのだ。  問題はそこから世界的に一気に生産性が高まってきたこの 15 年余り、日本だけが大きく伸ばせなかったことだ。我が国は半ば一人負け、もしくはゲームが始まったことに気づいていないと言ってもよい状況にある

かなりマズイ状態。

なんと2017年段階で単身を除く世帯のほぼ3世帯に1つ( 31%) が貯蓄(金融資産) を持っていない。高度成長期(1954〜1973) のど真ん中、いわば発展途上状態にあった半世紀以上前の1963年の値( 22%) よりも遥かに高い。おそらく1950年代の水準なのだ( 家計の金融行動に関する世論調査[二人以上世帯調査])。我々はある種、途上国あるいは中進国に戻ってしまった。仮にこのトレンドが続いたら、なんと2035年前後には貯蓄を持たない世帯が 50%という見事な途上国(あるいは貧困国) 状態に陥る。それはかなり残念な状況であることはもちろん、国力によって保たれている均衡の多く(国防、通貨価値、株や土地の価値、食料輸入他) も崩れていく可能性が高い。我々はなんとか次世代のために未来を変える必要がある。

資産の比率が現預金に寄りすぎている問題、金融庁が掲げている「貯蓄から投資へ」がなかなか進んでいない実態はもっと知られていくべき&早急な打開策が必要なので頑張りたい。

日本の男性は前述のとおり、家事・育児関連を半ば放棄し、この余力で給与労働の多くを担っているわけだが、労働時間はイタリアの2倍、ドイツの1・5倍以上。これでは生産性が低いのは当然だ。非効率を人の苦痛で解決する職場なのだ( 11)。  このような非効率な労働を続けていれば、家事・育児に使える時間などなくなるのは自明でもある。長時間頑張ることでこの生産量がようやく維持できるのだ、と言う人や会社は根本的に何かを見直したほうがいい。

日本人働きすぎ問題。

なぜここまでデータ×AI分野で立ち遅れたのだろうか。この問いを2013年頃からさまざまなところで繰り返し尋ねられてきたが、僕の答えは一貫してシンプルだ。この世界には3つの押さえどころがあるが、そのいずれも押さえられていなかったからだ。第一に、さまざまなところから多様なビッグデータが取れ、いろいろな用途に使えること。  第二に圧倒的なデータ処理力を持っていること。データ処理力とは技術でありコスト競争力だ。  第三にこれらの利活用の仕組みを作り、回す世界トップレベルの情報科学サイエンティスト、そしてデータエンジニアがいるということだ。

わかりやすい。

10 年ほど前、マッキンゼーの戦略研究グループで世界規模のスタディが行われた。対象は世界の主要企業3000社以上。テーマは「事業の成長を決める本当の要因は何か」という話であった。選ばれた要素は4つ、戦略、実行力、リーダー、そして市場だった。  この検討の結果は驚くべきものであった。「事業成長の7割以上が単一のファクター、市場によって説明できる」というものだったのだ。つまりどれほど優れた戦略があろうと、どれほど偉大なリーダーがいようと、そしてどれほど素晴らしい実行力があろうと、市場を間違えるとどうしようもないということだ。

市場の変化に強い組織がいちばん強い。

2つ目に、キャッチアップのスピードは日本らしさであり、日本の芸風といえる。参入は遅いが、何かやり始めるとあっという間にキャッチアップして世界のトップレベルまで行く力をこの国はさまざまな分野で繰り返し示してきた。  かつての最先端学問と言える仏教は、開祖の釈迦がいた紀元前5世紀前後から1000年以上も経って日本に伝来した。そんな中、8世紀の僧である空海(のちの弘法大師( 48)) は留学先の唐にて2つに分かれた密教( 49)の奥義伝授を共に数ヶ月で受けるという偉業を成し遂げ、一気に最先端の仏教哲学に到達した上、さらなる地平を切り開いた。

じゃあ日本は何を武器に頑張るべきか、という問いへのひとつのポジティブな答え。

国であっても企業同様のマネジメント(≒経営) が必要なことは変わらない。マネジメントはP・F・ドラッカー(P・F Drucker) の生み出した概念で、「組織に成果をあげさせるための道具、機能、機関」のことを言う。ではマネジメントとは何をやっているのかといえば、結局のところ、 (0)あるべき姿を見極め、設定する (1)いい仕事をする(顧客を生み出す、価値を提供する、低廉に回す、リスクを回避する他) (2)いい人を採って、いい人を育て、維持する (3)以上の実現のためにリソースを適切に配分し運用する  この4つだ。これにより、正に継続する事業体(going-concern) として国の舵取りをする。社会を生きながらえ、成長させ、次の世代に残す。そして少しでもステキな未来を生み出していくというのが全体としての組織マネジメントになる。

この考え方いい。

まずは軍事教練の名残と思われる「気をつけ」「起立」「休め」「前ならえ」「組体操」、外国人に説明できないレベルの校則や決まり(例:髪型、髪色指定、給食の食べ残し禁止) の廃止から行うべきだ。  ほとんどの人は認識していないが、共産主義国家、独裁国家はともかく、G7、欧米諸国でこのような訓練や型紙化を初等・中等教育で普通に行っている国は他にはない。この悪気のない行動が大切な「異人」たちを排除する。「気をつけ」「前ならえ」の廃止からシン・ニホンは始まる。

ほんまこれ。マジでやめよう、そろそろ。。。

シニア層のサポートは人道上、また憲法上、また年金のお約束上不可避だが、未来の経済規模を拡げるものではない。また、この多くは実はサンクコストになってしまう可能性が高い。真に未来につながる若手の育成、そして科学、また技術の開発のコストは削られ続けている。

国が国民の「すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」のは当然だ。ただし現実的な財布の範囲でだ。国の運営もマネジメントなのだから、未来を犠牲にしてまで、現状を微塵も変えてはいけないという解釈は明らかにおかしい。 国家も継続する仕組み(going-concern) として、長期的に発展し続けることが、全体としての幸福といえる。現在生きる人の幸福が未来と未来の世代を犠牲にすることによって成り立っているのであれば、明らかにマネジメントの誤りだ。

国というのは言ってみれば大きな家族のようなものだ。財布が1つという意味では最大級のコミュニティ単位とも言える。今の日本は、たとえて言うならば、家族のうちおじいさんやおばあさんはちゃんとしたおかず付きのご飯を普通に食べることができるが、働くお父さんやお母さんにはほんの少ししかお小遣いがなく、子どもたちはメザシ1つ与えられていない。そういう状況だと思えばイメージが湧くだろうか。 

R&D・教育関連予算が削られる一方で社会福祉・社会保障予算が増え続けている状態に対する批判。シニア層のケアは辞めよう、という極論ではなくて、あくまで資金的なリソースの再配分が必要と。このあと、具体的なリソースの再配分案が書かれていく。

人口が減るのが無条件に問題だという議論をやめ、単なる調整局面としてしばらくは見守るべきときが来ている。課題の設定が間違っているのだ。僕らの解くべき課題は、人口減少のターンアラウンドではなく、むしろ持続可能な人口に戻る局面で、経済的にどうやって縮小に陥らないようにうまく回していくか、つまり移行(transition) マネジメントなのだ。

御意。

内容が多岐にわたる本だったので抜粋箇所がだいぶバラバラになってしまいましたが、一読の価値ある本でした。中身ではグラフや図を交えて説明されているので、もっとわかりやすいと思います。そして「シン・ニホン」のネーミングの由来はやっぱり「シン・ゴジラ」らしいです。

「イシューからはじめよ」も再読した方が良い気がしてきた...。



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