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波瀾万丈すぎるペイパル創業物語「創始者たち」

かなり話題になっていたのと、ペイパルについてよく知らなかったので手に取ったのですが、臨場感がすごくてとにかく面白すぎました。

ペイパル前身となる2社の創業、PMFまでの試行錯誤、からの爆発的グロース、2社の合併、ITバブル崩壊、社内クーデター、eBayとの闘い、不正取引との闘い、上場からのM&A。

波瀾万丈すぎて、これら全てがわずか4年のうちに起きた出来事だというのも驚き。

いろんなステージの決定的なシーンが追体験できて物語としてものすごく面白かったのと、テックスタートアップに勤める人間、プロダクト作りに携わる人間としては示唆に富む内容も多く、読んでよかった一冊です。

印象に残ったところを一部抜粋してコメントしていきます。(順不同なので分かりづらい点はご了承ください)

セキュアパイロットのささやかな成功は、より大きなポテンシャルを示唆していると、レヴチンはティールに熱弁した。携帯端末とモバイルセキュリティの接点には大きな事業機会がある、これからはパームパイロットのような携帯端末が必要不可欠になり、何もかもを端末で行う時代になる、と。 ティールは半信半疑だった。

企業向けにモバイルセキュリティを提供する計画が難航しているため、今後は消費者向けに舵を切る。コンフィニティは物理的な財布に置き換わる、携帯端末用の「モバイルウォレット」をリリースする。モバイルウォレットとは、パームパイロット上でユーザーの財務情報を保護し、端末間で送金や電子商取引を行えるようにするアプリだ。

サックスはティールに言った。入社してもいい──ただし条件は、メール版を優先することだ。「僕は、『もし会社がそれを呑むなら、明日にでもマッキンゼーを辞めてくる』と宣言した。メール版がキラーアプリになると信じていたから」 ティールから、メール送金をビーム送金より優先するという 言質を取り、サックスは入社を決めた。

ペイパル前身のコンフィニティ社は最初、携帯端末(パームパイロット)とセキュリティの領域でtoBプロダクトのアイデアを練っていた。途中からtoCのモバルウォレットと端末間の赤外線での送金プロダクトにピボット。さらにそこからメール送金プロダクトに軸足を移していく。

「莫大な利ざやを得るチャンスが目の前にぶらさがっているのに、銀行が何もしないのを見て仰天したよ」マスクはこのときのインターン経験から、「銀行がいかに能なしか」を痛感した。銀行は未知を恐れるがゆえに、数十億ドルもの利益をみすみす逃した。マスクはのちのX.comとペイパルでの取り組みで、このときの経験を根拠に、「銀行に勝てる」と信じて疑わなかった。

一つの会社がすべての金融サービスをまとめて提供したらどうだろう、とマスクは考えた。投資家への最初期の売り込みで、マスクはこの構想を「アマゾンの金融サービス版」と呼んだ。つまり、標準的な普通預金と当座預金だけでなく、住宅ローンから無担保ローン、株式取引、融資、保険までのすべてを提供する、金融のワンストップサービスだ。

大学時代にスコシアバンクでインターンをしていたマスクは、提案した新しいスキームが却下され、営利企業としての銀行の動きの鈍さを痛感。その経験もあり、マスクの最初の構想は総合的なオンライン金融サービス。サービス名はX.com。

両社が同じ建物内に入っていたことは、のちに盛んにメディアに取り上げられたが、きっかけはただの偶然だった。当時、コンフィニティとX.comは競争も協力もしていなかった。コンフィニティはモバイル送金と暗号化技術に取り組み、X.comは金融のスーパーマーケットをめざしていた。 そしてお互いがお互いを、見当違いのことをしていると見ていた。

双方は苦難の末に、暫定的な合意に達した。コンフィニティが 下位 パートナーであるのは変わらないが、当初 92 対8だった合併比率は 55 対 45 になった。レヴチンは条件がまだコンフィニティ側に不利なのを気に病んだが、ティールはこれが正しい選択なのだと──ほぼ確実に死に至るよりましだと──レヴチンを説き伏せた。 他方、この合併の潜在的な可能性を見抜き、称賛した人たちもいた。「マイク・モリッツが、これは世紀の合併になると言いにきた」とレヴチンは言う。

コンフィニティとX.comは同じ建物にオフィスを構え、メール送金で死闘を繰り広げながら、最後には合併に至る。(そんなことある?)

この資金調達のプロセスは狂騒めいていた。ティールは早く投資の確約を取りつけたい一心だった。アメリカ経済の崩壊がすぐそこに迫ってきていることを予期していたのだ。「僕らが生き延びたのはピーターのおかげだ」とセルビーは断言する。

ラウンドが完了したわずか数日後、アメリカの株式市場の暴落が始まった。最終的に2兆5000万ドルもの時価総額が消滅、ハイテク株への投資意欲は冷え切った。年末までにナスダックの時価総額の半分が消失した。

ITバブル崩壊を乗り越えられたのは天才的なタイミングでの大型ファイナンスのおかげ。

ペイパルは実のところ、どこにでもあるビジネスに過ぎない」とレヴチンは言う。「ネット上で資金を動かすといえば、とてもクールで革新的なことに聞こえる。でもクレジットカード決済の仕組み自体は 20 年も前からあった。(中略)」 だがその水面下では、ペイパルの中核的なイノベーションが輝いていたとレヴチンは胸を張る。「ペイパルの目に見えない部分には、大規模で非常に数値的なリスク管理システムがあった。(中略)」

ペイパルの中核にあったのは、実は不正取引対策のために作られた高度なリスク管理システムだった。

サックスはメール版の強力な推進者として、コンフィニティの組織図に欠けていた職務を担うことになる。事実上の初代プロダクト統括責任者である。 プロダクトマネジメントでは、たんに開発を進めるだけでなく、脇道にそれないことも重要だと、サックスはすぐに気がついた。「プロダクトを統括するようになると、僕は〝ドクター・ノー〟になった。ばかげたアイデアにノーと言う役回りだ。会社の長期戦略に無関係なアイデアで貴重なエンジニアリング資源を無駄にしないよう気をつけた」

ペイパルのプロダクトが急速にユーザーの支持を得ていったのはこういう根本的な姿勢に起因するのだと思う。

イーベイにとっては、たとえ決済サービスに力を入れたとしても、主力のオークションサービスに比べれば 端金 の収益しか得られない。だがペイパルには、決済サービスしかなかった」とハウリーは言う。

やがてチェスナットは、ペイパルの積極的な成長努力に一目置くようになった。「ほかの競合が帰宅する午後6時や7時に、ペイパルでは夕飯をかっこんでいたよ。彼らは革新的で非常にアグレッシブだった。そこは称賛しなくては」。イーベイCEOメグ・ホイットマンも、チェスナットと同じ意見を持っていた。「ペイパルはとてもフットワークの軽い、とても積極的な人たちが集まる会社だった」

サックスとティールをはじめとする経営陣は創業からの4年間、イーベイの一撃によってペイパルをつぶされる恐怖にずっとさいなまれていた。

eBayのいわゆるイノベーションのジレンマを突いて急成長したペイパル。同時にeBayにいつ潰されるかというリスクにずっと悩まされていた。

「僕らがペイパルの経験から学んだのは、優秀な者たちが勤勉に働き、誰も見たことのないテクノロジーを駆使すれば、実際に業界に革命を起こせるということだ」とホフマンは語る。 エイミー・ロウ・クレメントも同意する。「『自分たちがやらなければ誰がやる?』の精神だった。私たちのようなはみ出し者の寄せ集めチームでも、無から有を生み出すことができた。そのことが本当にすばらしかった」

事務責任者のローリ・シュルティスは、ペイパルでは未経験者を積極的に採用していたと言う。「不正対策の人材を雇うときは、あえて不正対策の未経験者を探した。ペイパルでやる仕事に先入観を持ってほしくなかったから。」

レヴチンはペイパルの採用基準に一風変わった条件を加え、それがペイパルの成功と出身者たちのその後の活躍に一役買ったと自負している。最初期の社員の多くは、雇われ人であることを好まなかった。「どんな仕事のどんな職務についても言えることだが、トップクラスの人材とは『誰かの下で働くのはもうこれで最後にしよう』と思っている人だ。

各所でペイパルの企業文化が読み取れておもしろかったです。

2002年2月 15 日の朝、ナスダック市場が開くと同時に、ペイパルの540万株が一般投資家に売りに出された。前日夜に 13 ドルだった株価は、ものの数分で 18 ドルに急騰した。PYPLは 22 ドル 44 セントの高値をつけ、 20 ドル9セントで初日の取引を終えた──初値上昇率 55 パーセントは、2002年のこれまでのIPOの中で最高の出だしである。

マックス・レヴチンはのちにこの日のことを「人生最高の日」と呼んだ。いつもはストイックなCTOのレヴチンが、この日は感情をあらわにしていたのを社員たちは覚えている。


全体を通して個人的に印象に残ったのは以下3点でした

  1. あのペイパルも市場からの反応と気付きをもとに初期プロダクトから何度もピボットしている

  2. 異常なまでのバイタリティ、コミットメント、剥き出しの競争心、異様な熱量、自由だけど求められる水準が高い、というのが企業文化の根底

  3. 実行は冷静沈着かつ常識にとらわれない(ファイナンス、合併、上場からのM&A)


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