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売れないライターのおとぎばなし

むかし、東京に売れないライターがいた。会社に行くのが嫌だからという理由以外にはなんの考えもなくライターになった男で、ライターになった瞬間からお金が足りない日々が続いていた。

ある日、彼は仕事を求めてある雑誌の編集者と会うことになった。以前、会社に勤めていたときに知り合った人から紹介してもらったのだ。紹介だから、その編集者も仕方なく会ってくれたのだろう。

その雑誌のことを全く知らなかった彼は、その雑誌のことを調べることもなくその編集者に会いに行った。会えばなにかいいことがあるはずだというぼんやりした期待とともに、会社を訪れた。

紹介ということもあってまず前職について説明した彼に対し、編集者は「それで、君はなにがやりたいのかな?」と言った。

会社に行くのが嫌だからという理由でライターになった彼に、やりたいことなどなかった。ただ自分もそれなりに書ける、と思ったからこそライターになっただけである。「これを800字で書け」「あれを2000字で書け」と命令されることだけを期待していたのであった。

「書きたいことがないと、うちとしても仕事をあげられないよ」と編集者は言った。あるいは「企画を持ってくるべきだ」と言ったかもしれない。

「なるほど。わかりました」と売れないライターは答え、「企画持ってきます」と言ってその場を去った。

その雑誌のことも知らない、やりたい企画もない彼にとっては、早くその場を離れることだけがそのときのやりたいことだった。その後、彼は企画を出すこともなかったし、編集者に会うこともなかった。

売れないライターは売れないことに自覚を持てずにいたが、家賃が払えていないことには気づいていた。ある日、管理会社から電話がかかってきた。そのときはじめて彼は「ヤバイことになりそうだ」と思った。「どうやって払っていくのか?」と管理会社の人からこわい声で聞かれて、「がんばって払います」と答えたが、管理会社の人は、そんな誓いを信じてはくれなかった。

結局彼は、親からお金を借りて家賃を払い、売れないライターをやめ、ライター以外の仕事を探すことにした。手っ取り早く、安定的に給料がほしいと思った。それがいくらだろうが構わない。ただ家賃が払えなくなってしまうことだけを恐れた。

ライター時代、彼には「やりたいこと」などなかった。以前会社にいたときも、やりたいことなど考えたことはない。企画を立てろ、と社長から急かされて考えることはあったが、企画が通ったこともない。彼にとって仕事とは、「やれ」と言われたことをやることでしかなかった。そして、求められる最低ラインをクリアしていれば良いというスタンスだった。そう言語化していたわけではなかったが、彼の態度がそれを物語っていた。

しかし、仕事は目的があってはじめてスタートする。どうしたいという目的があるから、じゃあそれを達成するためにはどうすればいいかが見えてくる。
売れないライターは、そのことに気づかないままライターをやめた。目的を意識したこともなかったので、どうすればいいかもわからなかった。「やりたいことは何?」と言われれば「夢」をイメージしてしまう。彼にとって夢と仕事はどうにも結びつかなかった。仕事は「やれ」と言われてやることであり、夢ではなかった。


「生活費を稼ぐため」ということも十分、仕事をスタートする目的になるが、そのことと「仕事をつくる」ことを彼はどうしても結び付けられなかった。「やれ」と言われない限り動き出すことができない。なぜ彼はフリーランスになったのか?会社勤めが嫌だからである。彼にとって、仕事は「やれ」と言われたことをやることである。フリーランスになっても誰かが「やれ」と言ってくれるような気がしていたのだ。しかし誰も「やれ」と言ってくれない。仕事とは本来、作り出すものなのだ。上司や社長がいなければ、わざわざそう命令してくれる人もいない。

売れないライターは、そのことに気づかないままライターをやめ、そして就職先を探した。それはつまり、「やれ」と言ってくれる人を探すことである。売れないライターは、「やれ」と言ってくれる人をずっと辿っていくと、一番最初には誰かが仕事をつくっていることに、その後も気づくことはなかった。

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