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「ロサンゼルスのバス停 #2」

1935年に完成したグリフィス天文台は、ロサンゼルスでも随一の観光名所だ。アールデコ調の建築は静かに佇み、年間多くの観光客が訪れる。広々と見渡せるLAの街並みにスマホを構えずにいられない。実際にピースなどをして撮った写真がパソコンのどこかに眠っている。

僕とターニャを乗せたバスは建物前にとまり、他の乗客と共にドドッと吐き出した。

「どうする?一緒にまわる?」彼女はリュックを背負い直しながら言った。

そうだな。数分話しただけだが、特別怪しい雰囲気もないし(元来心配性の日本人男性である)、「旅は道連れ」ともいうし。なによりなんだか面白そうな人だ。さっきもバスの最後尾から前方まで歩き、人懐っこい声で運転手に話しかけていた。シャイとは程遠く、他人の目なんかこれっぽっちも気にしていない様子だ。

田舎の家庭でのびのびと育った姿を勝手に想像する。自然に囲まれ、水辺の動物なんかと会話している絵がぴったりくる。不思議の国のアリスの冒頭部分か。おとぎ話の主人公感を醸し出しながら、ふわふわと景色を眺めている。

「それじゃあ一緒に見て回ろう」

天文台の入り口前には、5メートルはあるだろうかモニュメントが建っている。それぞれ前に立ち、写真を撮った。頭の中で、スタンプラリーの1つ目のハンコが押される音がする。スコン。

建物の中は意外と広く、多くの展示スペースが待っている。人類と天文学の歩みを学ぶ展示、その次の地球の自転を証明する巨大な「フーコーの振り子」には多くの人が集まっている。

直径数メートルはある円の窪みの中心、振り子が延々と行ったり来たりする。縁にもたれかかり、覗き込むような格好で振り子の動きを追う。これがなぜ一体地球の自転を証明しているものなのか全くわからない。丁寧な説明も掲げられているが、英語でこういった概念を理解するには、頭に普通の数倍の負荷がかかる。お手上げだ。

「うん。これはね、まずコリオリの力を理解したほうがいいよ!」

右隣のターニャ、その向こうをみると10歳ほどの元気そうな男の子が話していた。彼は振り子を指差しながら、ターニャの方に顔の向きを変える。気がつくと彼の解説がはじまっていた。

淀みなく、しかし彼女の顔をうかがいながらペースを合わせ難しい言葉を放り投げる。彼の脳は輝き、オーバーヒート直前ぎりぎり、最高潮で回転している。彼女は笑顔でうなずいたり、へぇー、などと言いながら、時折質問を差し込む。彼女の屈託のない笑顔は、彼とまったく同じ種類のものだ。

僕はといえば説明を聞いているのか、何も考えていないのか、わからなくなってきた。瞑想のような状態でそろりとその場をはなれ、電気のスパークの展示に向かった。コイルの横に立った解説のお姉さんが、観客に向かって合図をする。

「バチバチバチッ!」

ガラス越しのコイルに電流が走る。

これはわかりやすい。単縦明快、刺激的なアトラクションだ。すこし目が覚めた。

ここまでの道中、ワクワクしている自分がいる。理由のひとつは、異国の地での偶然の出会いに乗り込んだ心地よい緊張。もうひとつは、反射的に英語を絞り出さざるを得ないこの状況だ。

正直言って英語オタクである自分には、現地での英語話者との会話は最上の英語トレーニングの機会になる。英語圏では日常生活で常にラッキーボーナスをいただいている状態といっても過言ではない。さらに旅行の非日常感が加われば、薄ら笑いしつつ、ハイになっても仕方のないことだ。

日本では笑わないようなオヤジギャグにも、英語でいわれると爆笑してしまうのだ。髪を短く刈り上げ、グリースをなでつけ、歯列矯正を始めるのだ。だが表情に出し過ぎてはいけない。すぐさま浮かれた英語学習者カテゴリーに放り込まれ、身動きが取れなくなってしまう恐れがある。

個人的な野心は心の片隅に置いて、相手とのコミュニケーションを重視することが大事だ。会話の相手にとっては意思疎通がメインディッシュだ。素数を数えて落ち着こう。

「はい、来たよ〜」

フワフワ揺れるパーマが、群衆からポンと飛び出してこちらに進んでくる。ターニャだ。

男の子の授業を受け、満足げな彼女と合流し、他の展示もざっと見て回る。時計を見ると4時半を過ぎていた、もうすぐ夕暮れだ。高台からのロサンゼルスの夕陽を眺めないわけにはいかない。足取りは軽く、屋上への階段を登っていく。

つづく


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