夜の美術散歩、あべのハルカス美術館で安野光雅さんに触れる
街の明かりがどんどん小さくなっていく。
B1Fから乗り込んだエレベーターは地上を離れ、16Fまで上がっていく。この日私はあべのハルカス美術館へと向かっていた。時刻は平日の18時半。美術館を訪れるには少しばかり遅い時間だ。
目的は11/12まで開催している安野光雅展を見ることだった。
火〜金のあべのハルカス美術館は10時から20時まで開館している。普段朝一を狙って行くことが多いため、日の沈み切った時間に訪れることは珍しい。休日だと17時で閉館してしまうし、夜の美術館に行くということが非日常的でワクワクした。
とはいえ、18時半到着だと後1時間半しか見ることができないので少し焦り気味だった。私はいつも展示を見るのに2時間はかかるのだ…。
安野光雅さんというとコロナ禍真っ只中であった2020年12月にご逝去されたことが記憶に新しい。今回の「安野光雅展」は元々、安野さんが存命だった2020年春に開催される予定だったらしい。つまりこの展覧会は安野光雅さん自身が関わった最後の展覧会ということだ。
今回の展覧会の初っ端にあった安野光雅さんの言葉。まだ何も始まってもいないこの部分で随分と足が止まった。この文章の本質はなんなのだろう。会場で見た時もその意味を理解したくて何度も読み返したが、今見てもまだ答えには辿り着けない。これからもじっくり考えていきたいテーマだと思った。
安野光雅展は全部で6つの章がある。
私は今まで安野光雅さんの絵本に触れてこなかったので、どれを見ても「懐かしい」という感覚にはならない。むしろ私にとっては新鮮で新たな発見ばかりだった。
「ふしぎなえ」を見て日本にもエッシャーのようなだまし絵を描く人がいたことを知ったし、「ふしぎなさーかす」を見て机上を動き回る小人の可愛らしさと画力の高さに驚いた。「もりのえほん」では森の中に隠れた動物たちがあまりにも自然に周りと溶け込んでいて唸った。
前半部分で一番グッときたのは「空想工房の絵本」の中の『遠くの地球』という絵だった。真っ黒の背景に浮かぶ地球とその下にそびえ立つお城。暗闇の中でも地球は輝いていて、でもその下の世界はなんとなく寂しくて。なぜだか目が離せなかった。
その絵を見ながら、こうしてこの時に心が動いたことを忘れたくないな、と思った。忘れないためにnoteに大切なものを詰め込みたいな、とも。この絵を見ながら、その時の私はこれまで訪れたたくさんの美術館の記憶を辿っていた。少し不思議な感覚だった。
今回の展覧会の目玉の一つは第3章の空想と旅の絵本だと思う。安野さんの絵本の中でも人気のある「旅の絵本」が飾られているコーナーだ。旅の絵本は全10冊。完結編となるⅩオランダは亡くなられた後に出版された。Ⅰ〜Ⅸまでは実際に旅をしたスケッチなどを元に描かれているが、このⅩはこれまでの記憶を手繰り寄せ、記憶と空想で描いたらしい。
展覧会から帰宅後、この本について調べていたときにこんな記事を見つけた。
ご家族や周りの方の情熱によって出版された最後のオランダ編。出版までの道のりを想像すると胸が熱くなる。最終的に安野さんの思い描いた順番になったのかは分からないが、自分だったらこんな順番にするな〜とか想像しながら読むとまた面白いかもしれない。このオランダ編の原画も見ることができるので、このシリーズのファンの方にはぜひ見に行ってほしい。
今回たくさんの絵本原画の展示があったが、その中でもこの本が特に好き!と感じた本がいくつかある。
蚤の市
荷台を押す老夫婦が蚤の市へ向かうところから始まる絵本。蚤の市では楽器や人形などたくさんの品物が描かれ、ページを捲るごとに置いてあるものが変わっていく。私はちまっとしたものがたくさん並んでいる絵が好きなのでいつまででも見ていられそうだった。最初と最後のページに物語を感じるのが良い。
原画を見た後に本も手に取ってみたのだが、やはり色の鮮やかさや表現が全く違う。やはり原画って生き物なんだなと思った。
昔の子どもたち
これまでの絵のタッチと違い、輪郭線のない絵で描かれているのが印象的だった。いわさきちひろさんを彷彿させる。子どもの頃の淡い記憶を表現しているのかもしれない。絵日記のような絵本なのだが、「蛍」では蛍が枠を飛び出していてインパクトがあった。
途中のシーンでは「僕」という字を間違えてしまうのだが、その時の先生のコメントが『僕を100回書きなさい」で、その次のページから「僕」をきちんと書けるようになっているのに少し笑ってしまった。ちゃんと100回書いたんだな〜!って。
ABCの本
展示としてはなかったものの、最後の読書スペースに置いてあった。ABCの絵がだまし絵になっており、これは楽しく勉強できる本で最強だと思った。
最後に今回買ったお土産を。
今回「安野光雅展」を訪れた人にとって、安野光雅さんというのはどのような存在なのだろう。装丁家としての一面や絵本作家としての一面。どちらの方が色濃いのだろう。
私にとって安野光雅さんは芸術家だ。大人になってから触れる安野光雅さんの作品は、例えそれが絵本であっても芸術作品として捉えてしまうのだ。もっと絵本を絵本として楽しみたかった。多感で豊かな子ども時代に安野さんと出会いたかったなと思う。
今回鑑賞時間が1時間半しかなかったのでかなり駆け足になってしまった。でも平日の夜だからか訪れる人は数人程度とかなり空いており、とにかく快適だった。混み合う絵は同じなのでそこは多少並ぶものの、それ以外は待ち0で見られたのでこの時間は結構オススメかもしれないなと思いながらエレベーターに乗り込んだ。
街の明かりがどんどん大きくなっていく。
少しの浮遊感とともに非日常から日常へと帰っていった。