【武器になる哲学】08 アンガージュマンー人生を「芸術作品」のように創造せよ

サルトルといえば「実存主義」。実存主義というのは、要するに「私はどのように生きるべきか?」という「Howの問い」を重視する立場である。

では、その「問い」に対して、サルトルはどのように答えるのか。それが「アンガージュマンせよ」ということです。ニュアンスとしては「主体的に関わることにコミットする」というような感じでしょうか。サルトルによれば、コミットするものは二つあります。

一つは、私たち自分自身の行動だということになります。現代の民主主義社会で生きている以上、私たちの行動や選択は自由であり、したがって「何をするか」や「何をしないのか」という意思決定について、自分で責任を取る必要があります。サルトルはこれを指して

人間は自由の刑に処されている
サルトル

と言っています。

さらにサルトルは、私たちは「自分の行動」に責任があるだけでなく、この世界にも責任があると主張します。

人の一生のうちに"偶発事件"などというものは存在しえない
サルトル

とさえ言います。

私たちは外側の現実と自分を二つの別個のものとして考える癖がありますが、サルトルはそのような考え方を否定します。現実を「自分ごと」として主体的に良いものにしようとする態度=アンガージュマンが重要になるわけです。

ところが実際のところはどうか。私たちの目標が、自分の存在と自由(選択可能な範囲の広がり)をしっかりと認識した上で、その価値を認めることであるにもかかわらず、多くの人はその自由を行使することなく、社会や組織から命じられた通りに行動する「クソマジメな精神」を発揮してしまう、というのがサルトルの指摘です。

いわゆる「成功」というのは、社会や組織の命じるままに行動し、期待された成果をあげることを意味しますが、サルトルは「そんなものはなんら重要ではない」と断定します。

サルトルは、目の前の組織や社会から突きつけられるモノサシによって自己欺瞞に陥ることなく、自分自身の人生を完全な自由から生まれる芸術作品のように創造することで初めて、自分としての可能性に気づくことができるのだと言います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?