【武器になる哲学】19 カリスマー支配を正当化する三つの要素「歴史的正当性」「カリスマ性」「合法性」

人口に膾炙することの多い「カリスマ」という言葉を、今日用いられるような形で最初に使用したのはマックス・ヴェーバーでした。ここではヴェーバーの著書『職業としての政治』から、ヴェーバーが考察した「カリスマ」について説明します。

ヴェーバーによれば、国家であれ政治団体であれ、それは正当な暴力行使に支えられた支配関係によって秩序立てられます。それでは、被支配者が、その時の支配者の主張する権威に服従するとき、そこにはどんな拠り所があるのでしょうか。

マックス・ヴェーバーの指摘に則れば、人が、ある組織なり集団なりを支配しようとするとき、その支配の正当性を担保するには「歴史的正当性」「カリスマ性」「合法性」の三つしかない、ということになります。ヴェーバーのこの指摘は、基本的に「国家運営」を問題にしていますが、これを組織運営に当てはめて考えると、大変厄介な問題が浮上することになります。

「歴史的正当性」や「カリスマ性」を持ったリーダーはなかなかいないので、多くの組織では「歴史的正当性」をデッチあげるということが行われる、ということです。しかし一方で、デッチあげられるような程度の「歴史的正当性」が、本当に中長期的な「支配の正当性」を担保しうるのか、という問題が残る。では「合法性」なのかというと、がんじがらめの官僚機構が、現在の社会で優秀な人材を惹きつけ、動機づけられるかというと、まず不可能でしょう。

結論は一つしかありません。過去を変えられない以上、「歴史的正当性」は求めても仕方がない。では「合法性」なのかというと、官僚機構による支配を前提にしたのでは、現在の優秀な人材を惹きつけ、動機づけることは難しいし、そもそも発想として美しくありません。そうなると「カリスマ性」による支配ということになるわけですが、ヴェーバーの定義によれば、「カリスマ」というのは「非日常的な天与の資質」を持った人物ということですから、それほどたくさんいるわけではありません。私たちは、この数少ない「カリスマ性を持った人物」をどれだけ「人工的」に育てられるかどうか、ということにチャレンジしなくてはならない、ということになるのではないでしょうか。

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