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低血糖と外出と無知の知

 最近、暑いですね。梅雨が明けたのかと思うくらい晴れの日が続いている気がします。

 「気がする」なのは外に出るどころか、空を見る余裕さえなかったので記憶が曖昧なのです。

 夜の寝汗がひどくなってきたので、扇風機をつけるようになりました。風が気持ちいいです。

低血糖再び

 最近の不摂生から、ついに低血糖が帰ってきてしまいました。

 久しぶりのダルさが、不調に追い討ちをかけて午前中は動けませんでした。

 どれだけ体重がなくなったのかも、恐ろしくて体重計にのれません。

 食事がままならない状態が続いたので、予想はついていたんです。予兆もありました。

 食事できる状態ではなかったのでしかたないです。これで一からやり直しですね。

 残念な気持ちですが、現状を受け入れて切り替えました。今日はお外に出かけます!

幾日ぶりの外出とお買い物

 冷蔵庫がすっからかんのためお買い物に出かけました。久しぶりの外出です。

 不調のため外に出る余裕がなく、この数日は結果的に引きこもっていました。当然です。

 味噌とお米とご飯の供はあるので、食べるのに困ることはありません。

 不調自体はよくあることなので、普段から備えることを前提としています。

 まだお買い物に行かなくても大丈夫だったりするんですが、経験上ここで動かないと悪化することが多いのです。

 不調からちょっとでも改善したら、その分は動くように意識していました。お買い物もそのためなのです。

 とはいえ、まだ回復しきっているわけではなかったので、久しぶりの外出はなかなか大変でした。

 午前中は読書と低血糖で潰れ、午後から読書しながら少しずつ身支度を整えて、夕方やっとお出かけです。

 まだまだ読書三昧です。ちょっとでも離れると読みたくて辛くなります。

 夕日が沈んでいく中、傘を指して近所のスーパーまで歩いていきました。

 久しぶりの外に新鮮な気持ちが出てくる一方、「本が読みたい」と終始連呼し続ける心。

 本当は、iPhoneの読み上げ機能で聞きながら出かけるつもりでしたが、今日は途切れ途切れにしか読んでくれなくて断念しました。

 読み上げ機能を忘れていたきっかけを思い出しました。今日のようにうまく機能しないことがあって使うのを控えたんです。

 アプリなら安定するかと思って、試してみましたが、機能の障害というより機種の問題みたいです。

 読み上げ機能の利用は消耗が激しいのかもしれません。よくわからないので使い所が難しいなと思いました。

知識不足と不理解とは

 今、読んでいる小説に、「争いは知識不足と不理解から起こる」という言葉がよく出てきます。

 主人公の考えなんですけど、性悪説を信じるというわりには甘ったるい考えだなぁと私は思っています。

 ソクラテスの無知の知は有名ですが、私はこれを10歳ぐらいのときに知りました。

 でも言葉の意味を理解できたのはわりと最近です。最初はなぜ、「無知の知」が賢いことに繋がるのか分かりませんでした。

 分からないことに気づくことができないと、本当の意味で理解するのが難しいです。

 本当に理解しているのか、と問うことが「無知の知」の意味でした。

 その理由は、人間は中途半端に知識や経験があるからなんですよ。

 下手な知識や経験があると、分からないと自覚する前に、無理矢理結びつけて理解したつもりになっちゃうんです。

 何がきっかけだったかは忘れたんですけど、私はちゃんと理解できているの? と疑うことがあって初めて気づきました。

 以来、知識を仕入れるために本を読むのがおそろしかったりします。

 分かったつもりで、実は分かっていないということが往々にしてあると知ると、自分の頭が信用できなくなっちゃったんですよね。

 今、樺沢紫苑の「ブレインメンタル強化大全」をまとめています。

 noteに公開するときはきっと自分自身への疑惑からドキドキして死にそうになると確信してます。

 なぜならまとめている今でさえ、ドキドキしていますから。

 少なくとも私にとって、分からないことに気づくってそれくらい難しいことなんですよね。

 いくら「無知の知」の賢さが分かっても実践できるかどうかは別です。

 さらに、自分と同じようような人もよくいます。少なくない確率で同類を見つけます。

 父方の親戚などは、まさにという感じです。昔から嫌いだなぁと思っていたんですけどソクラテスの凄さが分かって納得しました。

 人の話を分かってないのに、分かってないという自覚もなく、的外れな正義を押し付けようとするんです。

 自分の愚かさを棚に上げ、改めて嫌いだなぁと思いました。もちろん同族嫌悪です。

 そもそもの話、無知に甘んじている人というのは、分かっていないのに分かっているつもりになっているから理解しようとしないんですよね。

 だって、すでに分かっているんだから、これ以上何を知る必要があるの? と困惑するわけです。

 私の場合は身もフタもなく、何言ってんだコイツって思っちゃいますね。

 子どもの「何で勉強するの?」も同じ心理からくる質問なんですよ。

 小説では、環境を整えて、学ばせることができれば、知識不足と不理解から脱せると主人公は考えていました。

 経験上、無理だと思うんですよね。私も学校教育を受けましたが、「理解する」ということを知ったのは20代の後半になってからでした。

 本来、幅広い知識を身につけられる学校教育は貴重な場です。

 でも、「理解する」ことを知らないから勉強の必要性が分からないんです。

 他にも、あえて理解しない選択肢があるとか、教育水準を上げて国力をつけたからこそ争いを仕掛けた国とか、いろいろあったりします。

 知識不足と不理解は確かに争いのタネになりうるかもしれませんが、教育で知識不足を改善できるとか、理解があれば争いを回避できるとか。

 主人公の考えは人間の善良さを信じ過ぎだと思ったんですよね。

 ちなみに、この小説は「白豚貴族だったどうしようもない私に前世の記憶が生えた件 (書籍:白豚貴族ですが前世の記憶が生えたのでひよこな弟育てます)」です。

 まだ最新話まで読んではいませんが面白いですよ。

 登場人物の誰も彼もが頭良すぎて、たまに出てくる頭の悪い人に妙な親近感を持っちゃいます。

 私も頭が悪い人間なので賢くなりたいです。切実に。

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