命より大事な、それを託す。(ガウディとサクラダ・ファミリア展)
ガウディとサクラダ・ファミリア展に行った。
学生時代、あまり学校に行ってない私の、霞のような美術の時間の記憶。明度と彩度。ピカソとゲルニカ。そして、アントニ・ガウディとサクラダ・ファミリア。
思ったより会場は混んでいた。みんな、私と同じで、朧げな美術の時間の記憶を頼りに、ここまできたのかもしれない。
記憶が朧げなので、展示のキャプション(説明文)を読みながら、理解を深めていくことにした。
読み進めていくと、いろんな建物を作っていることがわかった。家具とかも作ってた。作品見ればわかることなんだけど、美術館でキャプションを全部理解するのは、人混みの中で至難の業すぎる。
私がたどり着いた最後のキャプションには、あんなに混んでいたのに、誰も見ていなかった。
そのキャプションには他のキャプションと変らず、淡々と、誰にでも伝わるようなやわらかい文章で、ガウディの死因について書かれていた。
ガウディは、交通事故で亡くなっていた。
しかも、ガウディが事故にあった時、周りにいた誰一人、ガウディだとわかる人はいなかったらしい。
なんか思ってた偉人の死に方と違う。
てことは遺書とかも別にないじゃん。
ガウディが亡くなっても、サクラダ・ファミリアは完成へと向かっているから、最後まで作らせるような、契りの遺書を書いたんだと思ってた。
ガウディは託せないまま、死んだのだ。
ガウディが亡くなってなお、サクラダ・ファミリアは建設を続けている。
言葉や文字で直接託されたんじゃなくて、
魂を託された人たちがいる。
魂は渡すことができないけれど、受け取ってもらえないと託せない。
サクラダ・ファミリアに人生をかけて奔走していたガウディ。
その姿から魂を受け取った人たちがたくさんいて、現在まで、そのバトンが渡され続けているのだろう。
ガウディの影を追って、サクラダ・ファミリアは完成へと向かう。
私たちも、影を追ってここまできた。
それも、魂に突き動かされた、結果なんじゃないか。
霞のような美術の時間の記憶。明度と彩度。ピカソとゲルニカ。そして、アントニ・ガウディとサクラダ・ファミリア。
なんとなく名前を聞いたことがあるから、みんなここに来たんじゃない。
私たちは美術の授業を通して、ガウディに託されここにいる。
おまけ
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