第二章 救いの手②
目次とあらすじ
前回:救いの手①
どれくらい意識を失っていたのか。
石畳の上に横たわっている。
周囲に自分の血が広がっていることに気付いた。
だんだんと記憶がはっきりしてくる。
長距離からの魔法を腹部に受け、そのまま転倒して頭部を強打し、失神したのだろう。
ユナヘルはずきずきと痛む後頭部へ手を伸ばした。
全身は氷のように冷え切っていて、先が長くないことはすぐに分かった。
どのみち、魔法を撃った本人が止めを刺しに来る。
どちらが早いか、というだけの話だ。
腹部には拳大の穴がぽっかりと開いており、魔法で生み出された何かが通過したことが分かった。
月明かりに照らされた赤黒い血は、今も流れ出続けている。
八方塞がりの現状に、ユナヘルは悪態もつけなかった。
ここまでで分かったことは二つ。
一つは、魔法具がなくても、魔法具を持つ兵士を倒すことができる、ということ。
もう一つは、それには限界があるということ。
第二階梯の兵士が相手ならば、油断を誘い隙を突くことで、運次第で倒すことが出来る。
だが第三階梯以上ともなると、油断もしなければ突くべき隙もない。
魔法具を所持していないというのにこちらの位置は察知され、近付くことも出来ずに殺される。
これでは姫を助け出すどころではない。
ほんの僅かでも可能性があるのなら、回数を重ねることで理想の未来へ近付くことが出来る。
だが可能性が全く無いのなら、同じ道筋を辿るだけだ。
周囲を見回すと、背の高い建物の路地裏にいることが分かった。
確か、娼館通りが近くにあったはずだ。
これだけ近ければ喧騒が聞こえてきてもおかしくなかったが、まるで静かだった。
これまで王都中を走り回ってきたが、人にはほとんど遭遇しなかった。
時折物乞いが怯えた目でこちらを見るだけだ。
皆、争いの音を聞いて、建物に篭っているのだ。
ユナヘルは改めて周囲を見回した。
この辺りで死んだことは無かった。
この調子で行けば、王都の全ての場所で死ぬのも、そう遠くないことだろう。
足音が近付いてくる。
せめて自分が誰に殺されるのか、顔を見てやろうと、路地の角を睨みつける。
少しでも情報を集め、次に生かすのだ。
諦めてたまるものか。
現れたのは、外套にすっぽり身を包み、フードを目深に被った人物。
背丈はユナヘルより少し高いくらいだった。
ウルド国の兵士ではない。近くの宿に泊まっていた旅人だろうか。
ユナヘルに近付くと、血で汚れるのも構わずに膝を着き、ユナヘルの傷を確かめた。
ユナヘルは驚いて目を見開いた。
「傷が深い」声から若い女だと分かった。「誰にやられたの?」
ユナヘルは痛みがすっと引いていくのを感じた。
女は傷を癒す魔法を使ったのだろうか。
「麻痺させただけ」女はユナヘルの手を取り、傷口を押さえさせた。「まだ間に合う。諦めないで。治癒魔法が使える人がいれば――」
「逃げて」
ユナヘルは必死の思いで言った。
この人はとんでもないお人好しだ。
自分のせいで死なせてしまいたくない。
「すぐに、敵が来る」
「兵士同士で殺し合ってるの?」
「いいから――」
「誰だ」
路地の角から、ウルドの兵士が二人現れた。
手にある魔法具は見たことが無く、自分はこの兵士たちにはまだ殺されたことがないのだと分かった。
「あなたたちは、何をしているの?」女は立ち上がり、強い口調で言った。
「我々はウルド国の兵士だ。犯罪者を処分している」
兵士の一人が警戒心をむき出しにして、精霊の姿が描かれた徽章を見せ付けた。
第四階梯の兵士だ。
「犯罪者って……」女は、傷口を押さえるユナヘルを見下ろして言った。
「お前は何者だ。答えろ」
「面倒だ、まとめて殺そう」兵士の一人が言う。「身なりを見ろ。貴族じゃない。どうとでもなる」
「ばかなことを言うな」
静止を聞かず、片方の兵士が魔法具を向けてきた。
そこから何が起きたのか、ユナヘルには理解できなかった。
分かったのは、その兵士からユナヘルと女をまとめて殺しきるような何らかの攻撃が放たれ、そして、それが消え去ってしまったということだけだ。
残り香のような微風が、フードと外套をめくった。
外套の下は、まさに旅人といった風な出で立ちだった。
ユナヘルはぼんやりとした頭で、その目つきの鋭い女性の、後頭部で結われた黒髪を眺めていた。
「『減衰』じゃないぞ!」片方の兵士が叫ぶ。「『消失』だ!」
二人の兵士は殺気立った。
女は腰の魔法具に手をかけた。
薄汚れた布で包まれたそれは、細身の長剣のようだったが、刀身は螺旋状にねじれており、魔法具であることは明白だった。
戦いは一瞬で終わった。
派手な光も音も無い。
いくつかの攻防が交差したようだったが、ユナヘルにはその一端も見えなかった。
ウルド国の誇る高階梯の正規兵は、二人とも、糸の切れた人形のように倒れ、それきり動かなくなった。
女は再び膝を着き、ユナヘルの様子を伺った。
「あなたは、誰ですか?」
掠れた声が出た。
聞かずにはいられなかった。
その女は表情の変化が乏しく、何を考えているのか分からない。
「ただの旅人」
「名前を、教えてください」
最後は音になっていなかったが、声は届いたようだった。
「私はスヴェ。きみは?」
声が出ない。
息が出来なくなって、目を開けているはずなのに何も見えなくなった。
スヴェ。
音が胸のうち深くに刻まれる。
それは希望の名前だった。
次回:救いの手③
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