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【クリーチャーの恋人】2-7 発露

2-6 ダブルデート<<前 <表紙とあらすじと目次> 次>>2-8 禁忌


 ダブルデートが終わり、柏木とモナは駅の近くの大きなゲームセンターにいた。
 すでに夜は更けていて、通りには酔っ払いの姿がちらほら見える時間だった。 

 若い男性が様々な筐体に向かって楽しそうに遊んでいる光景が広がっている。
 女性は少なく、音楽ゲームの筐体の前に数人いるだけだった。

 相変わらず、モナはゲームセンターでも目立った。
 近くを通りがかる客たちは、モナを見るや驚いて視線をそらしていた。


 イタリアンの食事のあとは皆で買い物をする予定だったが、誰が言い出したわけでもなく、早めに解散することになった。

 柏木はモナとそのまま帰るつもりだったが、たまたまゲームセンターが目に付いて、モナの視線から逃げるように飛び込んだ。


 柏木はUFOキャッチャーをやっていた。
 欲しくもない人形たちが、アクリルの壁の向こうに山と積まれている。

 アームはモナで、景品は自分。
 モナに引っかかって、柏木は捕まった。
 柏木はそんな風にゲームを見ていた。

 モナは隣でその様子を見ている。
 いや、モナが見ているのは柏木の顔だった。

「……悪かった」柏木はついに口にした。

「なにが」
「俺のせいでダブルデートが台無しだ。あんなつもりじゃなかった。最悪の空気だった」
「空気は良くも悪くもなかった」

「そういう意味じゃない」柏木はため息をついた。「常盤さんとは二人で何か話した?」

「ユウと恋人関係を解消しろと助言を受けた」
「へぇ」
「私はユウに遊ばれて捨てられるらしい」
「……それって意味が分かった?」
「分からない。常盤の言葉は半分以上意味が分からなかった。言語機能の見直しが必要かもしれない」
「見直しは必要ない。すぐに慣れる」

 モナは腰に手を当てた。
「質問が多すぎると相手は疲れる?」
「まあね」
「柏木は疲れてる?」
「俺なら平気」柏木は息を吸い込んだ。「恋人っていうのは特別なんだ。たいていのことは許せる」

 アームが動き、人形が落下した。
 百円を追加して、ゲームを再開した。

「じゃあ許せないことはある?」
「夜中に突然動き出して、像を改造するのはやめて。マジでビビる」
「でも手の数は多いほうがいいでしょ。同時に仕事ができる。今度は頭も増やす予定」
「それじゃアシュラ像になっちゃうだろ」
「井口風香とはどんな関係?」

 柏木は疲れた笑みを浮かべる。「……二人きりになったらすぐ聞いてくると思った」
「どう聞くのが一番いいか、悩んでいた」
「悩んだ末に出てきた一番いい聞き方がそれかよ」
「勢いで話してくれるかと」

「井口は、昔近所に住んでた幼馴染。姉みたいな存在だよ」
「姉に会うと、あんな怯えたような反応を示すの?」
「……そうだ」柏木は投げやりに言った。「人間という生き物は、姉に会うと体がおかしくなる」

「やはり、人間とガリオンは違うみたい。私は兄弟姉妹に会ってもおかしくはならない」
「ガリオンに兄弟姉妹があるのか?」

「これまでは意識しなかったけど、ミラルの例のように、私と他のガリオンを人間の関係に当てはめてみた。
 ミラルは私から生まれたため、人間で言うなら私の子に相当する。
 他には、例えばメーネというガリオンは、私より先に女王から生まれた第一世代であるため、私の兄か姉に相当する。
 ……しかしガリオンに性は無い。兄は男、姉は女を示す言葉。対象に性別が無い場合、兄弟姉妹に相当する言葉はある?」
「ないよ。性別が無い人類は、今のところ物語の中にしかいないはず。あったとしても俺は知らない」

「残念」モナはそう言ったが、少しも残念そうには見えなかった。「話を戻す。私は兄か姉にあたるメーネに会っても、あのように硬直したりしない」

「ごめん、嘘」柏木はため息交じりに言った。「兄や姉に会っても、普通、人間はおかしくなったりしない」
「どうして嘘をついた」
「話したくないからだ」
「どうして話したくないの。私が人間じゃないから?」
「そうじゃなくて、誰にだって言いたくないことはあるんだ」
「私たちは恋人だよね?」

 柏木は目を細めた。
 常盤との会話で何かを学んだのかもしれない。

「モナにだって、誰にも言えないことくらいあるだろ」

 柏木は咄嗟にそう言って、核心に迫りすぎたと思った。
 モナの秘密は「侵略」だ。
 柏木に言うはずがない。
 刺激するべきではなかった。

「ない」モナは即答した。

 柏木はひそかに安堵して、そして、わずかに失望していた。「……へえ、そうかよ」

「私はユウのことを知りたい」
「俺だってモナのことを知りたいよ。なんたって俺たちは恋人同士だ」
「その通り。ちゃんとした恋人同士は秘密を打ち明け合うもの」

 モナは、この恐ろしい侵略者は、何の感情も宿らない目で柏木を見ていた。
 柏木は自分の額を叩いた。

「いつか話すよ」
「いつかって、いつ?」
「話したくなる時がくるかもしれない」
「いつくる? どうすれば話したくなる?」
「トイレ行ってくる」
「また? さっきから排泄の回数が多いように思う。腹部を触診させて。なにか異常があるかもしれない」
「遠慮しておく」
「ねえところで、さっきからなにをしているの?」


――――――・――――――・――――――


 柏木はモナにUFOキャッチャーのルールと操作方法を伝え、百円玉を数枚渡して、小さなトイレへ向かった。

 トイレで用を足した後、手を洗っていると、若い男たちが数人入ってきた。

「柏木雄一郎?」
 男の一人が言った。

 目が合った瞬間、柏木は顔面を殴られた。
 トイレの床に派手に転がる。

「よぉ。女子大の白石って知ってるよな」

 柏木は鼻を抑えながら顔を上げた。
 知らない男たちだった。
 だいたい大学生くらいの年齢に見えるが、中には明らかに三十代と思われるような男もいた。

 彼らは床に転がる柏木を囲むと、交互に蹴りを繰り出した。
 柏木は胃の中身を吐き出しそうになった。

 柏木は手で頭を守り、亀のように床にうずくまった。
 こういったトラブルは初めてじゃなかった。
 手当たり次第に女に手を出してればこういうこともある。

 鼻の奥がつんとして、火傷したように熱かった。
 口の中は血の味だ。

 こういう場合、下手に反撃して攻撃者を刺激しない方が良いことを、柏木はよく知っていた。
 下手に立ち向かって、もっとひどいことになったこともあった。

 柏木は、それにしても用を足した後でよかったと、トイレの汚い床に頬をつけながら思った。
 下手したら漏らしていたかもしれない。

 頭を思い切り踏みつけられて、感覚が遠のいた。
 意識が飛びかけたようだ。

「うわっ!」男の一人が驚いて叫んだ。

 いつのまにかトイレの入り口にモナが立っていて、じっとこちらを見ていた。
 男たちの暴行の手が、一旦止まった。

「お姉さん、こっち男子トイレだよ。あれ、言葉通じるのかな」別の男が、へらへらと笑みを浮かべながら言った。

 モナはいたぶられている柏木を見ている。

「これはてきじゃない。なにもするな」口の中が切れていて、喋りにくかった。

 柏木の中には、彼らが殺されてしまうかもしれないという恐怖だけがあった。

「おーおー、ヤリチン野郎は言うこともかっこいーな!」

 胴に蹴りを入れられ、体内で嫌な音が響いた。
 肋骨が折れたかもしれない。

「外人さん、どうしてこいつがこんな目に合ってるか分かる?」
 さらに別の男が、モナに近づいた。

「いいえ。わかりません」
 モナは柏木から視線を外さずに言った。

 顔面に蹴りが入る。
 瞼の上が切れた。
 派手な血が出る。

「……二度と白石に会うな。次は殺す」

 男たちは柏木に唾を吐くと、興味津々な目線でモナを見ながらトイレから出ていった。


 柏木は男たちがいなくなってから、ゆっくりと体を起こした。
 鼻血があふれて、胸元が汚れる。
 鼻を抑えながらふらつく足で立ち上がり、洗面台の鏡を見た。

 酷い顔だった。
 完治には数週間かかるだろう。
 息をするたびに胸部が痛む。
 青あざと、血と、赤い腫れと、切れた唇と、ひん曲がった鼻が、柏木の全てだった。

 柏木は曲がった鼻に恐る恐る触れた。

 ――するとどうだろう。
 鼻筋が動画の逆再生のように、元に戻っていく。

 瞼の上の傷は塞がり始め、青あざが消えていった。
 シャツにこぼれた血も、傷口に吸い込まれていく。

 柏木がモナの仕業だと気づくころには、あらゆる痛みは消え、傷は一つも残っていなかった。
 治癒に数週間かかるはずの傷は、わずか数秒で消え去ってしまった。

 それを理解した瞬間、臓腑がひっくり返るような言い様のない恐怖心が爆発する。
 確固たるものだと信じて疑わなかった自分の体が、実は雲のように不確かなものでしかないのだと突きつけられた気がした。

 柏木は個室の便器を覗き込んで、さっきのランチを全部吐き出した。

「強い拒否反応。ユウの性器を増やさなくてよかった」
「今その話はやめて」柏木は口の中のスパゲッティのかけらを便器に吐き捨てた。

「外傷は全部治したから、問題ないはず」

 柏木は再びトイレの床に座り込んでいた。

「二度と、俺の体をいじるな」

 本当に酷い気分だった。
 殴られているときのほうがましだ。

「肩にもまだある。古い傷」
「それもいじらなくていい」
「でも他にも――」
「いいから!」

 トイレに沈黙が戻る。
 柏木は他の利用者が現れないことを願った。
 しばらく立てそうにない。

 知らない男たちによってたかって殴られたことより、モナの力を受けたことの方が問題だった。
 手足の震えが止まらない。
 自分の体を造り替えられることがこれほどの拒否感を伴うとは知らなかった。

「あんなの、なんでもなかった」柏木は精一杯の強がりを口にした。「俺はずっと空手やってたんだ」
「からて?」
「格闘技。人間と人間が戦う技術のこと」
「学んだことが生かされていないようだったけど」

 ずばり言われて、柏木はうつむいた。
 だが確かに言うとおりだ。
 小中とずっと習っていたはずなのに、応戦するという気持ちすら沸いてこなかった。
 先制で一発もらってしまったことか、格闘技からすっかり離れていたことのどちらかが原因だろう。

「どうして殴られたかったの?」
「はぁ?」
「殴られたかったから戦わなかった。違う?」
「いや、じつはその通り」柏木は力なく笑った。「おいなんだよ、ガリオンってのは心も読めるの?」

「ええ」モナは何でもないことのように言った。

 冗談のつもりだった柏木は、言葉を失った。

「……人間が何を考えてるかわかるってこと?」

「あくまで感情の波を知覚できるだけ。それほど高性能な感覚器は、私には生み出すことはできない」
「へぇ、感情の波ね。なるほど」柏木は両手で口元を覆った。「わかった、もういい。どうしてそれを言わなかったの」
「今言った」
「ああちくしょう! そうだな、今言ったな!」

 柏木はため息をついた。
 気持ちを落ち着けないと。

「……どうしてこれまでの生活のなかで言わなかった?」
「聞かれなかったから」

 柏木は頭を抱えた。
 足元が崩れるような錯覚があった。

 どこまで知られている?
 倉谷のことは?
 モナの目的がこの世界の侵略であるという秘密を、柏木が知っていることは、モナに知られているのか?
 だとしたら、モナはどうして柏木を殺さない?

 いやそれよりも。
 感情の波を知覚できると言い切った。
 つまりこれは、柏木がモナを愛していないことが筒抜けだったということだ。

 モナは、柏木の嘘に気づいているはずだ。

「先ほどよりも強い恐怖を感じている。思考を読み取られることはそれほど苦痛?」

 男たちに殴り殺されていたほうがましだった。
 今すぐ死にたかった。

「ユウ、今あなたは心が乱れている」

 モナはいつもの調子だ。
 これまでどういうつもりだったんだ?

 二人の関係が、馬鹿げた恋人ごっこだって、知っているはずなのに。

 柏木は、目の前の生き物が本当に人間ではないのだと、今ようやくわかった。

 柏木はゆっくり立ち上がり、トイレを出た。
 モナはついてこなかった。


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