第九章 反抗者の帰還③
目次とあらすじ
前回:反抗者の帰還②
ユナヘルは王宮へ上空から侵入した。
警備の兵士が背を向けて逃げ出すなか、メィレ姫の自室まで移動した。
魔法を解除し、背から生えていた竜の翼を消滅させる。
柔らかな寝台の上に姫を横たえた。
息はしている。
心臓も動いている。
だがその瞳に生気は無く、何も見ていない。
「姫。メィレ姫」
なんだ。何が起きている?
「助けに参りました」
夢を見ているのか?
「メィレ姫、助けに――」
「お前は、間に合わなかった」
背後から声がして振り返る。
そこにはウルドが立っていた。
「間に――、なんですか?」
「メィレの魔法は失敗した」
ウルドは、寝台の上のメィレ姫へ目を落とした。
そこにどんな感情があるのか、読み取ることは出来なかった。
「本来この法は、対象者のみが記憶を引き継ぐ。メィレは、未熟だったのだ」
「何が言いたいのか……」
「メィレも、お前と同様に、繰り返す時間の中に囚われていた」
頭が、言葉を理解しようとしない。
「人の心では耐えられぬ永き時だ。既にメィレは壊れている」
記憶?
やり直しの記憶のことだろうか。
「ぼ、僕は、こっ、こうして無事です……、どうして姫だけ……」
「お前は国中を飛び回り、魔物と戦い続けた。メィレは、地下牢に閉じ込められていた。それが違いだろう」
喉がからからに渇いて、不快だった。
「『あなたは悪くない』」ウルドは独り言のように言った。「メィレの遺言だ」
「メィレ姫は死んでいません」
「死んだも同然だ」
「メィレ姫はっ! 死んでなんか!」
ウルドの手が、ユナヘルの額に伸び、ユナヘルは咄嗟に仰け反って避けた。
意味不明の行動に困惑するが、直後に思い当たった。
ウルドは、次に会ったときにやり直しの魔法を解くと言っていた。
「動くな」ウルドは眉をひそめた。
やり直しの魔法について、ユナヘルに詳しいことは分からない。
どのように対象者を選ぶのか、どのように解除するのか。
だがユナヘルには分かっていた。
まだ解けていない。
魔法具の刃を、自らの首へ向けて振り抜いた。
硬い岩にでも叩き付けたような感触がするだけで、首は繋がったままだ。
ユナヘルは戦慄した。
魔法を使った覚えは無い。だがユナヘルの首元は、赤い鱗で覆われていた。
勝手に防御した?
「よせ。意味は無い」ウルドが溜息混じりに言う。「時間を戻したところで、何も変わらない」
何を言っている。
失敗した。
だからやり直す。
何もおかしなことはないはずだ。
ユナヘルは自分に火を放とうとした。
魔法具の加護による強固な火への耐性を突き抜け、自らの体内から燃え、心臓を焼き尽くすように、意識を向けた。
異様な抵抗感に気付く。
魔法具が、ユナヘルに向けて干渉している。
こんなことがあるのだろうか。
今までに味わったことの無い感覚に戸惑いながらも、ユナヘルは魔法具をねじ伏せた。
熱を感じたのは一瞬。
即座に目と耳が機能しなくなる。
痛みは無かった。
体が膨れ上がり、そのまま破裂するようだった。
ユナヘルは暗闇に投げ出された。
思考が止まり、希薄になる。
そして何も分からなくなる。
◇
深い水底から水面へ浮上していく。
ユナヘルの意識が収束した。
「――そうか。そのようなことが、起こるのか」
誰かの驚く声が聞こえる。
息が苦しい。
目はよく見えず、周囲が明るいということしか分からない。
明るい?
ここはどこだろう。
どうなっている?
「灰より蘇る力だ」苦々しい声。「紅蓮竜は、火にまつわる全ての権能を内包している。お前の魂は竜に囚われた」
何故、ウルドの声がする?
王都に戻ったはずだ。
あの、始まりの夜に。
視力が、徐々に戻ってくる。
ユナヘルは、自分が倒れていることに気付いた。
上体を起こし、辺りを見る。
そこはメィレ姫の寝室だった。
着ていた服は半分ほど焦げており、ユナヘルは半裸の状態だった。
全身から煙が立ち上っており、体は凄まじい熱を持っていた。
体中にあった戦いの傷は、一つ残らず消えていた。
ユナヘルの体や周囲には、灰が積もっている。
ユナヘルの動きに合わせて、ゆらゆらと舞い上がった。
右手には、赤い鱗の魔法具がある。
ウルドは動けずにいるユナヘルに近付き、その額に触れた。
彼は両目を閉じ、僅かに首を振った。
「――竜の干渉か。もはや、我が力では届かぬ」ウルドは諦めたように呟いた。「許せメィレ。我が法を解く手段は無い。――だが、この者が時を遡ることは、もうない」
ウルドの姿が、蜃気楼のように揺らめいていく。
瞬きの間に、彼はその場から消えてしまった。
ユナヘルは魔法具を放り出し、立ち上がろうとしたが、上手くいかず転んでしまった。
体に力が入らない。
舌先が痺れる。
喉の奥が熱い。
たとえ体から離れても、竜の魔法具から伸びた見えざる手は、ユナヘルを掴んで離さなかった。
がくがくと震える膝で移動し、這い上がるようにして寝台の上へよじ登った。
ユナヘルは動かないメィレ姫を見た。
虚空を覗く空ろな目に、吸い込まれそうだった。
◇
魔物との戦いは苦しかった。
兵士と戦うのは恐ろしかった。
竜と戦っていたときは、心が潰れてしまいそうだった。
だが、打ち勝った。
徐々に力を得て、強敵を死闘を繰り広げ、最後には勝利した。
――馬鹿をいうな。
誰だって出来る。
時を繰り返すあの魔法をかけられれば、誰だって。
なんだってできる。
なんだってできたのに。
それなのに。
何を間違えた?
次回:反抗者の帰還④
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