第六章 王都攻略③
目次とあらすじ
前回:王都攻略②
夜が明けようとしていた。
ユナヘルは王宮の一角にあるその部屋の前に辿り着いた。
その全身には多くの傷があり、服は返り血と自分の血で真っ赤に染まっていた。
全て無傷で済ませることは出来ないし、またその必要性もなかったのだ。
部屋の前には救出班の者たちが数名控えており、その中にはオルコットもいた。
地下牢から出たばかりでみすぼらしい服を着てはいたが、その手には彼の魔法具が握られていた。
救出班によって助け出されたオルコットは、そのまま班に合流し、これまで戦い続けていたのだ。
「ユナヘル君」オルコットはかすれた声で言った。「君は、その魔法具は……」
「オルコット様!」若い女の声が聞こえ、背後から走る音が聞こえてきた。「ご指示通り、負傷者を集めました。治癒魔法を使える者が治療中です。あと、フリード様もご無事です」
兵士たちの中には、侵入者たちがメィレ姫の奪還作戦と知り、味方をする者が少なからずいた。
ミセリコルデも、そのうちの一人だった。
「酷い怪我ですね」赤毛の少女は、ユナヘルを見て言った。「こちらへご案内しま――」
ミセリコルデは、ユナヘルに気付いた。
「……えっ?」
ユナヘルは久しぶりにミセリコルデの声を聞いた気がしたが、決して気のせいなどではなかった。
彼女の声を聞いたのは、いつ以来だろう。
彼女はユナヘルの全身を眺め、両手の魔法具を見つめ、そしてユナヘルの顔をじっと見た。
「ユ、ユナヘル?」
「治療はいらないよ」ユナヘルは、立ち尽くすミセリコルデにそう言うと、オルコットに向き直った。「姫様に会わせてください」
「……ああ」
オルコットは静かに頷き、兵たちは無言で道を空け、重く分厚い両開きの扉を、ユナヘルのために開いた。
室内は広々としていた。
数点の調度品が並び、天蓋のある寝台と、窓際に小さな机と椅子があった。
メィレ姫は寝台の上に横たわり、数名の使用人によって介抱されていた。
中には魔法具を持った者までもが控えている。
姫はユナヘルを見つけると、使用人たちを退出するようにと促した。
あわただしく部屋から出て行く使用人たちは、途中、不審な目でユナヘルを一瞥していった。
姫はひどくゆっくりとした動きで体を起こすと、ユナヘルの体を上から下まで眺めた。
顔色は悪く、死人のように青ざめていたが、その目は確かにユナヘルを見ている。
部屋の扉が閉まる。
メィレ姫と二人きりになった。
窓の外からあわただしい声が聞こえてくる。
戦いの処理は長く続くだろう。
ユナヘルはこの先どうなるのかを知らなかった。
「姫様」ユナヘルは姫の前で跪き、震える声で言った。「お久しぶりです」
メィレ姫は、疲れきっているようだったが、それでも笑みを浮かべていた。目尻には涙がある。
「あなたには、苦痛を強いましたね。ユナヘル」
ユナヘルは心臓を握り潰されるような思いを感じた。
「なっ、えっ――」
「魔法は、失敗に終わりました。最初、私は自分自身に『力』を使うつもりだったのです」
メィレ姫は静かに喋った。
消耗が激しく、口を開くのも辛そうだった。
「ですが、不幸中の幸いだったようです。拘束され、私は地下牢へ監禁されてしまった。武器も無く、味方が誰かも分からない状況では、私自身にいくら『力』があったところで、状況を好転させることはできなかったでしょう」
メィレ姫にとって監禁生活は数日だったはずだが、考えてみればいつ処刑されるともしれない時間を過ごしていたのだ。
激しく疲弊していてもなんら不思議はない。
「姫様、『力』というのは……」
「ええ。時を遡る力です」
メィレ姫は静かに言い、部屋の隅へ視線を向けた。
そこには、いつの間にか精悍な男性が立っていた。
長身でがっしりとした体つきをしており、髪は白く、肌は浅黒い。
服装は貴族が着るようなものを纏っていたが、それはウルド国の服ではない意匠がこらしてあった。
ユナヘルは驚いたが、その男性は厳しい視線でユナヘルを睨むだけで、何も言わなかった。
静かな威圧感が向けられる。
見ただけで、目の前の存在が格の違う相手だと理解した。
「この方は、ウルド様です。かの魔法具に封じられた存在が、私に力を貸してくれたのです」
メィレ姫はそういって穏やかに微笑んだ。
ユナヘルは驚きの連続で心臓がばくばくと音を立てていたが、しかし妙に納得もしていた。
心のどこかで、馬鹿なことだと否定しながらも、その可能性について考えていたのだ。
この「やり直し」の力は、メィレ姫が与えてくれたものだった。
姫は寝台から降りると、ユナヘルの元へ近寄った。
足はふらついており、ユナヘルは思わず魔法具を放り出して姫の下へ駆け寄った。
崩れそうになる姫の手を取る。
華奢で、力を入れればつぶれてしまいそうな手だ。
「ここまで辛かったでしょう。よくぞ、よくぞ数多の死を乗り越え、辿り着いてくれました」姫はユナヘルの魔法具へ目を向けた。「ウルド国内の魔物を封印して回ったのですね。戦う力を得るために」
姫は膝をつき、ユナヘルの手を取っていた。
言葉も出ない。
憧れの人が、自分のために涙を流している。
「……だっ、誰にでも、出来たことです」ユナヘルは搾り出すように言った。「この力さえあれば、誰にだって……」
「いいえ。決してそんなことはありません」姫は強い口調だった。「確かに、死をきっかけにして、無限に時を繰り返すことは出来ます。しかしその心が折れてしまえば、あなたにかけられていた魔法はその力を失い、消え去っていたでしょう」
ユナヘルは最初のころに兵士たちに殺され続けていたことを思い出す。
もしあの時、繰り返す死に全てを諦めていたら、やり直しの力は失われていたのか。
だとすれば、やはり救い出してくれたのは姫だ。
姫を心の支えにして、自分は強敵と立ち向かうことが出来たのだ。
「あの、どうして自分だったんですか? 自分なんかよりも優秀な候補がいたのではありませんか?」
姫は沈痛な面持ちで眉をひそめた。
「国王が死に、次々と味方が減っていき、フリードまでいなくなった。……私は、誰も信用できなくなってしまった」姫は深々と頭を下げた。「あなたには謝らなければなりません。ずっと、ずっと、謝らなければと、思っていました。あなたの気持ちを利用しました。あなたならば、私を助けるために動いてくれると、そう考えたのです。ごめんなさい。私は、私はあなたを……」
「やりたくて、やったことです」
「それでも言わせてください。助けに来てくれて本当にありがとう。どれだけ言葉にしても足りません」
メィレ姫は顔を高潮させ、大粒の涙を流しながら言った。
「メィレ、そろそろいいか」
ウルドが低い声を出し、近づいてくる。
「……ええ、お願いします」メィレ姫は涙を拭った。
ユナヘルは咄嗟に身を引いた。「なにをするのですか?」
「あなたにかけられている魔法を解くのです。このままでは、時が経ち、あなたが天寿を全うした後でも、時が遡ってしまいますから」
それを聞くや、ユナヘルは姫とウルドから飛び退くようにして大きく離れた。
メィレ姫とウルドの表情には困惑がある。
あれ?
僕は何をしている?
ここで「やり直し」の魔法を解かれてはまずい。
まだ全てが終わったわけではないのだ。
ここからまた、デュリオ王子派の残党による悪辣な罠にかかるかも知れない。
この力はこの先も必要だ。
言いたいのは本当にそんなことか?
ユナヘルの思考には空白が生まれていた。
そしてそこに、一つの像が結ばれる。
それは「目」だ。
暗く淀み、全てを諦めた、死んだ目。
ユナヘルは、自分がその目をしていたことを、知っている。
「ユナヘル?」
姫は首をかしげている。
姫の疑問は当然だ。
だがユナヘル自身にも、自分の行動の意味を分かっていない。
呼吸が荒くなり、苦しくなった胸を無意識のうちに押さえつけていた。
よせ、やめろ。
ユナヘルの頭の中の何かが警告する。
ここで終わりだ。
この旅は、ここが目的地なんだ。
あとは、辛く苦しい戦いだったとか、それでも自分は姫への思いを糧にして立ち向かったとか、そういう苦労話をして、英雄のように崇められて、それでいいじゃないか。
手元を見ろ。
あれだけ欲しかった魔法具が、いくつもある。
巨人の怪力も、精霊の雷も手に入れた。
大した怪我だって負ってないし、姫から賞賛だって得られた。
これから目が眩むような褒美も、誰もが憧れる地位も、思いのままだ。
姫のそばに居続けることだって、容易く叶うだろう。
これが欲しかったんだろう?
ごん、と音がした気がした。鈍器で頭を思い切り殴られた感覚だった。
◇
母親の死体の下で、ユナヘルは凶悪な魔物の息遣いを聞いた。
血の匂いが鼻をつき、すぐそこまで「死」が迫ってきていることを、否応無く理解する。
父親が食い殺されるのを眺めながら、早く終わって欲しいと願っていた。痛くても苦しくても良いからと。
あと数回瞬きをするうちに見つかり、全身を噛み砕かれ、肉を食いちぎられる。
ここで、この場所で死ぬ。
絶対に助からない。
体が氷に包まれるような気分を味わった。
震えは止まらず、強烈な吐き気も収まらない。
やがてユナヘルの順番が来た。
魔物は、地に転がった柔らかな肉に鋭い牙を突き立てようと口を開き、そして莫大な閃光に飲まれていった。
何人もの村人を殺し、ユナヘルの両親も惨殺したその魔物は、メィレ姫の指揮する兵士によって、あっけなく駆逐された。
助かったのだと、命が繋がったのだと、ユナヘルはメィレ姫に差し伸べられた手を取って、ようやく実感した。
姫は、魔物に襲われている辺境の村のことを聞いて、駆けつけてくれた。
他の誰もやろうとしなかったことをやってくれた。
もしも姫が、他の者たちのように見て見ぬ振りをしたら?
多少の犠牲はよくあることなのだと、割り切ってしまっていたら?
ユナヘルは死んでいた。
絶望に浸ったまま、魔物に食われ、僅かな肉片を残してこの世から去っていた。
ユナヘルは知っている。
その人に、救いの手を差し伸べてくれる者は、どこにもいないのだ。
――自分以外には。
◇
「姫様、お願いがあります」
ユナヘルの声を聞いて、メィレ姫はすっと表情を険しくした。
「なんでしょう。私に出来ることなら、何でも叶えるつもりです」
「ありがとうございます」ユナヘルは、一つ大きく息を吸い込んだ。「この力を、もう少しだけ貸していただけないでしょうか」
メィレ姫の目が細くなった。
「……何か、やりたいことがあるのですか?」
「どうしても助けたい人がいます。その人は、僕だけが助けられるんです」
言葉にすることで、ユナヘルは自分の気持ちがはっきりと固まっていくのを感じた。
そう、僕だけが助けられる。
僕以外の誰にも、助けられない。
スヴェが目の前で死んでしまうことが嫌になって逃げ出した。
ただそれだけだ。
泣き言はまだ早い。
「その方は、どのような人物ですか?」
「蛇の亜人に育てられた方です。この『時間』では、既に死んでしまっています。彼女の存在なくして、姫様の元に辿りつくことはできませんでした」
「その方を助けたい、と」
「彼女を助けたら、メィレ姫を、必ず助けに来ると約束します」
メィレ姫は何かを考えるようにユナヘルから目をそらした。
しかしそれは一瞬のことだった。
メィレ姫の視線はすぐにユナヘルの目をまっすぐ捉えた。
「分かりました」
「いいのか?」傍らに立つウルドが口を開いた。「お前は――」
「構いません。ユナヘルの恩義に報いたいのです」
ウルドは難しい顔で腕を組んだ。「――お前がそう言うのなら、それでいい。ならばこの人間にかけられた法を解くのは、再びお前がこの状況から救い出されたときだ」
ウルドはユナヘルを見た。
「人間よ。見逃すのは、この一度だけだ。よいな」
ユナヘルはウルドの言葉に若干の違和感を感じつつも、力強く頷いた。
メィレ姫はユナヘルに向き直る。
「ユナヘル。私はこの王都で、あなたの助けを待っています」
「はい。待っていてください」
ユナヘルはそう言った。
◇
ユナヘルが部屋を去った後、メィレは窓際に戻り、寝台に座った。
体に力が入らない。
心の衰弱が、身体に強い影響を与えている、
「メィレ・リードルファ」ウルドが低い声を出した。「なぜ――」
「いいのです」メィレは震える声で、しかし断固として言った。「彼は私のために、何度も、――何度も死んだのです」
「……ならば何も言うまい」
「私のわがままを聞いてくださって、ありがとうございます」
「良い。これもリードルファの血族との契約である」
そういうと、ウルドは一瞬で姿を消した。
部屋には、メィレ一人が取り残された。
次回:第七章 永劫の彼方①
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