第七章 永劫の彼方①
目次とあらすじ
前回:第六章 王都攻略③
黒く焼け焦げた皮膚を見た。
桃色の臓腑が零れるさまを見た。
赤い筋肉の筋が、ぶちぶちと音を立てて千切れるのを見た。
死に続けるスヴェを、ユナヘルは見続けた。
スヴェは竜の攻撃を知らない。
竜に殺されるのが毎回初めてのスヴェは、毎回同じ攻撃で死んでしまう。
やがて、スヴェと協力して竜と戦う方針を放棄した。
ユナヘルは一人で戦うことにしたのだ。
冷静に、スヴェの死を数えることが出来るようになってしまったからだ。
◇
雲を裂いて閃光が走り、夜空に雷鳴が轟く。
眼下には、遥かなウルドの国土が広がっている。
森や、川や、荒地が、様々な色で塗り分けられている。
ユナヘルは<空渡り>の魔法で雷と化し、空を飛んでいた。
正確には、飛行よりも跳躍という表現の方が正しい。
雷でいられるのは一瞬であるため、常時飛び続けているわけではないのだ。
だがその一瞬で充分だった。
地面を走るよりも遥かに効率が良いのだ。
両手だけでなく、懐や腰にも魔法具があった。
背には竜を封印するための封印具が背負われていた。
時折休憩を挟みながら、ユナヘルは紅蓮竜の山へ向かっていた。
◇
メィレ姫を救うという当初の目的は達成できた。
魔法具を手に入れて、作戦失敗の夜から五日目の昼までにラグラエルの領地へ戻れば、何度でも救い出すことが出来る。
しかし、スヴェまで救おうと考えると、途端に現実味を失う。
スヴェを救う為に竜との戦いに時間を使えば、――仮に竜を倒すことが出来たとして――フリードの解呪が遅れ、メィレ姫派の領主たちの手勢を借り受けることは出来ない。
そうなれば、一人で王都へ向かわなければならなくなる。
全ての兵士を、たった一人で相手取り、姫を救出する。
そんなことは何度やり直しでも不可能だ。
だが、スヴェを助ける行程そのものが、メィレ姫の救出に繋がっていたら、どうだろう。
竜を倒せば、スヴェを助けることが出来る。
そして、竜ほどの強大な魔物を封じた魔法具があれば、全ての兵士を倒すことができるのではないか。
ユナヘルはそう考えた。
国を丸ごと敵に回すのだ。
伝説に謳われるような存在を封じた魔法具なら、釣り合いが取れるのではなかろうか。
竜を封印し、メィレ姫の処刑までに王都へ戻ることが、ユナヘルの次の目標だった。
◇
「紅蓮竜の山」の中腹にある森の上空で、真紅の鱗を纏った竜を見つけた。
巨大な翼を羽ばたかせ、優雅に空を飛んでいる。
この竜は、これからレムレース族の村へ行く。
竜の接近に気付いたスヴェは、村から離れた森の中で迎え撃つが、最後には殺される。
そしてその後、村も滅ぼされるのだ。
だが竜は決して飢えを満たすために村を襲ったわけではない。
時間をかけて調べたところ、紅蓮竜の山には何体かの大型の魔物の死骸があった。
食事の跡はほとんど無い。
竜が何のために村や魔物を襲うのか、そして、竜は何故今現れたのか。
ユナヘルには分からなかった。
竜を正面に捉え、ユナヘルは雷化を解いた。
夜空に投げ出され、落下が始まる。
ユナヘルは長槍を構え、魔法を放った。
稲妻が竜の頭部に直撃。
小さな唸り声と共に、ユナヘルへ角の生えた頭部を向ける。
竜は雷を受けても僅かにのけぞっただけで、鱗の下まで攻撃が通っているようには見えない。
ユナヘルは森へ落ちる直前、風の魔法で衝撃を軽減した。
綺麗に受身を取って頭上を見上げると、竜が牙をむき出して急降下してくるのが見えた。
ユナヘルがその場から飛び退くと、竜は速度を殺さず、木々を薙ぎ倒してそのまま地面に着地した。
ユナヘルを叩き潰すつもりだったのだろう。
地面から振動が伝わる。
ユナヘルは短く息を吐き、長槍と大剣を構えた。
竜の青い目がユナヘルを捉え、火の吐息が放たれる。
竜の頭上へ目を向け、「出現地点」を確認する。
光と化したユナヘルは竜の頭上よりさらに高い位置へ、一瞬のうちに移動した。
竜はユナヘルの姿を見失っている。
ユナヘルは再び落下しながら、じっくり一呼吸して、灰の大剣を振りかぶった。ばたばたと服がはためく音が聞こえてくる。
竜が頭の上に落ちてくるユナヘルを見つけた。
同時に、<灰塵>の怪力の魔法により豪腕を得たユナヘルは、竜の首に向かって全力で大剣を叩き付けた。
分厚い金属の板に槌を打ったような鈍い音が、辺り一帯に響き渡る。
竜の頭が衝撃でぶれる。
首元の赤色の鱗に、短い直線が描かれる。
鱗の表面に僅かな傷をつけた程度だ。
それを確認しながら、ユナヘルは竜の足元に軽やかに着地した。
<双牙>による獣化の魔法の恩恵だ。
傷を負った竜が怒り狂い、咆哮と共に足元のユナヘルを踏み潰そうと前脚を叩きつけてきた。
<灰塵>でそれを防ぎながら、衝撃を利用して背後へ飛び、竜から距離を取る。
今ではもう慣れたが、背中の封印具に傷が付かないよう、意識して立ち回っていた。
これまでにも、戦いに集中しすぎて封印具を壊してしまったことが何度もあり、ユナヘルは細心の注意を払うようになっていた。
竜は間髪いれずユナヘルに迫ってくる。
四つの脚で抉るように地面を蹴り、口元から炎を溢れさせながら。
ユナヘルは<空渡り>へ意識を向け、雷となって移動し、さらに森の中――魔物領の奥へ奥へと逃げこんだ。
これが竜との戦いにおける基本的な型だ。
<空渡り>の力を使って竜の攻撃を避け、隙を見て接近し、<灰塵>を叩き込む。
<灰塵>の切れ味の鈍さは、不幸中の幸いだった。
もしも刃が鋭かったら、竜の強靭な鱗の前に刃こぼれしてしまっていただろう。
ユナヘルは灰の大剣をほとんど槌のように使っていた。
木々を薙ぎ倒し、竜が迫ってくる音が聞こえる。
ユナヘルと竜の間には木の障害物があり、竜からユナヘルの姿は見えないはずが、竜は一直線にユナヘルの元へ迫ってきてきていた。
ユナヘルも気配を隠すつもりは無かった。
レムレース族の村へ行かせるわけにはいかないからだ。
ユナヘルは一息ついた。ここからが、今回の新しい試みだ。
ユナヘルは木々越しに竜の方へ向き直ると、<空渡り>の石突を地に立てて、その穂先を天空へ向けた。
要領は、<篝火>で爆発の魔法を使ったときと同じ。
魔法を放つ直前に「蓋」をする。
<空渡り>の槍の穂先から迸る雷を、無理矢理押さえつけるように想像する。
竜が森の中へ逃げ込んだユナヘルを見つけた。
数本の木々を超えて、竜の視線とユナヘルの視線がぶつかる。
そこはもう竜の吐息の射程範囲だった。
ユナヘルの体内で渦巻いていた雷の精霊の力が、臨界点を迎える。
そして魔法具を出口として現実世界へ噴き出した。
白く光る穂先から、細い雷が頭上に広がる青空へとまっすぐ昇っていく。
まるで空と魔法具が、一本の糸で繋がったかのような光景だった。
直後、竜の姿が光に包まれた。
それは天から降り注ぐ白色の円柱だった。
大地が揺れ、聞いているだけで身を引き裂かれるような轟音が響き渡る。
光を中心にして風が巻き起こり、森の木々を揺らしていく。
ユナヘルの視界は塗りつぶされたが、それは一瞬のことだった。
光の柱が消えると、円形に抉れた地面の中心に、目を閉じた竜が倒れ伏す姿があった。
効いている。
全身から白煙が上げた竜は、動こうとしない。
漂う匂いは、竜の焼けた匂い。
鱗を貫き、下の肉に届いたのだ。
これまでにない竜の様子を見て、歓喜に震えたユナヘルだったが、自分が激しく消耗していることに遅れて気付いた。
体の中の芯が抜き取られたような不快な気分を味わいながら、それでも追撃のための一歩を踏み出す。
紅蓮竜の青い瞳が、ユナヘルを見た。
竜は体を起こしながら、翼膜の破れた両翼を広げる。
全身に負っているはずの傷を、まるでものともしていないその動きに呼応するように、ユナヘルの肌が急激な温度の上昇を感じ取る。
嫌な予感がして、ユナヘルは<灰塵>を地に突き立て、盾の様に眼前に構えた。
――現れたのは、火の世界。
見渡す限りの木々が真っ黒に炭化して、炎の花が咲いていた。
足元に生えていた青々とした草木も全て焼け焦げている。
高温によって大気が歪み、そこら中が蜃気楼のようにゆらめいている。
無事なものは、何一つとして存在しない。
森が燃えているというよりも、燃えている森の中に放り込まれたようだ。
ユナヘルは僅かな間に風景を変容させた恐るべき力に愕然とする。
一体、炎はどこまで広がっているのだろうか。
<灰塵>による魔法無効化が間に合っていなければ、ユナヘルも今頃周囲の木々と同じように燃え上がっていただろう。
森の中は現在も高温の大気が満ちており、通常なら呼吸することもままならないはずだが、手元にある魔法具の加護によってユナヘルは命をつなぐことが出来ていた。
これまでとはどこか違う種類の咆哮が聞こえ、ユナヘルは竜を見た。
紅蓮の体の周りでは大小さまざまな炎の塊がいくつも生み出されていた。
その炎のいくつかは、人の子供の姿を象り、紅蓮竜に寄り添って漂いだした。
ユナヘルは直感する。
あれらは<空渡り>に封じられた雷の精霊に匹敵するような、高位の火の精霊だと。
竜の火から生み出されたものは、それだけではない。
炎の翼と知性を湛えた瞳を宿した巨大な鳥。
二対の太い腕を持ち、全身から白煙を噴き上げる角の生えた大鬼。
真紅の稲妻を迸らせ、ゆっくりと空を漂う溶けた鉄の塊。
何対もの翼を持つ、飛行に特化した小型の竜。
三つ頭を持つ犬に似た四足獣が生み出され、それぞれの口から火を吐いているのを見て、ユナヘルはそれがオルトロスの上位種だと即座に気付いた。
火より生まれ、火を宿し、火に属するものの軍勢。
それらは確固たる肉の体を持ち、この世に生み出され自らの主が真の力を示したことに対し、歓喜に踊り狂っていた。
翼の生えた火を噴く大きな蜥蜴は、ユナヘルを明確な敵と認識し、その姿を変えたのだ。
ユナヘルは、火を纏う竜の姿を見て、不意にウルドのことを思い出した。
この威圧感は、メィレ姫の傍にいたウルドの姿を見たときと同じだ。
紅蓮竜は単なる魔物の一匹などではない。
時さえ操るウルドと同等の力を持っている。
竜がユナヘルを見る。
その大顎から、炎ではなく、見ただけで目が灼けるような、まばゆい白が溢れ出た。
それは雷と同じかそれ以上の速さでユナヘルに向かい<灰塵>の盾にぶつかった。
魔法を消し去るキュクロプスの力を持ってしても、白く輝く紅蓮竜の吐息を無効化できたのは僅か一呼吸。
ユナヘルは確かに見た。
絶対の信頼を預けていた灰の大剣が融解し、ぽっかりと穴が空くのを。
次回:永劫の彼方②
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