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【クリーチャーの恋人】2-4 プレゼント

2-3 無謀な実験<<前 <表紙とあらすじと目次> 次>>2-5 全裸脱走


 柏木は、冷房を効かせたアパートの自室で、大型のゴールデンレトリバーを前に座り込んでいた。

 窓の外でぎらつく午後の太陽は、薄いカーテンによって遮られている。
 うるさいセミの音も、全力で稼働する冷房の室外機の音によって、柏木の耳には届かない。

「お手」
 柏木はレトリバーに手を差し伸べた。

 だがレトリバーは微動だにしなかった。
 口を開いて舌を出し、柏木のことをじっと見つめている。

「おかわり」

 レトリバーは動かない。
 退屈そうだ。

 明るいクリーム色の体毛は、モナの黄金の髪を思わせた。

「お座り」
 柏木は語気を強めて言った。

「ユウ、それはすでに座っているのではありませんか?」
 ベッドに寝そべっていたミラルが言った。

 柏木はミラルをにらんだ。
 ミラルは今、体毛の短い黒い猫ではなく、真っ白でふかふかのペルシャ猫に姿を変えていた。

「そもそも、『練習』が目的なら、その方法は違うのではありませんか? 何をしているんです」
「……分かってるよ。ちょっと、別のやりかたを試そうと思って」

 柏木は現実に引き戻された。
 溜息をついて肩の力を抜き、スマホを取り出した。

 白銀のオオカミが雪山を走る動画を眺め、イメージを膨らませる。

 柏木は目を閉じ、オオカミの生き生きとした様子を思い浮かべながら、ゴールデンレトリバーの頭に触れた。

 レトリバーの体が変化していく様子が、手のひらを伝わってくる。
 数秒経って変化が落ち着いたところで、柏木はゆっくり目を開いた。

 ごつごつした鱗と、ぎょろりと動く目玉と、長い鼻先に、鋭い牙が並んだ口元がある。

 レトリバーは見事変身し、頭部だけがワニになっていた。
 胴体は犬のままで、なんとも不気味だった。

「失敗ですね」
「分かってるよ!」

 柏木はペルシャ猫に吠え、ワニ面犬の背後に回ると、犬の尾を引っ張った。

 ワニ面犬はぐにゃりと形状を崩すと、すぐに元のレトリバーへと姿を戻した。

 柏木はため息をついた。

 ずっと同じことを繰り返している。
 このまま続けても何か進展があるようには思えない。


 なぜ柏木が、奇妙な犬型生物の相手を始めたのか。

 ことの始まりは、数時間前にさかのぼる。


――――――・――――――・――――――


「えっと、つまり、どういうこと? ミラルはモナから生まれたってこと?」
 柏木は塀の上を並走するミラルに言った。

「人間の定義に当てはめれば、そうなります」
 ミラルは尾をぴんと立てて歩いており、柏木にしか聞こえない指向性を伴った声で話していた。


 午後、柏木は近所のスーパーでの買い物を終え、ついてきたミラルと一緒にアパートへの帰り道についていた。

 中天でぎらつく太陽は薄い雲に隠されていたが、風が無いせいでじっとりとした暑さが襲っている。

 右手のビニール袋の中には、日用品や食材が詰め込まれている。
 ギリシャの彫像が料理してくれるが、買い物はさすがに柏木が担当していた。

 最近、大学にもバイトにも行っていない。
 外へ出かけるのは、デートか、こうした買い出しのときだけだった。

 久保塚からは、柏木を心配する連絡が頻繁に来ている。
 だが柏木は余裕がなく、返事はおざなりだった。


 ちなみに、倉谷は資金面で援助してくれるようになった。

 デート等でかかる費用について相談したところ、結構な額を口座に振り込んでもらえた。
 バイトの貯金を切り崩していた柏木は、おかげで一息つくことができていた。

 デートし放題、デートに使う服も買い放題、という夢のような状況だったが、当然ながら手放しでは喜べなかった。


「分殻については知っていますか?」
「このまえ、モナから一通り聞いたよ。モナがいじってる彫像とか、ミラルのキメラもそうでしょ」
「キメラ?」
「ほら、ミラルがよくいじってるあれだよ。部屋の隅っこに転がってる、虫とか鳥とかが混ざったキモイやつ」

 ミラルは頷いた。
「そうです。『分離した外殻』。それが分殻です。
 分殻に一定以上の複雑な思考機能を持たせ、長時間自立行動させると、極低確率で命令外の行動をとる分殻が現れます」

「命令を無視する奴がでるってこと?」
「はい。そういった分殻には、内部で『内殻』が生まれ、ガリオンへと変成します。それがガリオンの繁殖方法です」

 自我の芽生えた人工知能みたいなものだろうか。
 創造者へ反旗を翻すAIたちは、今では使い古されたアイデアだ。
 AIは労働者から仕事を奪い、最後は暴走して人類に牙をむくのだ。
 そうでなければAIではないとさえ言える。

 言えないか。
 どうでもいいか。
 ……自分は、疲れているのかもしれない。
 柏木はため息をついた。

「じゃあ、モナもそうやって、誰かの分殻から生まれてきたの?」
「モナは、『女王』から生まれた『第一世代』です。特別なんです」

「……えーっと、女王ってのは?」
「全てのガリオンの根源となった個体です。女王の分殻から生まれた第一世代のガリオンたちから、すべてが始まりました」

 柏木は、ミラルの口ぶりに、モナへのあこがれを感じた。

 女王から生まれたら第一世代か。

「性別は無いって言ってたのに、『女』王なのか?」
「人間のイメージに一番近い言葉を選びました。女王蜂とか、女王アリとか……。他の呼び方が良ければ何でもいいですよ」

 柏木は特に何も思いつかなかった。
「まあいいや。で? モナが第一世代なら、ミラルは第二世代?」
「正解です。私は、モナが生み出した、雑務を担当する分殻の中で意識を獲得しました」

 第一世代から生まれれば第二世代となり、第三、第四と続いていくのだろう。

「分殻から生まれるってことは、あの彫像も、キメラも、いずれモナとかミラルみたいなガリオンになる?」
「条件は満たしているので、可能性はあります」

 ミラルは思い出したように付け足した。
「ああ、可能性で言うならユウもそうですね」

「へぇ、俺もか……、えっ? ……えっ、えっ?」

 柏木はハトのように首を前後にかくかくさせた。

 ちょうど前から歩行者がすれ違って、柏木は恥ずかしくなって顔を逸らした。

 近くに人がいなくなったことを確認してから、柏木はミラルに言った。
「どういうことだよ」

「ガリオンが生まれるプロセスは、完全には解明されていないんです。『意志を持った分殻』から生まれることはわかっています。
 では分殻の定義とは?
 突き詰めればそれは、『変成の力の影響を受けている生体』のことです」

「つまり、えっと、俺のそばで、モナやミラルがぐねぐね生き物をいじる力を使ってるから、その影響を受けて、俺もガリオンに?」
「可能性の話です」

 ミラルは平然と言ったが、柏木はビニール袋を持っていない方の手で自分の体をぺたぺたと触った。

 頭が開いたり、指が増えたり、関節が逆方向に曲がったり、全身が裂けて口ができたりする?
 冗談じゃない。

「可能性って、どれくらいなんだよ」
「正確なところはわかりません。そもそも前例がありませんから、まず起こりえないと思っていいですよ」

 だったらいい、のか?

 感覚的には、隕石が落ちてくるのを心配するようなものだろうか。
 柏木はむりやり納得することにした。

 ミラルは柏木を見下ろした。「ガリオンにはなりたくありませんか?」

「え、いや、そういうわけじゃないけど、考える時間が欲しいっていうか……」
 柏木は思わぬ質問に面食らった。
「まだ人間を二十年ちょっとしかやってないし……」


 この話題は良くない。
 咳払いをして、話を戻すことにした。

 最初のミラルの質問は、「柏木にとってモナが恋人なら、自分はどういう存在か」というものだった。

「とにかく、モナから生まれたっていうなら、ミラルはモナの子供だな。つまり二人は親子関係だ」

「親とは、どういう存在ですか? 創造主?」
「創造主はないだろ」柏木はとっさに否定した。
「ではどのような?」

 柏木は頭をかいた。
 あなたにとって親はどんな存在か?
 笑ってしまいそうになった。
 小学校の道徳の授業じゃあるまいし、そんなこと改めて口にする機会なんてない。

 柏木は照れ臭くなったが、まじめに答えることにした。「……大切な存在かな」

「具体的にどのように?」
「ふとした瞬間に、『自分はこの親から生まれたんだ』と実感することがあって、それが大事というか……」

 ミラルは黙りこくった。
 ミラルの望む答えを返せていないことは明白だった。

「ミラルは、モナといるとどう思うんだ? 一人になりたいとか、一緒に居たいとか……」

「どうとも思いません。考えたことが無かったので」
 ミラルはひげを揺らした。
「私がモナの子とするなら、私とユウはどのような関係に相当しますか?」

 ミラルはモナの子供である。
 片親ということになるだろうか。
 ではモナはシングルマザーか?
 子連れの女に手を出した経験はないし、シングルマザーの子どもと接した経験もない。

 柏木の思考はフリーズした。
 しかしフリーズするのはもう慣れた。
 モナやミラルと関わっていると、よくフリーズする。
 最近では、立ち直りが早くなった。

 年の離れた兄弟のよう、という答えが適切に思えたが、柏木はそうは言わなかった。

「友達かな」柏木は適当に誤魔化した。

「友達ですか」
「納得いかない?」
「考えてみます」


 アパートに到着し、階段を上る。
 柏木は家の扉を開けた。
 ミラルが柏木の足元をすり抜け、先に部屋に戻った。

 冷房によって冷やされた空気と一緒に、モナが出迎えてくれた。

 モナは裸エプロンだった。

「オカエリナサイ」
「うぇっ!」

 モナはそのまま柏木に飛びついてきた。
 たわわに実った二つの果実の感触を、エプロン越しに堪能する。

 柏木は外から見えないよう、慌てて扉を閉めた。

 モナの肌が柏木と触れるが、モナは変形しなかった。

 柏木はモナの肩を掴んで引きはがした。
 モナは不自然な笑みを張り付けている。

「オカエリナサイ」

 柏木はモナの顔をじっと見た。
 目に意思が無い。
 これはモナじゃない。
 ただの人形だ。

「オカエリナサイ」モナの人形は、壊れたように同じ言葉を繰り返している。

「中身が上手くいっていない。調整中」

 部屋の奥からモナがやってきた。
 宙を漂う蛇、内殻の姿だった。

 細い触手の先には小さな肉片がぶら下がっていて、そこから声が聞こえていた。
 声帯を作り出したのだろう。

「私自身が外殻から抜け出して、操作しなければ、制御異常は起きない」
「つまりこれは、モナの姿をした分殻?」
「その通り。完全に自律行動する分殻。これならユウと触れることができる。セックスも」

「オカエリナサイ」裸エプロンのモナはまだ繰り返している。

 これとセックスするのか?

 柏木は裸エプロンのモナから離れた。

「……これって、モナにとって意味のあることなのか?」
「分からない。だけど私の姿をした何かとセックスすれば、ユウは満足するかもしれない」
「おかえりなさいしか言わないけど」
「意味のある会話機能の実装は難しい。でもこうして私自身が隣で会話することで補えると思う。どう?」

「たぶん、それをすると、えっと」

 柏木は頭をかいた。
 モナが作ったモナの姿をした人形と寝たら、それはモナと寝たことになるのか?
 それってモナはどう思うんだ?

 頭が痛くなってきた。
 話を変えよう。

 柏木は靴を脱ぎ、モナの抜け殻に抱き着かれたまま、ビニール袋を台所にいるギリシャ像に渡した。
 像は袋を受け取り、中身を冷蔵庫や棚に仕分けしてしまってくれた。

 ちなみに、像は今、ダビデではなくてマルスになっていた。
 下半身には柏木のトランクスをはいている。
 丸出しではなくなったことで、柏木の心にはわずかに平穏が訪れていた。

「どうして裸エプロンなんだ」
「人間の性癖について勉強した」
「コンビニの雑誌は読むなって言ったよね」

「これで」モナは触手でタブレットを持ってきた。「画像検索した」

 画面には、子供には見せられない画像が映し出されていた。
 タブレットの使い方を安易に教えたのが失敗だった。

 柏木は頭を押さえた。

「問題だった?」
「そりゃあ――」

 ピンポン、と玄関でチャイムが鳴った。
 訪問者だ。

「モナ」
 柏木が言うと、青い蛇は宙を泳ぎ、モナの姿をした外殻に口から飛び込んだ。

 虚ろだったモナの目に光が戻る。
 完全に制御を取り戻したモナは、裸エプロンを変形させて上下ジャージ姿になると、跳ねるような足取りで部屋の奥へ引っ込んでいった。

 柏木は玄関口で訪問者の対応をした。
 なるべく部屋の中を見られないように気を付ける。

 訪問者はネット通販の配達だった。
 柏木は段ボール箱を受け取ってハンコを押し、玄関の扉を閉めた。

「なんだった?」モナが奥から顔を出した。
「プレゼントだ」

 柏木はモナに紙袋を渡した。
「プレゼント」
「贈り物。モナに贈り物だ」

 モナは床に置いた段ボール箱を開けて、中の本を取り出した。

 それは美術のデッサン用の人体解剖にまとめられた本だった。
 他には動物図鑑に昆虫図鑑が入っている。

「喜ぶか分からなかったけど、前、俺の本見てたから」
「これ?」モナは持っていたエロ本を掲げた。
「違う。美術資料」

 本棚の美術関連の書籍を指した。

 モナは本棚を見て、柏木を見て、手の中のプレゼントを見た。

 柏木は慌てた。
「もう持ってた? いや持ってるわけないか。……感想は?」

 モナは柏木を無視し、本をめくって眺めている。

「……モナ?」

 モナは驚いたように顔を上げた。

「私は今、喜んでいる。自分が喜んでいることに驚いているだけ。ありがとう」

 モナは笑わなかったが、目が輝いていたのが分かった。

 柏木は答えられなくなってフリーズした。

「……私、また何か間違えた? こういうときはお礼を言うものでしょ」
「合ってる!」柏木は慌てた。「どういたしまして」

「何が欲しい?」モナは本を閉じた。

「別にお返しを要求してるわけじゃない」
「プレゼントにはお返しするもの。私は知っている」

 モナは周囲を見回して、天井付近で漂っているクラゲを見つけた。

 クラゲはモナに近づき、姿を変え始めた。

 数秒後、それは大型犬の姿をして、柏木の足元に落下した。

 それはゴールデンレトリバーだった。
 立派な体格で、柏木の知る大型犬の大きさよりも、二回りも大きかった。

「これなら持ち運んでも、不自然な形状じゃない」
「犬?」
「ユウを護衛する機能はそのまま。ユウの命令も聞くようにした。うまくすれば自在に変形や分裂もさせることができる」

 その犬は外見だけ取り繕っているようで、中身ははく製かロボットと言われても納得してしまうような出来だった。

「ユウは我々ガリオンに怯えている」
「怯えてなんか――」
「恐怖の正体は未知であること、不自由であること。その犬と長く接触し、自在に操れるようになれば、ガリオンに対する恐怖も薄れるはず」

 柏木は疑問を覚えた。
 本当だろうか。

「可能性の話」柏木の顔を見てモナが付け加えた。

「いずれは攻撃機能も実装する予定」
「たとえば……?」
「この前のオスたちのような相手に遭遇しても、自動で迎撃してくれる。硬質の棘を生成し打ち出す。高速で対象を貫く」
「……対象はどうなる?」
「確実に主要臓器に命中するので死亡する」
「実装しないで」
「自己防衛は認められているはず」
「過剰だよ」

 モナは鼻を鳴らした。
 納得していないようだったが、頷いてくれた。

「さて、これは今、犬の形をしているが様々に変形する」

 モナが視線を向けると、犬は姿を変えた。
 犬から猫へ、猫から狐へ、狐から狸へ。
 大きさも様々で、柏木は見ていて少し楽しくなった。

 モナはレトリバーに戻して柏木に言った。
「やってみて」
「えっと、どうやって?」
「それは柏木の思考に反応する。変形の条件は『接触』だ。触った状態で、変形させたい形状を思い浮かべて」
「とっさに思いつかないよ」
「なんでもいい」

 柏木は膝をつき、モナに言われるまま、犬の頭に触れた。
 犬は舌を出して柏木をじっと見つめている。

 これは、モナとさらに親密になるチャンスだった。

 モナは贈り物を返してくれた。
 進展しているといえるんじゃないか。

 柏木は想像を膨らませた。

 犬の体の輪郭が、ぐにゃりと歪む。

 そして、ゴールデンレトリバーは、顔だけオランウータンになった。

 人面犬ならぬ、猿面犬といったところか。

「何を想像した?」
「……モナ」
「変形したのは顔だけだ。しかも人間ですらない」

 モナは腕を組んで柏木を見下ろしている。

 柏木は妄想をつづけた。

 犬は、猿になったり、ゴリラになったりと変化した。
 しかしそれは部分的なものでしかなく、体を丸ごとすべて変化させることはできなかった。

 柏木は焦って一旦犬に戻そうとした。
 だが想像しても、犬の姿にならず、たてがみが伸びて不完全なライオンになった。

 モナはしばらく様子を見ていたが、身をかがめ、その不完全生物の尾を引っ張った。

 何かのスイッチが入ったように変形し、わずかな時間で元のレトリバーに戻った。

「尾を引っ張ればリセットするようにした。……ユウには才能が無いみたい」
「悪いね。犬を変形させる才能が無くて」

 柏木は唇を尖らせた。
 そもそもそんな才能を持った人類が存在するのか?

「大丈夫。期待はしていない」
「……皮肉?」
「いいえ?」

 柏木が何かを言い返そうとしたが、モナは服をジャージから外出着に変形させた。
 プレゼントした本は、ベッドサイドに静かに置かれた。

「えっ出かけるの?」
「朝には戻る」
「どこいくの?」

 柏木は思わず口を開いていた。
 答えが返ってくるはずなどない。

 モナの行き先は決まっている。
 倉谷の拠点を破壊し、人類侵略のステップをまた一つ進めるのだ。

「どこへ行くかは、恋人には常に告げるべき?」
「……そういうわけじゃないけど」

 柏木はモナと見つめ合った。
 どういう種類の沈黙か、柏木には分からなかった。

 モナが何を考えているのか分からない。

 モナは少しの間硬直していたが、やがて動き出して家を出ていった。

 柏木の部屋には、猫と、マルス像と、キメラがいた。
 そして今、犬が追加され、さらに賑やかになった。

「……がっかりしてたかな」
 柏木はさきほどのモナの表情が気になって呟いた。

「何がです?」
「モナ。俺が犬を上手く変形させられなかったから」
「期待していないと言っていたじゃないですか。がっかりなんてしてませんよ」

 ミラルはベッドの上で、のんきな様子だった。


――――――・――――――・――――――


 ――そうして場面は戻る。


 柏木はしばらく続けていた犬の変形訓練を中断し、休憩していた。
 マルス像から渡された麦茶を飲みながら、忌々しい大型犬を見下ろしている。

 ミラルは部屋の中を歩き回ってた。
 いろいろな種類の猫に変化していたが、最終的には黒猫に落ち着いていた。

 窓の外は薄暗くなっている。
 もうすぐ夕飯の時間だ。

 柏木は事態を重く受け止めていた。

 この犬はモナからのプレゼントだ。
 うまくすれば二人の仲はより進展するはず。
 それなのにこの体たらくである。


 と、ポケットでスマホが振動した。
 倉谷から返事が来たようだった。

 長文だった。
 倉谷は、この前送った柏木の質問に回答してくれていた。

『死者の復活はできない』

 柏木は最初のその一文だけ読んで、スマホをポケットにしまった。
 じっくり読みたかったが、ミラルの前で読むのははばかられた。


 同時に、外から足音がして、誰かが歩いてくることが分かった。

 柏木は足音の主の正体を察して、ミラルとマルス像に目配せした。

 マルス像はトイレに隠れ、ミラルは部屋に引っ込んでキメラを押し入れに隠しに行った。

 久保塚がノックもなしに玄関のドアを開けた。

「おーい、生きてるか?」
「生きてるよ」
「……思ったより顔色いいな。近くまで来たから飯でもどうかと思ったんだけど、どうだ」
「おお、いいね」

 久保塚が借りているアパートは、柏木の住むこのアパートからは少々距離がある。
 おそらく、久保塚は柏木を心配して様子を見に来たのだろう。

 柏木は空っぽの台所を見た。
 マルス像が夕飯を作り出す前で助かった。

「で、最近どうしたんだよ。彼女でもできたか?」

 久保塚は冗談めかして言った。
 柏木が頷いて答えると、久保塚は目を丸くした。

「まじで彼女? ……セフレじゃなくて?」
「そんなところ」
「だれかと付き合い始めたのか!」

 久保塚は自分の家のように靴を脱ぎ、ずかずかと上がってきた。

「で、どんな人? 美人?」
「美人だな」
「どこの人なんだよ」
「うるさいな。お前は俺の彼女か」
「どこの女よ!」久保塚は、ごつごつした体格に似合わない甲高い声を出した。「紹介しなさいよ!」

「メシの時ゆっくり話すよ」

 柏木はこっそり振り返ってミラルを見た。
 ミラルは猫の振りをしてくれていた。

「ちょっとメールだけ打たせて。すぐに終わるから」

「りょーかい」久保塚は家に上がると、犬と猫に近づいていった。「なんだよおい、いつから飼い始めたんだ。よーしよし。おれどっちも好きなんだよね」

 ミラルは警戒した様子で久保塚を見ている。
 まさに猫そのものの態度だ。

 レトリバーはのんびりしている。
 久保塚にバレることはなさそうだ。

「……え、ここペット大丈夫なのか?」
「ヅカが黙っていれば大丈夫」

 久保塚はミラルを撫でながら、呆れたため息をついた。

「まったく……。この子たち、名前は?」

 柏木は犬と猫に目を向けた。「猫はミラル」

「ミラル? なんかのゲームのキャラから取った?」
「さぁ。本人がそう名乗ったから」

 ミラルは背筋をピンとさせ、ひげを震わせて、柏木をにらむように見つめた。
 何言ってるんですか! という顔だ。

「へぇ、おまえミラルっていうのか」久保塚は気にした素振りもなくミラルを撫で、次に犬に目を向けた。「こっちは?」

「名前は無いな」
「それじゃ可哀そうじゃん」
「じゃあクラゲ」
「クラゲ?」
「今決めた」

「変なの」久保塚はクラゲと名付けられた犬を撫でた。

 ミラルは「何が起きているのか理解できない」という態度で久保塚と柏木と交互に見た。

 ミラルは久保塚に構われている。
 今がチャンスだった。
 柏木はスマホを開いた。

 柏木は倉谷へ、『ガリオンの力で、死んだ人間をよみがえらせることはできるのか』という内容の質問をしていた。

 生物を操る魔法のような力を間近に見ていたら、当然の疑問だった。

『死者の復活はできない。外見はそっくりに再現できても、人間の魂を復元できない。魂は扱いが難しい』

 ガリオンという生物と関わると、魂という言葉が頻繁に出てくる。

 柏木は、魂とか、幽霊、霊魂といった、目に見えない心霊的な要素は信じない主義だった。
 だがガリオンという超常の存在が言う以上、それらは本当に存在するのであり、信じるしか無かった。

 倉谷のメールには、『魂を復元することができないから死者の復活はできない』という旨を、わかりにくく書いてあった。

『誰か蘇らせたい人でも?』
 倉谷のメールの最後にはそう書いてあった。

『気になっただけ』
 柏木は短く返信した。

「この犬と猫、仲いいな」
 久保塚は、犬でも猫でもない生き物たちを撫でながら言った。


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