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第八章 蛇の娘②

目次とあらすじ
前回:蛇の娘①


 竜と戦う「何か」。

 スヴェはそのことだけを考えていた。

 ラフィは「未来視」とやらの力を使ったわけではなく、普通に考えて推測しただけの、誰にでも思いつくものだった。

 だがラフィの言葉は、スヴェの胸にすとんと落ちるような感覚があった。

 誰かが戦っている。

 紅蓮竜の山で。一人きりで。

 夢に出てきた少年は、どこにいる?

 避難を開始して数日が経過していた。

 明け方の森を、蛇の亜人種の集団は一列になって南へ向かっていた。

 ずるずると這いずる音が森に響いている。

 「足」音はスヴェだけが発していた。

 地面の揺れは時折感じられるが、紅蓮竜の山との距離が離れるほど、皆の気持ちが落ち着いていった。

「スヴェ姉さん。大丈夫?」ラフィがスヴェの後ろで言った。

「大丈夫って、何が」

「うんっと、姉さんが心配で……」

「私はあなたの方が心配」スヴェは振り返り、ラフィの顔を見た。「このまえみたいな……」

「姉さん?」

「ラフィ、本当に何も覚えてない?」

「なっ、何を?」

「避難が始まった夜のこと」

 ラフィは目をそらしたが、スヴェの両手で顔を挟まれて、観念した様子で俯いた。

「覚えてるのね? 何を見たの? 何が見えたの?」

「……よくわかんないけど。小さな人間がいて、竜と戦ってるの。そんな風景だけが見えて――」

「その人間は勝てるの?」

「……姉さん?」

「私、少しおかしい」

 どうしてこんな衝動が湧き上がるのか、分からない。

 何もかも曖昧で、確かなことは何一つ無い。

 だがスヴェは振り返り、元来た道を見た。

 そうしなければならないような。

 そうするべきだったような。

「ラフィはみんなといて。お父さんを手伝って」

「だめ! スヴェリア姉さん!」

 ラフィの尾がすばやくスヴェに伸びる。

 だがスヴェは決断も行動も速かった。

 蛇の尾をするりと避け、スヴェは魔法具の力で道を戻り始めた。



 道中、スヴェはいくつかの亜人種の集団と遭遇した。

 レムレース族と同じように、住みかを捨てて少しでも紅蓮竜の山から離れようとしていたのだ。

 また、緩衝区まで逃げ出している魔物も見つけた。

 竜の影響がそこかしこに広がっているのを、スヴェは肌で感じ取りながら、紅蓮竜の山を目指して進んでいった。

 行きはレムレース族の移動速度に合わせていたが、今は一人きり。

 スヴェは何にも束縛されること無く、<月影>の魔法で野を駆け森を抜けていった。

 紅蓮竜の山にたどり着いたのは、日が沈んだ頃だった。

 山の中腹辺りから、破壊の跡が広がっているのが見えた。

 木々は黒煙を吐き散らし、燃え盛り、周囲は昼のように明るい。

 紅蓮竜は火の魔法を扱うという。

 スヴェは<銀鏡>で水の魔法を用い、熱への耐性と、<月影>で火そのものへの耐性も獲得した。

 火を避けるようにして山を登っていくが、魔物と遭遇しない。

 気配も感じない。

 全てどこかへ逃げてしまったかのようで、紅蓮竜の山をこれほど容易に進んだのは初めての経験だった。

 進むに連れて破壊の具合が一段と酷くなっていき、スヴェは更に慎重になった。

 抉れた大地に注ぎ込まれた溶岩が熱を放っている。

 無事な草木は一つもない。

 地面のぬかるみが酷くなり、山頂から溶けた雪が流れてきているのだと分かった。

 地を揺らす振動は断続的に続いており、戦いが終わっていないことを示していた。

 さら進むと、見たことの無い火の魔物が、幾多にも横たわっていた。

 息があるものはいないが、それらの魔物が秘めている力を感じ取った。

 もし封印具でこれらの魔物を封印すれば、国が傾くほどの魔法具を生み出せるだろうという確信があった。

 スヴェはさらに慎重に進むことにした。

 気配を消し、足音を消し、魔法具の使用を抑える。

 心臓は痛いほどに高鳴っていた。



 竜は強大だった。

 目で見える距離に近付く前から、スヴェは息が苦しくなるのを感じていた。

 死んでいた火の魔物たちなど足元にも及ばない存在なのだと分かり、イヴェルの言葉は何一つ誇張ではなかったのだと思い知らされた。

 そして、その少年を、スヴェは見た。

 幼い少年だ。

 茶色の髪と、茶色の目をして、背は低く、体は細い。

 だが複数の魔法具を使いこなし、戦っている。

 火の魔物を蹴散らし、溶岩の海を飛び越え、竜と真っ向から。

 その姿を見たとき、不思議な懐かしさを感じた。

 初めて見るはずなのに、昔から知っているような、そんな気分だった。

 少年の魔法具から赤黒い雷が走り、竜に傷を負わせる光景を見て、スヴェは胸のうちの高揚を抑えられなくなった。

 雷の精霊の種類は少ない。

 スヴェはこれまでの旅でそのほとんどの魔物と遭遇しているため、雷の魔法についても少なからず知っているつもりだった。

 だがあの赤黒い雷は、まるで魂でも対価にして放っているようなあのおぞましい魔法は、スヴェの知らないものだった。

 一体どうやればあのような魔法が使えるのか、見当もつかない。

 今、伝説を目撃している。

 スヴェは恍惚としていた。

 体が熱を帯び、胸が苦しくなった。

 切り取られた絵のようなその光景を、ずっと見ていたくなってしまった。

 戦いの余波に巻き込まれないよう距離を取り、決して見つからないように細心の注意を払いながら、その光景を目に焼き付けていった。

 やがて、少年が膝をついた。

 スヴェは思わず声を上げそうになって口を押さえた。

 竜も少年も、ぼろぼろだった。双方の体に、無事な箇所はひとつもない。

 竜は少年を見下ろすと、ゆっくりと口を開いた。

 それを見て、スヴェの体は勝手に動き出していた。


次回:蛇の娘③

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