第七章 永劫の彼方③
目次とあらすじ
前回:永劫の彼方②
夜の闇を駆逐して、炎が吹き荒れる。
周囲は明るく、まるで昼のようだった。
溶融した地面は河となって横たわり、地形の高低に沿って流れていた。
ところどころにある真っ赤な水溜りは、爆撃で陥没した地面に溶岩が流れ込んだことによって形成されたものだ。
山肌に這うようにして生えていた草花で無事なものは一つも無く、全て焦げ付いていた。
強烈な魔法が直撃した地面には、きらきらとした結晶ができている場所もあった。それらはまるで硝子のようだと、ユナヘルは思った。
火の魔物の死体がいくつも転がっている。
それらを踏みつけながら、ユナヘルの背後から大鬼が強襲してくる。
竜の炎から生まれた魔物の、最後の一体だった。
もう何発魔法を打ち込んでやったか覚えていない。
キュクロプス並みに体力のある魔物だった。
ユナヘルは死を知っている。
暗闇に投げ出され、自分の存在が希薄になり、意識が拡散するようにして消滅していくことを、その身をもって体験している。
あの感覚こそが命の終わりであることを、ユナヘルは理解していた。
<空渡り>に封じられているエンリルの魂を磨り潰し、力を引き出す。
胸の中心に激痛が走った。
放たれた赤黒い雷が直撃し、大鬼は膝から崩れた。
大鬼の胸部の肉は吹き飛び、大穴が開いており、沸騰した血液が流れ出ていた。
同時に、ユナヘルの右手の槍のひびが進行していく。
<空渡り>も限界が近付いている。
だがこれで、竜が生んだ魔物は全て倒した。
制限があるのか、制約があるのか、竜の炎から生まれてくる魔物の数には限りがあった。
軽く息を吐く。
現在は九日目の夜。
ようやく竜と一対一だが、おおむね、これまでの周と同じ進行だ。
姫の処刑が行われる十日目の昼。
その前に封印できれば良いのだが、これまで一度も成功していない。
ユナヘルは竜を封印できた後のことはあまり考えていなかった。
処刑が行われる前に王都に戻れればいい、とは思っていたが、具体的に何時までに竜を封印できれば間に合うのかは分からなかった。
恐らくは、竜の魔法具で――かつてヴィトスが使っていた魔法のように――背に翼を生やし、王都まで一息で飛んでいけるだろうと、漠然と考えていた。
飛行が可能になるとすれば、王都まで半日もかからないのではないか。
もちろん羽を生やす魔法具を持ったことのないユナヘルにとって、それは推測に過ぎなかった。
とにかくまず、竜を封印する必要があった。
黒煙が突風に吹き散らされた。
夜空が広がる頭上から、爆炎を纏った岩石が降り注いでくる。
地を砕き、炎と衝撃を撒き散らす破壊の雨を、ユナヘルは慣れた様子で避けていく。
周囲に広がった溶岩の海に落ちないように、ユナヘルは<双牙>の力で飛び越え、固い地面の上に着地した。
悪寒が走り、雷化して移動する。
ユナヘルのいた空間を、分厚い鉄塊さえも瞬時に焼き切る細い熱線がいくつも通過していく。
細かく移動しながら、熱線が放射された位置を確認する。
溶岩の川を数本隔てた陽炎の向こうに、全身から血を流した紅蓮竜がいた。
ところどころの鱗が剥げ、その下の筋肉が剥き出しになっている。
頭部の角の片方は、根元からへし折れていた。
もっとも、ユナヘルの方も無事というわけではない。
魔法具による加護を貫いて、全身には満遍なく火傷がある。
度重なる爆音により、耳はほとんど機能していない。
魔法具もひどい有様だった。両手の大剣と長槍はどちらもぼろぼろだ。
無事なのは腰にある<双牙>と<篝火>くらいだった。
竜の咆哮が聞こえ、傷だらけの大剣を構えた。
竜を中心に爆炎が吹き荒れ、さらに地形が変化する。
大地を蹴り、竜が駆け出した。
翼膜に穴の開いた翼を広げ、炎を纏いながら低空で突っ込んでくる。
たくましい四肢が地面を蹴るたびに、地に広がる溶岩が踊った。
雷速移動を開始。
横に回避して脇腹に一撃入れようとしたが、移動先を先読みされていることを察する。
即座に雷化を解き、同時に大剣を振る。
鞭のようにうねり襲ってきた火の魔法を消滅させながら、体勢を立て直す。
竜は至近距離に迫っている。
前脚が振るわれる。
<双牙>で肉体を強化して一撃を掻い潜り、<空渡り>で一気に距離を取る。
遠距離戦が有利なわけではなかったが、接近戦は完全に不利だ。
息つく暇もなく、遠距離から次の魔法が来る。
竜が自らの力を誇示するように翼を広げた。
地響きが聞こえ、周囲に広がっていた溶岩が宙に浮き上がろうとしていることが分かった。
ただでさえ少なくなっている足場を奪われるのはまずい。
<灰塵>を地に突き立て、力を発動する。
その能力を最大限に拡大し、ユナヘルを中心とした広大な範囲の魔法の力を、一気に消失させる。
体の内側に痛みが走り、大剣のひびが進行する。
この魔法はあと一度が限度だ。
重力に逆らった溶岩の動きが収まり、竜の支配が消えたのを確認。
即座に長槍を、隙を晒している竜へ向ける。
迸る雷は細く伸び、槍の形を象った。
それは<空渡り>と同じ長さ、同じ太さをしていた。
雷そのもので出来た魔法の長槍は空を裂いて飛翔する。
竜は回避しようとしたが、槍の方が速い。
鱗を食い破って竜の翼の付け根につき立った。
浅いが、確かな傷のはず。
だが竜は痛がる素振りも見せず、次の攻撃を構えている。
竜は傷を負っているが、その動きに遜色は無かった。
むしろユナヘルから攻撃を受けるたび、様々な魔法で応えてくる。
まるで戦うことを楽しんでいるようだと、ユナヘルは思った。
そうだ、彼は――彼女かも知れないが――、きっと戦えることが楽しいのだ。
竜の一撃一撃には、歓喜が込められている。
血を流し、息を切らし、痛みに苦しみながら、ユナヘルはぼんやりと考える。
もし、竜の記憶の引継ぎ具合が変わらず、このまま封印が上手くいかなければ、永遠に竜と戦い続けることになるのだろうか。
それも悪くないのかもしれない。
ユナヘルの麻痺した心が答えた。
◇
気付くと、山の向こうから朝日が昇っていた。
十日目の朝だ。
数日間まったく休憩することなく戦い続けているが、それがどの魔法具の恩恵によるものなのか、ユナヘルは判断できなかった。
丸太の太さの尾が、鞭のようにしなって襲ってきた。
避けざまに雷を一撃お見舞いする。
熱線を避けたところへ、竜の顎が来る。
避けきれず、<灰塵>で受ける。
衝撃がぼんやりとした痛みとなって全身を通過した。
今回も駄目だ。
頭の中で誰かがそう囁いている。
足がもつれて、地面に膝をついた。
竜はユナヘルの目の前に降り立つと、首をもたげた。
これで終わりなのかと、問われているようだった。
竜がゆっくりと顎を開いた。
頭上から炎が来る。
反射的に<灰塵>で防ごうとしたが、体が動かない。
ここまでのようだ。
ユナヘルは目を閉じ、全身を炎が舐め上げるのを待った。
肌が心地よい冷気を感じ取る。
上下の感覚が消失し、ユナヘルは暗闇に投げ出された。
ばしゃっ、という音と共に、ユナヘルは重力を感じる。
痛みが、無くなっていない。
ユナヘルは全身を襲う倦怠感と戦いながら、目を開けた。
そこは王都ではなかった。
依然として、紅蓮竜の山にいる。
だが近くに竜の姿は見えない。
竜から少し離れた位置にある岩場のようだった。
ユナヘルは硬い岩の上に尻餅をついていた。
両手にはひびだらけの魔法具がある。
体は濡れていた。
水だ。
水で体が濡れている。
「ねぇ」
聞いたことのある声がして、ユナヘルは顔を上げた。
目の前には、外套を着た女性が立っていた。
手には小さな短刀状の魔法具、<銀鏡>がある。
そうだ、これは、水を媒介にした空間跳躍の魔法だ。
「何か手伝えることはない?」
スヴェは、ユナヘルに手を差し伸べていた。
次回:第八章 蛇の娘①
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