第七章 永劫の彼方②
目次とあらすじ
前回:永劫の彼方①
爪と牙に引き裂かれて臓腑を撒き散らし、巨体に押しつぶされ地面の染みとなり、灼熱の息に晒され灰となって朽ち果てた。
ユナヘルを敵と認め、紅蓮竜が積極的に攻撃魔法を使うようになってからは、さらに豊富な死を迎えていった。
雷速で迫る白色の吐息により、体が消失した。
うねりを上げる灼熱の溶岩に呑まれ、溶けた大地と混ざり合い一つになった。
遥か頭上から降り注ぐ火を纏った巨大な岩に叩き潰された。
竜の周りを漂う火の精霊たちに抱かれ、焼き尽くされた。
地を這い空を泳ぐ数多の火の魔物たちに襲われ、食い殺された。
極細に凝縮された熱線によって寸断され、いくつかの肉片となった。
山の一部ごと吹き飛ばすような爆撃に飲み込まれ、塵も残さず消え去った。
竜の視界に映る全てが瞬時に燃え上がり、灰となって焦土の風景の一部と化した。
だがユナヘルにとって、死はもはや通り過ぎる風景でしかない。
愚直に、鈍磨に、白痴のように、戦いを続けていった。
これまでに殺された経験は、ユナヘルに竜の動きを先読みさせた。
攻撃をかいくぐって懐へ潜り込み、巨人の怪力をもって一撃を加え、雷の精霊の力で離脱。
そうして竜をひきつけ、しかし決して本気にはさせず、攻撃を与えていく。
ユナヘルが一定以上の一撃――<空渡り>による光の柱を直撃させると、竜がユナヘルを「うるさい羽虫」から「敵対者」へと認識を変える。
鱗に包まれた肉体と、火の吐息を使った攻撃から、その身に宿しているあらゆる力を使って殺そうとしてくる。
かつてスヴェと共に戦っていた頃、スヴェの<峰沈み>による超重力の魔法を受けても、竜はこの姿にならなかった。
ユナヘルは、自分の力はスヴェを超えたのだろうかと、頭の片隅で考えていた。
竜が火を纏い、あたりの風景が地獄の釜の底へと変貌すると、ユナヘルが竜へ攻撃を加える機会は大きく減少した。
竜の多種多様な火の魔法と、竜が生み出した魔物の攻撃が同時に行われるからだ。
攻撃の密度はこれまでの比にならず、<空渡り>による回避と<灰塵>による魔法無効化が主体になり、まるで針の穴に糸を通すような行動を必要とした。
竜が百の攻撃をする間に、ユナヘルが出来る攻撃は一に満たない。
そして、そんな微々たる頻度で行われるユナヘルの命を懸けた攻撃は、大剣の頑丈さに期待した力任せの殴打だけで、せいぜい竜をのけぞらせて鱗に傷をつける程度の損害しか与えられない。
唯一大きな効果があった光の柱は、放つまでの「圧縮」に時間がかかり、竜が本気になる前の最初の一発以外は隙が大きく使えない。
竜を本気にさせず、細々とした攻撃を続ける方法も試したが、時間がかかりすぎてしまう。
また、竜には驚異的な治癒力があることが分かり、ユナヘルを悩ませた。
いくら傷を負わせても、次に一合する間にほとんど治ってしまっているのだ。
圧倒的な攻撃力不足。
紅蓮竜との戦いは、山の如く巨大で硬い金属を、手の平に乗るような小さなやすりで削り切ろうとしているようだと、ユナヘルは思った。
◇
永い時が流れた。
ユナヘルは魔法具へ意識を向けずとも、息をするように魔法を使えるようになった。
――いつからか、時間の感覚が無くなっていた。
竜が生み出す火の魔物について詳しくなり、一体ずつ相手にするのなら決して負けなくなった。
燃える鳥も、三つの頭を持つ犬も、取り巻く火の精霊たちも、もう敵ではない。
――気を抜くと、場面が替わっている。
魔力を圧縮させる技術が上達した。
通常の魔法を使う感覚で「光の柱」を放てるようになった。
連発しても、せいぜい息が切れる程度だ。
――セドナの大森林に入ったと思ったら、次の瞬間には紅蓮竜の山の上空を飛んでいる。
――キュクロプスと遭遇したと思ったら、エンリルを封印している。
<空渡り>で放つ雷を、槍の形状に変化させることに成功した。
速度は若干下がるが、威力が上がり、竜の鱗を破れるようになった。
セイフェアやヴィトスがかつて行っていた魔法と同じだろう。
――膨大な時間が石臼となって、ユナヘルの精神を少しずつ挽いている。
竜の攻撃の呼吸を、完璧に読み取れるようになった。
得意な攻撃は何か。
どんな行動を嫌がるか。
どの状況でどんな魔法を使ってくるか。
どこまで近付けば肉体攻撃に切り替えてくるか。
ユナヘルはこの地上の誰よりも紅蓮竜について詳しくなった気がした。
――これから訪れるのは「精神の死」なのだと、ユナヘルは直感した。
<空渡り>から、赤黒い雷を放てるようになった。
通常よりも段違いに威力が上がるが、魔法具にひびが入り、何度か繰り返して放つと砕けて塵になってしまうことが分かった。
使用回数の限られる魔法のようだ。
王都で調べようかとも考えたが、やめておいた。
竜に攻撃を加えられるのなら、それ以外はどうだっていい。
――自分の心がなくなってしまう前に、スヴェを諦め、メィレ姫を救うという「最低限の結末」を選ぶべきことが賢いのかもしれない。
――ユナヘルにはそれが分かっていたが、スヴェを諦めることが出来なかった。
他の魔法具でも、自壊を伴う魔法を使えるようになった。
魔法具ごとに差はあったが、大体三回から五回の範囲で魔法具は壊れてしまった。
――スヴェを殺すのは紅蓮竜の顎ではなく、自分の諦めに他ならないのだと、気付いてしまったからだ。
竜の胸元の砕けた鱗と吹き飛んだ肉の隙間から、赤々と脈打つ臓器が覗いている。
封印までもうすぐだった。
――これだけの力を得て、掴み取るのが最低限の結末なのか?
――何度でもやり直せる力を得て、メィレ姫を救ってスヴェも救うという理想の結末を捨てるのか?
どうやっても止めを刺せない。
全ての火の魔物を倒し、竜に致命的な傷を負わせたが、そこで時間切れだった。
十日目の昼、メィレ姫の処刑を迎えてしまう。
時間切れ前にやり直しをすることが多くなった。
「どうしてあのとき村に来てくれたんですか? どうして助けてくれたんですか?」
遠い記憶。
一体何時のことだか思い出せない。
場所は、そう、フリードの書斎だ。
あのとき姫は、フリードから借りた本を返しに来ていた。
「私だけが、助けられたからです」
あの時、姫はそう答えた。
そして、竜も「やり直し」の記憶を引き継いでいることが分かった。
◇
気のせいだと考えたのは僅かな時間で、疑問はすぐに確信に変わった。
ユナヘルは同じ相手と戦い、殺され続けることで、相手の攻撃の型を覚えこみ、格上の存在に対しても勝利してきた。
だからこそ「知っている攻撃を避ける」という動きが、ユナヘルにはよく分かったのだ。
竜は確実に、自分の動きの型を知っている。
ユナヘルが自分でも気付いていないような、攻撃の呼吸、癖、そういったものが読み取られている。
これまで当然のように通った攻撃が防がれるようになってから、ユナヘルはそう判断した。
竜も自分と同じように、繰り返す時間の記憶を引き継いでいるのかもしれない。
咄嗟に出てきた否定の言葉は、かつて竜に感じた威圧感を思い出して消えていった。
この竜は、時間を操るウルドと同等の強さを秘めている。
ならば、繰り返す時間の記憶を持っていても、おかしくないのではないか。
メィレ姫の元へ行き、ウルドに会い、話を聞こうと考えたが、否定する。
ウルドが助けたいのはメィレ姫だけだというのが、その口ぶりから分かった。
スヴェを助けたいのはあくまでユナヘルだけ。
力を貸してくれるとは思えない。
最悪、そのまま繰り返しの魔法を解除されることだってある。
現状、竜はユナヘルとの戦いの中で「これまでの戦いの記憶」を僅かずつ思い出している程度で済んでいるようだったが、ずっとこのままであるという保障はない。
そう考えたとき、ユナヘルはこの永すぎる旅において、初めて焦燥を感じた。
自分と同じくらい記憶を引き継ぐようになったら?
竜の行動はどうなる?
これまでと同じでいてくれるのか?
ユナヘルは恐ろしくてその先を考えることが出来なくなった。
次回:永劫の彼方③
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