寺が燃える
寺が燃えている。
炎が寺の全てを包み込む、大きな火柱となっている。
一報を帰宅途中に、妻からの電話、車中で聞く。自宅近くの寺が火事。自宅方向を見ると大きな煙が立ち昇っている。電話越しにサイレンが響く。車の周りにも現場に向かう消防車が。
アクセルを踏み込みたいが、帰宅ラッシュでそれはかなわない。
地方の小さな街にある自宅は寺町と言われる地域にある。向いも左隣もお寺さん。この辺のお寺は住民と緩く結ばれている。子どもたちがあちこちの寺の境内で遊んだり、時にはお墓の上を渡り歩く子どもがおり、それはえらく住職に怒られる。各々の寺の祭りも特に檀家でなくても何となく遊びに行く。その様な地域での寺の大火。
自宅向かいの寺、その一つ奥の寺が火事。自宅は火元から80m。
心なしかいつもより交通量が多い道を抜ける。駐車場は歩いて5分の立体駐車場を借りている。しかし、あと10mの立駐入り口に入れない。人や車であふれている。クラクションを鳴らし、何とか立駐に突っ込む。この人波はなんだ。
走り、家に向かう。妻は自宅から60mの電機屋の前に小2の息子と避難しているとのこと。とにかく走る。でも走れない。沸いたような人の海。普段は閑散としている場所。人を縫って走る。得体のしれない臭いが周りを包む。火事の臭いか。火の粉がちりちりと舞う。風は、強い。目指す方向は見たことのない黒煙の柱。道路の段差につまづき、派手に転ぶ。痛みは感じない。
自宅近くまで辿り着く。炎上している寺が見える。業火か。何を燃やせばこの様な巨大な火柱になるのか。150m以上離れているのに熱い。夕暮れを更に赤く染める。炎上している寺の住職の20代の息子とはスキーを教わる仲だ。彼はどうしているのか、寺の皆は無事なのか。更に走る。
風が強い。晩秋、西高東低の気圧配置が強風を吹かせている。風向きは燃えている寺から、自宅へ。家は諦める事になるかもしれない。
妻が避難したと言った電機屋周辺に来たが妻がいない。周りは人でごった返している。火の粉というには生易しいものが頻繁に降り注ぐ。拳半分ほどの燃えている木片。消火活動は始まったばかりのようだ。消防士がホースをポンプ車につなぎ凄まじい勢いでホースを伸ばす。ラッシュ時の新宿駅のような人のうねり。警察官が整理を始めた。妻を探そうにも人垣。息子もいない。
妻に電話を掛ける。繋がらない。動きながら再三電話を掛ける。自宅前に通じる道はロープが張られ入れない。消防隊のホースが地面に4,5本伸びている。延焼を防ぐために火元だけでなく自宅を含め周辺の建物にも大量の放水が始まる。妻を探しながら電話を掛ける。人波が山となっている。
ロープの向こうから妻が来た。
家にとりあえずの貴重品を取りに帰った、息子は?ここにいないの?貴重品取りに行くからここで待ってて、と言ったんだけど、いないの?
息子が戻る場合を考えて、妻をここで待たせる。大声で名を呼びながら息子を探す。周囲の混乱の中、声がどこにも届かない。
近隣中学の名札を付けたジャージを来た生徒が大勢いる。ここで初めて気が付く。この人波は野次馬か。近所の家屋からの避難ではないのか、火事場見物なのか。火事の現場で自分の息子を探す。人波が邪魔である。つまらぬ好奇心で来た輩が邪魔である。息子を探す。声を張り上げ、息子を探す。
左右を見渡しながら声を出して小走りで探す。誰かと激しく正面衝突をする。相手も僕も地に手をつく。構ってられないので簡単に、申し訳ない、と言いその場を離れようとする。30代後半の男性。相手が肩をつかんで来た。
おい あれだけぶつかっておいて、それだけで済ますんか。
関わってられない。ああ、すまんな、と言い、その場を離れようとする。
胸倉を掴まれ、相手の右拳が飛んでくる。左腕でブロックしようとするが間に合わずそのまま左頬で拳を受け止める。アスファルトに転がる。血の味が広がる。直後、相手はこちらの間合いに警戒心なく入る。私は転がったままだが、相手の足を払えば相当なダメージを与えられる。
そんな暇はない。立ち去ろう。
お前、なんか言わんのか。
人を殴り高揚しているのか。しょうがない。ただ、こちらも腹が立つ。
ああ、すまん。悪かった、でさ、あんたらここに何しに来てるんだ。
墓、墓がそこにあるんだ、墓を守りに来てるんだ。
大きな声で叫ぶ。墓を守りに来ている、墓を守る。
何のことかまるでわからない。ここにいて墓をどうやって守るのか、墓を守るとはいったいなんだ。
そんな事を考える暇はないが、なにか言いたい。
墓を守るのか。こっちは人を探しているんだ。小学2年生ぐらいの男の子、見なかったか、家は寺の近くなんだ、今、行方がわからない。見てないか?
言い捨てて、息子を探す。
携帯が鳴っているのに気が付かなかった。妻から。電機屋に息子が戻って来た、今一緒にいる、と。急ぎ走って戻る。
息子がいる。体の力が抜ける。いろいろと聞いてみようとするがぼろぼろ涙をこぼしている。抱きしめる。その間も火のついた大きな木片が飛んでくる。周りの野次馬も数を増す。それをとどめようと近所の交番、顔見知りの若い警官が声を枯らす。息子に聞くと、混乱に気が動転し私を探しに行ったらしい。もう一度抱きしめる。
延焼を防ぐため、地域の消防団が我が家に放水をしている。近隣の消防署もいくつか応援に来ている。
時間とともに少しずつ火の勢いが弱まる。
2時間後非常線が解かれ帰宅した。寺の息子もその家族も皆無事とのこと。
翌朝までに鎮火した。あれだけの火災でありながら人的被害はなく、物損も出火元の寺以外、主だったものはなかった。
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気温は低いが晴れ渡った4日後の土曜日。現場検証が全て終わり、炎上した寺の後片付けに行く。今日は小人数だそうだ。大きめのポット二つに温かいほうじ茶とコーヒーを淹れて行く。
炎上した寺はその形をとどめていない。住職とその家族が住んでいた住宅も全焼した。
寺の住職の息子と、その住宅があった辺りをかたずける。その息子の部屋辺りから水浸しになったスキーウェアに混ざってcdが大量に出てきた。
マリリンマンソン
「アンチクライストスーパースター」
寺の息子がにやけながら目を伏せる。間をおいて二人で爆笑する。
何聴いてもいいけどさ、寺の息子がよりにもよってマリリンマンソンかよ。寺で、アンチクライストかよ。
笑いが止まらない。腹が痛い。鳥肌実のDVDもある。それも二人で爆笑する。寺で鳥肌実か。
寺の息子が笑いながら言う。まさか火事で趣味がばれるとは。
少し離れた別の寺の住職がやって来る。
声を掛ける。
どうしたんですか、作務衣なんか着て。まるでお坊さんじゃないですか。
その別の寺の住職は住職らしくない。普段はチノパンやジーンズ、そしてベスパというイタリア製のスクーターで檀家回りをする。檀家からの評判はすこぶる良い。
作務衣な、ほらさ、後片付け、誰々が来て誰々が来ないって後々言うだろ。そんな時に別の寺の坊主が来て手伝いしてた、なんか良い話になるじゃないか。だから作務衣だよ。坊主アピールだよ。でもなんか人数少なくないか?え、明日?マジかー。無駄作務衣になっちまったな。しかし、お前らも寺の焼け跡で馬鹿笑いとか、楽しそうだな。ま、寺の焼け跡からマリリンマンソン出て来たら、馬鹿笑いするよな。どうせ火災保険、出るんだろ?
そのポット何が入っているんだ、お、コーヒーか。飲もう。
で、お前殴られたんだって?やり返した?勝った?
話、速いっすね。やり返さないですよ。そうそう、聞きたいんですけど、俺を殴った奴が墓を守るとか墓を守りに来ている、と言うんですよ。別に消火活動するわけではないんだけど。あれどういうことなんですか。
殴った奴が誰だかわからんが、墓を守るってか。それ、30代から40代ぐらいの奴か?そうか。墓を守る、とか言う奴らはまあ、それぐらいの世代だろう、じじい、じゃないんだよ。
言うとくが、悪い奴らじゃない、殴られてそりゃないと思うだろうが。そいつら犯罪とか侵さないしな。マイルドヤンキーともちょっと違う。普通の人だ、若いのに方言をやけに使う奴らかな。
彼らはこの街から出てないんだよ。地元から出てないのは視野がな、ちょっとだけ狭い。他を知らんから。でな、よく地域を元気にするのは、他から来たよそ者、常識に捉われない若者、後先考えない馬鹿者、というだろ。墓を守るというやつらは本当は常識に捉われない若者のはずなんだ。捉われてるのかもしれないな。
コーヒー無くなったな、お前さ、山用のバーナー持ってるだろう、ジェットボイルだっけ、持って来いよ、ここでコーヒー淹れてくれよ。
いや、さすがに火事の焼け跡で火燃やすの、まずくないですか?
おお、ここに自分で温かいコーヒーも飲めない、火事で焼け出された可哀そうな住職の息子がいるんだぞ、マリリンマンソンも聞けない哀れな奴が。
しょうがないのでジェットボイルを持ってきて焼け跡でお湯を沸かしコーヒーを淹れ、3人で飲む。
若いから、自分の意義とか考えちゃうんだよ。真剣なんだよ。でもな、自分の存在意義とか考えるか?そんなもん、しないだろ。そんなもん、考えるのがしんどいから趣味とか仕事とかマリリンマンソンとか聞くんだよ。
でな、地元にいるということに意義を見出すんだよな。墓を守るとか言うことでこの場所で生きることの証とか見出したいんだよ。それはそれでいいんだけどな。墓なんかな、俺が何とかするけどな。
お前確か、よそから来たんだろ、職場とかでなんかやっかみみたいのあるだろ、それも無理はないんだよな。よそ者、常に上から目線だからな。そう見えるんだよ。あんたも知らないうちにそいつらのプライドをズタボロにしているんだよ。そこはな、少し気を遣わんとな。
少し人が集まり始めたが、重機が遅れているので作業に入れない。
例の別の寺の住職がまた、言い出す。
ここで、焼き芋やろうぜ、うちの檀家さんが物凄い量の安納芋、持ってきたんさ、落ち葉とかあそこの建具屋の廃材貰ってやろうぜ。
皆がにやにやしながら、でも困った顔を作りつつ、焼けた寺の住職に話を付け、廃材を集めて焚き火をおこす。芋を大量に投げ込み、近隣の住民も呼んだ。誰かが酒まで持ってきた。
結局、今日は重機が入れないらしい。
僕は首謀者の住職に言う。
火事の焼け跡で焚き火で焼き芋、酒も飲むって、凄いですよね。
俺は、酒は知らんぞ。焚き火ってみんな勝手に集まるな。焼き芋あれば誰であろうと差し出せる。焚き火の前で殴られた奴ってあまり聞かないしな。
焚き火を囲むと暖かくなって気持ちがほぐれるし、囲んだ皆の気持ちがふわっとするだろ。柔らかい円が出来る気がするんだよ。僅かな時間だけど、色んな考えもってる奴らが焚き火を囲んで、皆の気持ちがちょっと近づくよな。
もう少しだけ火を強くしたいな、そうだ、お前スノーピークのとんでもなく重いけど良い焚き火台持っているだろ、それ、今持って来いよ。違う火なんだからよ。
焚き火の煙は何にも遮られずに真っ直ぐに秋の空に昇っていった。
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プリマドンナ賞を頂きました。
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