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noteコンテスト、そして自己顕示欲の行きつく先

※仕事依頼ページを作成しようとしたら、己の自己顕示欲と承認欲求と未熟さにのたうち回るテキストになった。リンク多め。申し訳ない。自己顕示欲炸裂だから。




キリン×note「#ここで飲むしあわせ」コンテストにて審査員特別賞(夢眠ねむさん賞)を頂きました。ありがとうございます。編集部と夢眠ねむさんの講評が嬉しいです。

他にも過去2回、noteコンテストで賞を頂きました。
ひふみ投信×note「#ゆたかさって何だろう」

ASICS×note「#応援したいスポーツ」

3回もコンテストで賞を頂きました。これも皆さんのスキ!とTwitterによるシェアのお陰です。本当にありがとう。

※コンテストについて。
コンテストで賞を頂く度に、どのようなものを書けばコンテストで賞を取れるのですかという質問を頂くのです、マジで。答えに窮します。書きたいものとコンテストのお題が一致すれば良いので楽しんで書きますね、ぐらいしか返答しておりません。そりゃそうだ。僕も審査員/編集部ではないのでわかりません。そして質問された方はその後音沙汰ないのが共通であります。
ロケンロー!

でも、コンテスト主催者の意図を組む事は必須だと思います。
例えば、【freee×note「#給付金をきっかけに」】
このコンテストで賞を取った「野やぎさん」「小野ぽのこさん」。
スポンサーであるfreeeの意図を理解されております。

コンテスト概要にはこのように書かれています。

このコンテストは、freeeがコロナウィルスの影響を受けたスモールビジネスを支援する「PowerToスモールビジネス」キャンペーンの一環で開催されています。

野やぎさんや小野ぽのこさんはこの「スモールビジネス」を汲んでいます。地元商店街でコロッケ買い占める。営業再開した飲食店に個人営業の花屋さんで注文した花束を贈る。
この時僕は魚沼市の4つのスキー場をめぐるお話を書いていました。全然違う。スモールビジネス、汲んでない。全然汲んでない(それにしてもこの二つのnote。最高です。今日はコロッケ買い占めて花束を贈ろうかな)。

それから、もしかしたら具体的な商品の写真や商品名は入れないほうがいいかもしれない。キリンコンテスト、もし僕がキリン担当者だったら他社取り扱い商品が入った記事や写真掲載は選ばない。それから自社商品名が入ったものをわざわざ入賞させるのも微妙。

これらがなんやかんやで完璧なのがこちら。サトウカエデさん受賞note(俺、これ、何回紹介してるんだ?)。IPA―インディア・ペールエールという文言が出てきます。商品名ではなくてビールの一種。僕の「28歳」にウイスキーを飲むシーンがあるのですが、シングルモルトという表現にしました。

今と過去、夏、そしてIPAが絡むところが最高なんです。

コンテスト。みんなが150㎞を投げ込んでくるわけだから色々思うところがあると思います。それも踏まえて楽しむことが出来ればいいな。



目指すところは「紙の書籍」。

同人誌も好き。声を掛けてくれるのは本当にありがたい。全力出す。
でも紙の書籍を熱望している。一般の流通にのる紙の書籍。本。電子書籍も良いのだけど、紙の本。bar bossa林さんも書かれていたけど、紙の書籍の世に対するインパクトは大きい。二つ目のコンテストを頂いた時に思う。こりゃ、もしかしたら今後何かの書籍を出せるかもしれない。何が手っ取り早く書籍化できるか。考える。

・how toモノ
書ける気がする。どんな事柄でも最短距離はあるし(それが最善かどうかは置いておき)人は最短距離を求めるのが常。それを書くことで人の為にもなる。僕にネタはある。しかしそれを書き、死んだときに棺桶に入れてもらうのはどうなのか。他の人はわからないけど僕はちょっといいや。というよりそんなに甘くはない気がする。

・官能小説
僕は書く事において描写を積み重ねることに重きを置いていたい。官能小説。描写だよね。多分書ける。相当いけるんじゃないか?how toより行ける気がする。how to よりある意味ロケンロー!。書くジャンル、何にしようか。まて。ジャンル?官能小説の作家先生は自分が「はぁはぁ」するジャンルを書いているのか?これ重要だぞ?しかしだ。死んだ時に(以下略)。それから、官能小説書いてそのジャンルを身内に見せられるのか?官能小説書いていること自体身内に知られるのは構わないけど、ジャンルやら性癖はどうなんだ?(これを読んで頂いている方々にお聞きしたい。己の性癖を身内に大々的に知られるのはどうでしょうか)。大体この世の中で中年男性の性欲ほど避けて通りたいものはない。

つまりのところ、今まで書いたもの、そしてこれから書くものを書籍にして出したい。しかし年齢的に今更作家として生業にする勇気はない。ということはこの「紙の本を出す」という動機とは何なのか。突き詰めると、自己顕示欲と承認欲求だけだ。書籍で大儲けなんて過去の話。
承認欲求。その身近な承認欲求として、noteのスキ!。これは凄い魔力を持っている。Facebook/Twitterなどとはまるでその重みが違う。今でもスキ!頂くと毎回拝んでいるから。マジで(4人とかまとめて頂いた時には、まとめて拝む。すまぬ)。そのスキ!が足りないのかと考えるが、十分頂いている。平均133スキ!(夢じゃね?)。それでもさらに承認欲求が欲しいのか。強欲。そうです、強欲です、強欲。ゴブリンと呼べ。しかし、強欲ゴブリンだけでは寂しい。



僕は基本SNSで愚痴を書かない。
(今日はガッツリ書いている)
(みんなの愚痴を読むのは結構好き。Twitterである方々の愚痴を毎日心待ちにしている)
僕の愚痴は酷い。僕の酷い愚痴を読ませて嫌な気分にさせるのは申し訳ない。おまけにnoteは練りに練った僕の成果物。読んで頂いて、楽しかった、良かった、と思ってもらえたらと。それが楽しい。そんな想いが少しずつ芽生えてくる。
「雨の夜のキャバクラと焼き鳥と再生と」
5本目のこれで少し意識する。

そして自分の書きたいことと、読んだ人の反応が良いバランスで噛み合ったなと思うのがこの「not too late」。コンテストでもなく編集部オススメにも拾われていない。しかしスキ!が今のところ「189」。これはかなり自信になっている。

Twitterで紹介される様々な方のnoteを読む。noteは僕より若い方々が多いから新鮮だ。僕の狭苦しい世界を広げてくれる。しかし若い世代のしんどさは僕らの世代と明らかに違うようだ。しんどさを外に向けるのではなくて己に向けているように思えるんだ。それはしんどいよね。それは前に書いた。

世を歩いていると、辛い事に目が行きがちです。自分の辛い事。他の方の辛い事。社会の辛い事。それらの辛い事を乗り越えた先に、明るい未来が待っているなんて事は微塵も思いません。
ただ、たのしい事、嬉しい事、たまたま乗り越えた景色、たまたま出会った美しい景色、たまたま出会った素晴らしいテキスト、それらに焦点を合わせることでその日一日は生き延びる事ができると思うのです。
僕はnoteを始めて良かったと思うことの一つに、noteの素晴らしい記事をTwitterで紹介できる。アナリティクスをみると今まで紹介したnote、最低でも「4人」リンクをクリックしている。
その「4人」に勝手に思いを馳せます。
いい記事でしょ。一日生き延びたよね。良かった。僕も生き延びたよ。
この世界は意外といいものなんだと。

この世界はそんなに捨てたもんじゃないって。そして僕はいつかそんなnoteを書きたい。そしてその日まで生き延びて何処かで会いましょう

書いた時尾崎豊とか言われたけど、出来れば小沢健二と言って欲しい。

思春期から20代。悩みは尽きない。しかし20代後半からの悩みはそこに諦めがついて回る。20代前半までの悩みにはまだ見えない、諦め。その諦めみたいなものを少しでも文章とか物語とかそんなものに書きたい。諦めって世の中ではあまり良い意味では捉えられていない。そりゃそうだ。理想やら夢やら素敵に見えるものを手放す事だから。でも拘りから自由になるという意味もあると思うよ。悪い事ばかりじゃないんだよね。そんな事を書いていけたらいいなと。

おかしい。コンテスト3回入賞してこれからもいっぱい書くから書籍化とか夢見させてくれとかいうnoteのつもりだったが。


ロケンロー!



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