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身近に使えるミクロ経済学

『週刊東洋経済』(2016年10月1日号)に寄稿した
・特別講義:身近に使えるミクロ経済学
の草稿バージョンを以下に転載します。【補足1】と【補足2】は新たに追記しました。ゲーム理論や行動経済学から、ビジネスなどに活用できる知見を紹介する内容です。ぜひご参考下さい。

東洋経済


特別講義:身近に使えるミクロ経済学

 経済学的知見が一国の政策や国民の生活に取り入れられてきたことは間違いありません。近年では、マクロ経済学よりもミクロ経済学の知見の方が、より積極的に役立てられているように感じます。

 それはマクロ経済学という学問自体の性質も影響しているでしょう。景気回復のために金融政策で何をすべきか、あるいは財政再建のために増税をどのタイミングで行うべきか、といった基本的な問題に対してすら、専門家の意見はなかなか一致しません。白黒がつかない背景には、マクロ経済学で扱う問題の多くが、さまざまな要素が絡み合っていて複雑な上に、実験も実証も難しい、という事情があります。そのため、経済学者の間でも合意が得られにくいのです。

 これに対して、今日のミクロ経済学では、実験・実証が可能な問題を扱うことが珍しくありません。たとえば、開発途上国で風土病を根絶するためには、蚊帳や予防薬を有料にすべきか無料にすべきかという問題に対して、現実の集落・地域をランダムに選んで異なる政策を行い、その効果を直接比較するといった研究が行われています【補足1】。こうしたフィールド実験に加えて、学生などの被験者を実験室に集めて仮想的なゲームや制度をプレイしてもらい、理論の当てはまり具合をテストする、といった経済実験も盛んです。

 ミクロ経済学の研究成果の中には、経済学者の間でおおむね合意を得られているものが少なくありません。海外、特に米国では、こうしたミクロ経済学的知見が実践と強く結びついています。ビジネススクールで学ぶゲーム理論は、コンサルティング会社や経営者を通じて、実際の企業経営に活用されます。政府やシンクタンクには、経済学の博士号を取得した専門家が大勢います。ミクロ経済学の知見が一つのモジュールや共通の土台として、ビジネスや政策に応用されているのです。

 さて、ここからはミクロ経済学の知見の中で、実際に活かされているセオリーを見ていきましょう。 

勝者が勝者ではない? 「勝者の呪い」を避ける

 日本人選手が大活躍したリオ五輪。この五輪に関わるビジネスで、ミクロ経済学的知見が役に立つ格好の例があります。それは、五輪競技の放映権に関する入札です。

 五輪の放映権は、入札によって国際オリンピック委員会(IOC)が落札したテレビ局に売り渡します。落札金額は高額で、それを競り落とそうと各局がしのぎを削ります。勝者にとっては一大ビジネスチャンスの到来ですが、はたしてその落札金額は適正な水準となるのか。この例をもとに、「勝者の呪い」と呼ばれる問題を考えてみましょう。

図1

 上の図では、A~D社の入札金額が記されています。この場合、放映権を獲得するのはA社。五輪の放映権は、事前に「どれくらい儲かるか」といった実際の価値を厳密に知ることはできません。そのため、A~Dの各社は放映権を得ることで「いくら儲かりそうか」を予想して入札金額を決定します。A社は「この金額を払えば儲かりそうだ」と考えた結果、1000億円で応札、落札したことになります。

 このように、アイテムの価値が入札者間で(ほとんど)同じものの、事前にその価値が分からないという状況を「共通価値」と言います。石油の採掘権入札なども代表的な共通価値の例です【補足2】。

 共通価値の入札において重要なポイントは、誰も正確なアイテムの価値を知らないため、予想の違いが入札金額の差を生む、という点です。A社は放映権を勝ち取り、今回の入札の勝者となりました。しかし、A社は本当に勝者なのでしょうか。

 各社の金額を見てみましょう。次点となったB社は800億円で、A社とは200億円の差があります。C社は700億円、D社に至っては半分の500億円に過ぎません。四社の平均入札金額は750億円で、A社の金額と比べると250億円も低くなってきます。共通価値のもとでは「予想の違いが金額の差を生む」ことを思い出すと、B~D社の予想もA社と比べてかなり低かったはずです。逆に言うと、勝者であるA社は、入札企業の中で最も楽観的な予想をしていたことになります。

 結局、入札に勝てる時というのは、自分の予想がまわりの予想よりも高い時なのです。この点を忘れて楽観的な予想を修正せずに入札にのぞむと、払い過ぎてしまうでしょう。勝者が実際の価値よりも高い金額でアイテムを落札して、損をする現象を「勝者の呪い」と呼びます。

 いま仮に、実際の放映権の価値が、入札金額の平均よりも100億円高い850億円だったとしましょう。この場合、A社は勝者であるにも関わらず、150億円も損をしてしまいます。まさに、呪われた勝者となってしまうわけです。

 勝者の呪いを避けるためには、単に市場予測などを行って放映権の価値を予想するだけでなく、その予想が実際の価値よりも高すぎるということを考慮に入れて、控えめに入札しなければならないのです。 

ついつい選ぶ おすすめプラン

 朝からがんばって働いた後の昼食時間。レストランに行くと、次のようなランチメニューが出ていました。みなさんならどの食事を選ぶでしょうか。ここにも、ミクロ経済学の知見が隠れています。

図2

 この場合、多くの人が「本日のおすすめ定食」を選ぶと考えられます。お店があらかじめ用意したおすすめメニュー、しかも「本日の」と強調までされているので、知らず知らずのうちにこれが基準となる標準的な選択肢となってしまうからです。そして、他のメニューに変更する強い理由がない限り、標準である「本日のおすすめ定食」をつい選び続けてしまうのです。

 これは「デフォルトオプション」と呼ばれる、行動経済学の考え方の一種です。デフォルトオプションは、後で変更はできるけれどあらかじめ選ばれている選択肢のことを指します。保険契約のおすすめプランや、パソコンの標準設定など、現実にも様々な形で使われています。心理学の研究成果を経済学に取り込んだ行動経済学は、様々な実験を通じて、人々はデフォルトオプションを変更せず、選び続ける傾向が強いことを明らかにしました。

 この考えを逆手に取ると、客に選ばせたいメニューがある企業は、あらかじめそのメニューをデフォルトオプションにするだけで、かなり効果が期待できることが分かります。しかも、特定のメニューを強制するのではなく、客に選択の自由を与えた上で自発的に選ばせることができる、という利点まであります。「本日のおすすめ定食」も、ひょっとすると背後にはこうした店側の思惑が潜んでいるのかもしれません。

 店が客の選択をある程度コントールできる例として、デフォルトオプションとは異なるアイデアを、ワインの販売を題材にしてご紹介しましょう。こちらも、行動経済学が明らかにした面白い発見です。

 レストランのワインメニューやワインセラーの店頭をイメージしてみてください。A、B、Cの3本のワインが置いてあり、価格はそれぞれ1万円、7000円、3000円となっています。この場合、一番高いAはあまり売れず、二番目のBの売れ行きが伸びやすいことが知られています。極端な値段の商品ではなく、中間の価格帯が好まれるのです。

 さて、ここで新たに1万5000円の高級ワインDが追加されて、店頭に並んだらどうなるでしょうか。先ほどは一番高くて売れなかった1万円のワインAが、今度は二番目となり急に売れ始めるのです。A、B、Cの三択という少ない選択肢の中で選ばれなかったAが、A〜Dの四択という選択肢の増えた状態でかえって選ばれやすくなるという現象は、標準的なミクロ経済学では説明が難しいものです。このように、行動経済学の発展を通じて、従来の経済学とは異なるタイプの知見を引き出し、それを経済分析に応用させる試みも増えています。

物事はすべて中道へ 二大政党のジレンマ

 1990年代の半ばから日本では、米国のような二大政党制へ移行すべきとの声が高まりました。98年に民主党(現・民進党)が成立、09年に同党が衆議院選挙で勝利し政権交代を果たすとその声は最高潮に達しました。その後民進党が支持を大きく失い、現在では二大政党制への関心はやや薄れつつあります。

 この二大政党制という政治の話題と関連して、「二大政党のジレンマ」と呼ばれるミクロ経済学の興味深い分析が知られています。これは、当事者同士の戦略的な駆け引きを分析するゲーム理論によって得られた知見になります。  

 いま、二大政党制の国をイメージしてください。両党それぞれが、特徴的な政策や理念を持っています。次の図では、A党が「大きな政府」、B党は「小さな政府」を志向し、両党の立ち位置が両極端でそれぞれ表現されています。

図3

 ここで、各政党が自分たちへの支持を拡大するにはどうすれば良いでしょうか。より幅広い有権者や支持層を獲得するためには、対象や内容が広範囲な政策や、両党が合意しやすい政策を打ち出すことが有効です。図で言うと、これは相手の立ち位置に近づいていくことを意味します。結果的に、両党の立ち位置が急接近し、政策も似たようなものを提示するようになる。お互いにより多くの有権者を獲得しようと努力する結果、皮肉なことに、どちらも中道・中立的な政策と立ち位置に落ち着いてしまう、というわけです。

 これが二大政党のジレンマと呼ばれる考え方です。プレイヤーである政党が、立ち位置という戦略を同時に選び合い、お互いに有権者からの支持を最大化しようとする。発案者である経済学者の名前をとって、「ホテリングモデル」と呼ばれるこのゲームを解くことによって導かれる結果が、二大政党のジレンマなのです。この理論によって、自民党と民進党の政策が時に似たようなものだったり、政界再編がテーマになると野党から与党への移籍が噂される議員が出てきたり、という現実の政治の動きを説明することができます。 

 ホテリングモデルは、駅前になぜコンビニや居酒屋といった似たような業態の店舗が集中するのか、車や家電製品のデザインがなぜ似てくるのか、といった現象も同じ理屈で説明することができます。こうした応用範囲の広さは、ゲーム理論分析に見られる大きな利点です。

 伝統的な市場理論からスタートしたミクロ経済学は、ゲーム理論や行動経済学といったより新しい分析ツールを取り込みながら、その分析力と応用範囲を着々と広げています。実生活に役立つような知見に、今後もぜひ注目していって欲しいです。


【補足1】ここで言及した蚊帳に関する研究を含め、開発経済学の分野におけるランダム化の手法を用いたフィールド実験とその成果に対して、2019年のノーベル経済学賞が授与されました。詳しくは以下をご覧下さい。
貧困を減らす実験アプローチ

【補足2】「共通価値」「勝者の呪い」を最初に分析したウィルソン教授は、同じくオークション理論のパイオニアの一人であるミルグロム教授と共に2020年のノーベル経済学賞を受賞しました。受賞理由や関連情報は以下をぜひご参考下さい。
完璧なオークションを求めて

オークションの理論と実践について、過去の新聞や経済誌に寄稿した論考の一部をいくつかnoteに転載しております。こちらもご参考まで!
オークション理論とビジネスへの実践
周波数オークション設計の課題 正直な入札行動導く制度に
注目集まる「マーケット・デザイン」  欧米の制度設計で適用

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