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短編小説「Prince du muguet」

「じゃあ、行ってくるよ。帰ったら、いよいよだね。」
「そうね! お客様へのお礼、ほんとに私一人で決めていいの?」
「ああ。ボクはそういうの、苦手なんだ。贈り物のセンスがないのは、キミが一番よく知ってるだろ?」
「ふふ、そうね! じゃあ、私が決めておくわ。」
「うん、それじゃ。」
「気を付けて。」


そう言って、ボクは仕事に出掛けた。
飛行機で貨物を届ける仕事に。


こんなことになるのなら、もっとしっかりとキミを抱き締めて、愛を囁いておけば良かった。

軽いキスだけではなく。




ニューカレドニアからデュデューヌに向けて飛行している時に、それは起きた。

突然の、電源消失。
飛行機はロイヤルティ諸島の、小さい島に墜落した。

島とは言え、一周を回っても一時間も掛からなそうな小島だ。
もしかしたら、名前すら、ないかも知れない。

物事の良い面を見れば、サメのウヨウヨいる海ではなく、小島とは言え陸地に墜落できたのは、僥倖だった。この地域の陸と海の割合を考えれば、それは奇跡としか言いようがない。

悪い面を見れば、小さな森の中に墜落した飛行機の前面が潰れ、ボクの身体をシートに押し付けていることだった。

最後の最後に「機首上げ」には成功したが、それほどダメージを減らせたわけではない。


驚いたことに、僕の身体には重大な損傷がない。
もちろん、打撲や切り傷は全身に及んでいるが、意識を失うようなひどいケガはしていない。

その代わり、メーターパネルが両脚を、操縦桿が胸を抑えつけ、その上シートベルトの金具が潰れてベルトを外すことができない。

つまり、身動きが全く取れないのだ。
副操縦士席の足元に転がっているカバンに手が届けば、ナイフや水や食料が手に入る。


だが、その1mほどの距離が、割れた窓から見える月に行くのと同じくらいに遠い。

どちらも見えているのに、手が届かない。

「ボクは運が良いのか、悪いのか・・・。」


口に出して、そう言った。



夢の中で、彼女の歌を聴いた。

出会った頃と変わらず、甘く、切なく、歌い上げて・・・。


・・・いや、夢じゃ、ない・・・?


今度こそ、はっきりと目を覚ますと、視線を巡らせて音の元を辿った。

「電源は落ちたはずなのに・・・。」

そこで、気が付いた。


アクセサリー電源に、携帯式の太陽電池を繋いでいたのだ。
ほんの100wほどしか発電できないが、音楽プレーヤーを動かのすには、十分だろう。


これで、太陽が出ている間なら彼女の歌声を聞くことができる。

僕は、嬉しくて泣いた。



やがて太陽が海に沈むと、彼女の歌声も消える。




何回目の朝だろう・・・。
いつものように、彼女の歌声で目が覚めた。

脱水と空腹で朦朧としながらも、ゆっくりと首を上げた。
寝ている間に凝り固まった体を許す限り動かし、身体の末端に血流を届ける。

だが、もうこんなことも終わりだ。
さすがに、限界だった。

何となく、明日の朝は来ないだろう、と思った。

泣きたかったが、もはや涙は出てこない。



彼女とは、幼馴染だった。
二人ともコルマールで生まれ育ち、よく一緒に遊んだ。

彼女は、輪回しが特に上手だった。
トゥール・ドゥ・フランスの選手が置いていく自転車のリムは、とても良く転がるのだ。

それを抜きにしても、彼女は輪を転がして、それこそ風のように通りを走り抜けることができた。

ボクはいつも、おいてけぼりにされたものだ。
そうして二人の交流は、彼女の家族がマルセイユに引っ越すまで、続いた。



大人になり、ボクはパイロットになって、とうとう念願の自分の飛行機を手に入れた。中古のボロだったけど。

そして、仕事帰りにたまたま立ち寄ったニューカレドニアのバーで、歌っている彼女と再開したのだ。

二人は瞬く間に恋に落ち、ボクはニューカレドニアで新しい人生を始めることになった。彼女と一緒に・・・。


ハッとして、目が覚めた。
今のは、いわゆる走馬灯というやつなんだろうか?

とすると、いよいよということか・・・。



なんだかやたらと騒々しい。
もう、目を開けるのも面倒だ。
最後くらい、彼女の歌声で逝かせてくれないか・・・。


「おいっ! まだ息があるぞっ! 急げっ!」


次に気が付くと、ボクは小さな部屋にいた。

白衣を着た初老の男性が、にこやかに語りかけてくる。

「おはよう、『スズランの王子様』」


ここは、フランスの軍艦の医務室だった。
ロイヤルティ諸島では、昼間の間だけ無線に割り込んでくる『ブーケ・ドゥ・ミュゲ』の話題で持ち切りだったそうだ。

その噂を聞いた彼女が、SNSで付近の捜索を懇願したと言う。
瞬く間に拡散したそのニュースのおかげで、ボクは「スズランの王子様」になっていた。


どうやら、太陽電池は無線にも電源を供給してくれていたようだ。

知っていたら、いくらでも助けを求められたのに。

まったく、ボクは運が良いのか、悪いのか。


そうだ、帰ったら彼女にスズランの髪飾りを贈ろう。
ボクの贈り物にしては、気が利いてるじゃないか?



Prince du muguet
了。

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