歌詞に秘められた思い
歌詞は短い文章の中に物語りや、自分の想いを伝えている。
素晴らしいと想いました。
小田和正さんの「たしかなこと」の歌詞の意味を考えながら聴きました。
私は、歌が好きで良くカラオケに行くのですが、歌詞を以前はあまり考える事なく歌っていたのですが、小説を書き出してからは、
注意深く歌詞を読む機会が増えました。
「たしかこと」と言う題名であるのに、歌詞の中にその言葉は、
出てきません。
注意深く歌詞を読み込んで行くと、
この歌詞は、寿命が尽きる人が恋人(妻)に宛てたメッセージ
ではないか!と想う様になりました。
冒頭の歌詞に「哀しみは絶えないから、小さな幸せに気づかないだろう」
と、あります。この悲しみとは何?
「時を越えて君を愛せるか、本当に君を守れるか」
「時を越えるとは?」現在以上を意味するのでしょうか?
「忘れないでどんな時も、きっと側にいるから」
と、伝えています。
「きっと」と言う言葉は、普通なら「ずっうと」を使うのではないかな?
この「きっと側にいるから」に作者の想いを感じます。
「もう二度と此処へは戻れ無い、でもそれを哀しいと決して想わないで、一番大切な事は、特別な事では無く、ありふれた日々の中で君を今の気持ちのままで、見つめている事」
と、綴られています。
「もう二度とは此処へは戻れない」悲しい宣言です。
「でもそれを哀しいと決して思わないで」
これが、次の想いに繋がる。
たとえ私が亡くなり、君の側に居ないとしても「今の気持ちのままで見つめている事」
これが「きっと側にいるから」でしょうね。
そして最後にも
「どんな時も、きっと側にいるから」
と、再度、言われています。
この歌詞の中に「たしかなこと」の言葉はありませんでした。
この、愛する人に対しての想いが、「たしかなこと」(真実)
である、と作者は言いたいのかも知れません。
本当に深い歌詞だと改めて感じました。
短い文章に想いを入れ、物語りを完成させる。
そして、それを音楽に載せて歌う。
素晴らしい事です。
私もその様な文章を書きたいものだとつくづく想いました。
次は、竹内まりあの「駅」を取り上げてみたいと想います。
古い歌ですが、聞くたびに新鮮な思いを感じるのは私だけで
無いと思います。
♫見覚えのあるレインコート 黄昏の駅で 胸が震えた
早い足取り 紛れもなく 昔愛してたあの人なのね。
この二行の歌詞で、2人の関係が察しられます。
一体2人に何があったのか?
レインコートと足取りだけで、判るのです。
この女性は今も、その男性を想っていると!
♫懐かしさの一歩手前で 込み上げる苦い思い出に
言葉がとても見つからないわ
あなたがいなくても こうして元気で暮らしいること
さりげなく告げたかったのに
この苦い思い出とは、別れを意味すると思いますが、
どの様な形で別れたのか?
ここにそれぞの人の想像が働きます。
「さりげなく告げたかった」 この言葉をどの様に感じますか?
見せびらかすのでは無く 相手に悟ってもらいたい!
この女性は、今もなお男性を思い続けている様に感じます。
♫二年時が変えたものは、彼の眼差しと私のこの髪
それぞれに待つ人のもとへ 戻ってゆくのね
気づきもせずに
別れてから二年とここで明確にしています。
それぞれに待つ人とは?
男性は他の女性と結婚したのか、暮らしていると思いますが、
女性は結婚したのか?
もし結婚していたら、話がややこしくなるし、興醒めします。
次の歌詞を見てください。
♫一つの隣の車両に乗り うつむく横顔見ていたら
思わず涙溢れてきそう 今になってあなたの気持ち
初めてわかるの 痛いはほど 私だけ 愛してたことも
ここで、何方とも取れる書き方になるのです。
「私だけが愛してた。」もしくは「私だけを愛していた」
助詞を抜くことによって、何方とも取れるのです。
流れから行けば、 「私だけが」となると思うのですが、
ここを「私だけを」にすると、うつむく横顔に何を女性が感じたのか?と言う疑問が出ます。
「私だけが」にすると、心はこの男性に向いているのに、
他の人と暮らす女性となると、一緒に暮らしている人はチョット哀しい。
最後に
♫ありふれた夜がやってくる
この言葉、思いを秘めた男性に会った女性には、大きな記憶として残る事だと思いますが、これもありふれた一日。
この言葉に何か、無常を感じます。
そして、この続編が
「シングルアゲン」になる様に感じます。
竹中まりやの「駅」の続編が「シングルアゲイン」
ではないかと、私は勝手に思っています。
歌詞って、僅か数行で物語を作る。
「駅」に出てきた男女二人のその後、また過去にどの様な事が
あったのか?
勝手に想像しては、楽しんでいます。
「駅」の歌詞の中に
♫それぞれに待つ人のもとへ 帰っていくのね
気づきもせずに
と、あるのですが、私はこの「それぞれに待つ人のもとへ」
は、女性の強がりだと感じています。
女性には、恋人も夫もいないのではないか!
待っている人は、両親ではないか!
と、思っています。
理由を述べますね。
何故、「シングルアゲイン」が「駅」の続編と思っているのかを
私なりに独断と偏見で考察しますね。
♫あなたを連れ去るあの人の影に 怯えて暮らした日々はもう遠い
離れてしまえば、薄れゆく記憶 愛していたのかも
思い出さない ほどよ
と、あります。
「駅」の歌詞に
♫二年の時が変えたものは、彼の眼差しと私の此の髪
と、あります。
ここで、男女が別れてから、かなりの月日が経っていると思うのですが、
「シングルアゲイン」は、冒頭から「駅」の続編の様な書き出しです。
かなりの日数が経ち、女性は心変わりの様な強がりを言いってますが、
まだ、男性を思っているかの表現が、次に出てきます。
♫また独りに返ったと風の便りで聞いてから 忘れかけた想いが
胸の中で騒めく 私と同じ痛みを貴方も感じてるなら
電話ぐらいくれてもいいのに
此の歌詞で女性の心情を素直に訴え、また独りにで暮らしていることが、ほぼ明らかになります。
何故なら、「電話ぐらいしてよ」と、言っているのです。
此の想いは電話以上を望んでいるかの様に聞こえます。
♫私と同じ痛み
此の痛みとは何か?
♫手放した恋を貴方も悔やんでいるなら
手放した恋が女性の痛みであり、
手放した恋を貴方も本当に悔やんでいたならば
そして、女性は本心を述べます
♫やっと本当のサヨナラできる
これを二度繰り返すのです。
と、いう事はそれまでは本当のサヨナラでは無かったと、
女性は感じているのです。
でも、今の時点で男性は此の女性と別れた事を悔やんでいるかどうか判りません。
此の「シングルアゲイン」の続編が「告白」
に繋がっていきます。
次は告白を考察したいと思います。
「駅」から始まりこの「告白」の三曲で一つの物語が完結していると、私は想っています。
「シングルアゲン」の歌詞の中に
♫ 電話ぐらいくれても良いのに
と、あるのですが、「告白」は電話のベルから始まります。
♫Why? 寝付かれぬ夜 鳴り響く電話のベル
Sigh 虚な耳に懐かしい貴方の声
と、この女性は、別れた男性の電話を密かに期待していた。
その男性の声を聴いて女性はどの様に感じたのか?
次の言葉で伝えています。
♫ Ah 戸惑う心で 上手な返事を探せば 長い月日飛び越えて
ときめくのよ
と、「シングルアゲン」では 男性の事を忘れたかの様に言っていましたが、ここでは、声を聴いて、ときめいているのです
しかし、女性は
♫違う道を選んだ貴方に、今頃愛打ち明けられても、
引き返せないと知ってるから、この暮らし壊さないで
と、「シングルアゲン」の歌詞に
♫ 手放した恋を今、貴方も悔やんでいるなら、やっと本当の
さよならできる。
と、ある様に、ここで初めて女性は男性と「本当のさよなら」
が出来たのでしょう。
そして、
♫ 女心はいつも言葉と裏腹な企み隠してる
どんなに遅すぎても告白待ち侘びて生きているの
Ah 失った後で 真実に気付くのは何故
それでもまた朝は来る 知らぬ顔で
と、「駅」では
♫ありふれた夜がやって来る と表現していましたが
「告白」では ありふれた朝 です。
どちらも、その女性にとったら、大きな記念日だと思うのですが、
ありふれた「夜」でもあり「朝」でもある。
この二人の過去の経緯は何も解りません。
どの様に二人は出会い、どの様な恋をしたのか?
そして、何故別れたのか?
「駅」から始まった三曲の歌詞を読む事で、多くの想像ができます。
女性の心情を読み取り、想像する事で、
聞き手一人一人の物語を、偏見と独断で作れます。
そして、それには正解が無いのです。
だから、楽しいと言えるのかも知れません。
今後この二人は、どの様な結末になるのかは判りません。
歌詞は僅か数行で一つの物語を完成させ、
色々に想像させる。
本当に素晴らしいと思います。
この様な文章を私も書きたいものです。
次は、私には理解できない歌を紹介したいと想います。
でも、お断りしておきますが、此の歌詞を批判しているのではありません。どうしても私には理解出来ないので取り上げてみました。
それは、谷村新司さんの 昴 です。
♫目を閉じて何も見えず
と、冒頭から当然の事を言い出します。
♫哀しくて目を開ければ
もうここから理解不能です。
目を開ける時に哀しい想いをしながら目を開ける人がいるのでしょうか?
♫荒野に向かう道より他に見えるものは無し
皆さん、想像して下さい。
目を開けた途端に荒野に向かう道以外に見えるものは無いのです。
では、この人は目を塞いだまま、もしくは目隠しされたまま、
此の様な場所に来た事になります。
可笑しな話しです。こんな事はあり得ないです。
冷静に観るならば、此の人は目隠しされたまま、この様な場所に
連れて来られたと想う方が自然です。拉致されて連れて来られた!
♫ああ砕け散る宿命(サダメ)の星たちよ
せめて密やかにその身を照らせよ
先程の歌詞と全く関連しない事を言い出します。
普通、目隠しされたまま、荒野に連れて来られたのならば、
星空を観る余裕があるでしょうか?
思考が混乱しているとしかおもえませんが、次の歌詞で
少し冷静さを取り戻します。
♫我は行く蒼白き頬のままで
と、ここで自分の顔面が蒼白い事を認識します。
♫我は行く さらば昴よ
昴とは星雲です。星雲に向かって「さらば」と言っても
さらばは出来ません。
この昴は明らかに 、スバルの車だとしか考えられ無い。
車種は判らないみたいですが、スバルの車と考えられると
全ての疑問が解けます。
拉致された人が、スバルの車で荒野に連れられ、そこで解放された。
見えたのは荒野の道だけ。混乱して天を仰げば夜空が綺麗。
無情にも、車は彼を残して去っていった。
この様に理解することが出来ます。
だが衝撃を受けたのは、2番の歌詞です。
何と、拉致されて此処に連れて来られたのは、この人一人では無かった。
♫我も行く心の命ずるままに 我も行く さらば昴よ
と、「我も 」と言う言葉があります。
これは明らかに複数ですね。
最後の歌詞は、荒野に連れてこられて、置き去りにされて、
明らかに混乱している感じがします。
♫ああいつの日か 誰かがこの道を
と二度重ねて言い 結論は出してはいません。
一体何が言いたいのでしょうか?
谷村新司さん教えて下さい。
もし、この歌詞を理解し読みとっている人が
いらっしゃるので有れば、是非ともコメントで教えて下さい。
お願いします。
独断と偏見の解釈でした。
悪しからずにお願いします。
#創作大賞2023 #オールカテゴリ部門
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