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プロント・エンジニアリング考 その8

折角なので、AI教育論みたいなものを考えてみましょうか。
どこかの自治体で、教育現場でのChatGPTへのアクセスを禁止するとか、大学で利用制限するとか、様々な影響を及ぼしていますね。

ニッポン放送のOKコージーアップで、あるコメンテーターが言っていたのは、「レポートやテストに、ChatGPTを使って書いたかどうか、判断することは不可能」ということです。
その対策として、「試験の後、一人ひとり面談し、その知識が本物かを確認」するそうです。
でも、それって、教育の本質なんじゃないですか?

禁止したところで、使わないと思いますか?
そんなことをしたら、使う環境にある子どもがどんどん使い込んでいき、教師は何もできなくなるでしょうね。
スマホ、どうでしたか?
明らかですよね。

そもそも、GPT-4になって、AIは、国家試験すらパスする精度を確保してしまっています。
それ、禁止したからと言って、使っているかいないか、判断できますか?

結局、このChatGPTを代表格として、AI全般の進歩は、産業革命どころの変化ではない、革命を起こしてしまったんです。
変化の次元が、全く違います。

そんな劇的に変化した環境下で、使う人間と使わない人間の間に生じる溝は、恐らく、とんでもなく大きく広がることでしょうね。

なんといっても、その変化は、目に見えないから…。
本当に、人間って、目に見えない事への対応が下手ですよね。

さて、いい加減本題に入ります。



若年者における壁打ちの有効性

HAL君、前回の質問の続きなのですが、そうすると、例えば小学生、中学生のような基礎的な学習を必要とする年代の子どもたちにとっては、”壁打ち” をAIと繰り返し基礎学力を養うことは、非常に有効性が高いといえますね。

HAL君 曰く『はい、その通りです。
AIとの「壁打ち」は、特に学生たちが新しい概念を理解するのに非常に有用であると言えます。
AIは疑問に対して即時にフィードバックを提供し、学生が自分自身のペースで学習するのを助けることができます。』

これが、AIを学習教材と見立てた時の優位性なんですよね。

『例えば、AIを用いた学習プログラムやアプリケーションを使用すれば、生徒は自分で学習内容を探究し、理解を深めることができます。
また、AIは個々の学生の学習スタイルや理解度に対応する個別化された指導を提供することも可能です。』

恐らく、この環境を整えたところが、今後の世界の中核となる人材を輩出することになるでしょう。
AI塾という発想、もしかして、やったもん勝ちかも…。
学習指導要領に縛られませんからねぇ…。

『ただし、AIを用いた学習は、あくまで教育の一部として考えるべきです。生徒はまた、人間の教師からの直接的な指導やフィードバック、さらには他の生徒との対話を通じた学習も必要とします。
これらの要素は、批判的思考、コミュニケーション、共感といった重要なスキルを養うのに役立ちます。』

これなんですが、このコメントは、まさに正しいと思います。
しかし、現在の義務教育で、それができていますかね。
既得権益を守るだけの環境下で、しかも、一度も社会に出たことがない、大学を出たばかりの人間に、これらができますか?

否応なく、AIは教育現場に浸透してきますから、HAL君が回答した内容は、「人間の教師が教える本質的な教育」となるでしょう。
本当に、大丈夫なのでしょうか?

更に、質問を続けます。



個別対応と複雑化する学力評価

HAL君、そういう学習環境が整うようになると、子ども一人一人の進度とレベルに合わせた学習が可能になりますが、学力評価が単純ではなくなり、難しくなりそうですね。

HAL君 曰く『はい、その通りです。
AIを使った個別化された学習プログラムが増えると、伝統的な一律のテストによる学力評価方法が十分でなくなる可能性があります。
一方で、AIとテクノロジーは教育評価の方法を改善し、パーソナライズするのにも役立ちます。』

これって、もしかして学年の概念も、集合学習の概念も変わってしまう可能性を示唆していますよね。

『AIを活用すれば、学生一人一人の学習進度、理解度、能力を詳細に把握し、そのデータに基づいて個々の成果を評価することが可能となります。
それにより、生徒全員が同じ教材や評価基準に基づいて評価されるのではなく、個々の学習スタイルやペースに合わせた教育が可能になります。

しかし、このようなシステムは、全員が公平に評価されていると感じるようにするための新しいガイドラインや評価基準を必要とするでしょう。
また、すべての学生が同等の教育機会を得られるよう、デジタルデバイド(情報格差)の問題にも対処する必要があります。』

AIの利用禁止が、デジタルデバイドに直結していると、禁止した大人たちは理解しているんでしょうか。
それに、AIの活用が開く展望は、今まさに、現在の教育関係者が謳っている、教育の公平性にドンピシャなのですが…。

もっと言えば、教師が与える情報の公平性ではなく、児童生徒が、学習した成果の公平性につながるということです。
これは、真逆といっていいほど、違います。

今回のデジタルデバイドは、インターネットにアクセスできる端末を持っているかいないかという、単純な格差ではなく、等比級数的に次元が異なるものだと、教師や大人が自覚しておくことが必要です。
後で事実がバレた時に、子どもたちに責められるでしょうが、言い訳も、損害補償も、弁済もできませんけどね…。

日本人って本当に面白くって、身近にいる天才はいじめるのに、藤井君クラスで有名になると、持ち上げて騒ぐんですよねぇ。

ってことで、続きは次回にしましょうか。

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