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【期間限定で公開】第一章 オードリー・タンの母、李雅卿(リー・ヤーチン)の手記『成長戦争』

「私たちが過去に受けた苦難を、誰かがもう一度味わうことがありませんように」ーー
母親によって描かれた、これまで誰も見たことのないオードリーの横顔、そして家族の物語。

2021年秋冬に、オードリー・タンの母、李雅卿(リー・ヤーチン)によって書かれた『成長戦争』を日本に向けてご紹介する書籍をKADOKAWAさんから出版すべく、現在執筆を続けております。
現在、というか昨日の夜に本編の草稿を書き終えたところで、これから引き続きコラムの執筆に入ります。

どんな本になっていくのか、皆さんとお話しできる日が楽しみでなりませんが、出来上がりをお見せできるのはもう少し先になりそうなので、まずは版元の許可を得て、第一章の草稿を期間限定で公開したいと思います。

では、どうぞ。

第一章 オードリー・タンの母、李雅卿(リー・ヤーチン)の手記『成長戦争』


『成長戦争』との出合い

オードリー・タンの母・李雅卿(リー・ヤーチン)は、1950年創刊の歴史ある有力紙『中国時報』の記者や、経済誌『商業周刊』の副編集長を務めた人物だ。オードリーが小学校二年生で不登校になった頃に仕事を辞め、自宅での学習に付き添い始めた。そして、オードリーという類まれなギフテッド(Gifted、先天的に突出した才能を持つ人々)を育てた経験から、台湾の伝統的な教育を変えようと1994年、台北市のお隣・新北市の山あいにオルタナティブ教育を実践する実験小学校《種の親子実験小学校(原名:種籽親子實驗小學)》を設立。1998年には台北市立北政中学校で実験クラスを開くなど、教育改革の先駆者となった。

代表的な著書に、オードリーの成長を綴った手記『成長戦争』(商智文化事業公司)や、一家でドイツに留学した際の見聞録『天天驚喜』(商智文化事業股份有限公司)、そしてオルタナティブ教育(一人ひとりの主体性を大切にした、学校教育法で規定されていない方針の教育のこと。代替教育ともいう)についての取り組みが記された『種籽手記』(遠流出版事業股份有限公司)、そして数々のホームスクーリング関連書籍がある。『種籽手記』は2021年に日本実業出版社より日本語訳版『子どもの才能を引き出す 天才IT相オードリー・タンを育てた母の教育メソッド』が出版された。李雅卿は台湾の伝統的な教育を民主的なものに改革したことで今でも広く影響力を持つ人物であり、彼女の著書は出版から時間が経った今でも、教育界や保護者の間でバイブルのように読み継がれている。

母親がこの本を執筆していたちょうどその頃、16歳だったオードリーは起業で忙しくしていたが、出版社が台湾の教育改革のために本を出そうとしているのは理解していたという。実際に、大学のギフテッド教育の授業ではこの本が必ず読まれるようになり、次の世代の教師たちに影響を与えていった。教育者ではない私にとっても、この読書体験は衝撃的なものだった。一人の母親としてはもちろん、一人の人間としても。そして、台湾のメディアで書かれているオードリーの過去についてのほとんどがこの本を参考にしていたということも、読んで初めてわかったのだった。

また、『成長戦争』の魅力は教育的な側面だけではない。

台湾で生活する者だからより多くを感じるのかもしれないが、とにかく既成概念を覆されるエピソードが数多く盛り込まれていた。例えば、オードリーの父方の祖父は外省人(がいしょうじん)で、母は本省人(ほんしょうじん)だが、「国共内戦を経て、台湾に逃げのびて来た貧しい外省籍軍人と、これに少なからぬ反感を抱いていた本省人の衝突」という概念は広く知られており、しかも2人は二二八事件から間もない時期に結婚しているという点でも、かなり珍しい。貧しい暮らしの中にあっても、父方の祖父が仕事が終わった後に妻の内職を手伝い、子どもたちの学費を捻出していたというエピソードも印象深かった。このようにして育てられたオードリーの父・唐光華(タン・グアンホア)は、国立の有名大学で政治学を学び、新聞社では長年副編集長を務め、権威主義と戦い、自由で民主的な台湾社会のために献身的に尽くしてきた。子どもの頃に住んでいたエリアでは、外省人と本省人はとても仲良く暮らしていたと唐光華は言っていた。そんな父を持つオードリーが今、「誰も取り残さない社会」を目指し、台湾の民主を象徴する存在になっている。私にとって、世代を超えて受け継がれる信念から受けるインパクトは大きかった。

 また、オードリーの両親は台湾の有力紙『中国時報』に勤めていたのだが、現在同紙が親中派であるのに対し、当時の同紙は報道が制限される時局にあっても自由を追求する記者たちはいた。その時期に在籍し、取材班の副主任まで務めた李雅卿自身の口から、当時の記者たちがどんな想いでジャーナリズムに携わっていたかが語られているのも貴重である。

 さらに、台湾の教育現場がほんの数十年前まで軍事教育の香りを色濃く残していたことも、ありありと感じることができた。
 教師による生徒たちへの体罰が横行していた上、生徒の不登校は行政罰に相当したため、保護者は一日あたりの罰金を支払わなければならなかった。オードリーと同い年の夫に聞くと、当時通っていた学校に不登校児はいなかったという。この時代、義務教育における学校とは「通わなければ罰せられる」場所だった。

 今、私の目は民主的で自由に見える台湾社会の背後には、まだまだこうした軍事的・支配的な教育の名残が根強く残っている。長男の小学校の運動会の演目が、我が子の姿を見ようと訪れた保護者や親戚ではなく、校長や政府関係者といった来賓の方に向けて行われるのには、こういった背景があったのだ。

 多様性に富むオードリーのルーツを辿ることで見えてきたのは、教育だけでなく報道においても台湾の民主化を担ってきた両親、祖父母たちの姿だった。こうした読みどころも、台湾を知るための重要なファクターとしてできるだけ伝えていきたい。


本書はあいにく絶版となっているが、書籍のデータのみ紹介しておく。

手記『成長戦争』(著者:李雅卿 出版:商智文化事業公司 初版:1997年5月 頁数:279ページ)※絶版

1人の母親が、周囲との摩擦を恐れず、自主教育を広めるために告白する、1人のギフテッドと主流の価値観との争いにおける成長の歴史(表紙に書かれている文言)

 拙著『オードリー・タンの思考 IQよりも大切なこと』(出版:ブックマン社、初版:2021年2月)で紹介したオードリーの生い立ちは、『成長戦争』から一部を参照・引用しながら日本語に拙訳し、オードリー本人に改めて当時を振り返ってもらったものだ。

 私が手記『成長戦争』に出合ったきっかけは、ほかでもないオードリーからの推薦だった。その頃、私は『オードリー・タンの思考』の取材のため、2週間に1度、2時間ずつ時間をもらい、オードリーのインタビューに臨んでいた。生い立ちについて話が及ぶと、オードリーは母が書いた『成長戦争』にほとんど載っている、この本を読んだかと尋ねた。私が首を横に振ると、彼女は「ではまずこの本を見つけることですね」と優しく言った。20年以上前に出版され、すでに絶版になっている本だから、すぐには見つけられず、最寄りの図書館で取り寄せた。手元に本が来てから、次の取材までタイムリミットは1週間ほど。だが中国語で書かれた本なので、どうしても読むのに時間がかかってしまう。結局、ほかの仕事や家事そっちのけで、集中して読みにかかった。

 李雅卿の文章には、独特の潔さがあった。迷いや戸惑いも包み隠すことなくまっすぐ綴っている。読み手を権威で威圧するような姿勢がまったくない。読み進めるうちに、裏表のない竹を割ったような性格であること、大切なことをまっすぐ見つめ、それを信じて突き進むような人であることはすぐにわかった。我が子が自殺願望を抱くほど追い詰められ、たくさん悔しい思いをしているはずなのに、文章で誰かを責めるようなことをしない。どうにかして、人の良いところを見つけよう、困難な状況を打開しようとする人なのだろう。こんなに魅力的な人に育てられたオードリーがうらやましいとも思った。読み手の心を捉えて離さない文章に惹きつけられながら、私は前著執筆のために必死で当時のオードリーの心を見つめ、想像した。今、私の目の前でにこやかに笑う彼女の姿に、「世界と絶交」した過去の姿を重ね、何度も「生きていてくれてありがとう」と思った。

 日本でオードリー人気が加熱するにつれ、『成長戦争』は「幻の本」としてすぐに話題となり、日本語翻訳本を出版したいという出版社のオファーが私のところだけでも数社から届いた。台湾のシビックハッカーコミュニティ《g0v(ガヴ・ゼロ)》の村長で、オードリーとは旧知の仲の高嘉良(カオ・チャーリャン、「代表はいない」というのが同コミュニティのポリシーであり、設立者である高嘉良を人は村長と呼ぶ)が、「オードリーは昔から、黙っていても目立ってしまう。それは仕方のないことなんだ」と言っていたことが思い出される。もちろん私も日本に向けてこの本を届けたかったが、加熱するオードリー人気に油を注ぎ、彼女だけでなくその家族までを巻き込むことを考えると、なかなか行動に移せずにいた。

 半年以上が経っても諦めきれなかった私は、自分を奮い立たせ、オードリーを通じて翻訳本の出版について問い合わせてみた。返ってきたのは思いがけない回答だった。
「引用する量に制限は設けないから、『成長戦争』に自分の見方を加え、自分の著作として出版すること」「母は原稿の審査はせず、原作者として名前を連ねることもしない」

 正直なところ、翻訳の方が気持ちがずっと楽だった。教育の専門家でもない門外漢の私が、彼ら家族の『成長戦争』に意見を加えられることなんて、何もないはずなのだ。

「オードリーさんの存在は、きっと今、社会の諸所で生きづらさを抱えているたくさんの人を救いますよね」ーーYahoo!ニュース特集の取材で、私が初めてオードリーをインタビューした時の担当編集・神田憲行と交わした言葉が、私の脳裏をよぎる。『オードリー・タンの思考』を通じて出会った方々や、いただいた感想を糧に、挑戦してみたいと思う。

 これはオードリーのファミリーヒストリーだ。たとえごく一部であったとしても、彼女とその家族の歩みを垣間見ることで、今の優しくまぶしい彼女がいるのは当たり前のことではないと思い知らされる。彼女やその家族を追い詰めたのは周囲の環境だが、彼らを救ったのもまた環境だった。これをどう捉えるかの見解は、人によって大きく異なるだろう。
 いま現在、台湾で子育てをしている私の場合、思春期を迎え「10歳の壁(学習、精神面でつまづき、不安を覚えること)」にぶつかっている長男への接し方にまず照らし合わせる。その一方で、「自分自身は過去に、誰かを苦しめてこなかったか」という疑問が頭から離れなくなった。その答えはもうわかっている。「人を追い詰める側であったことも、人を救う側だったことも、両方ある」だ。彼女の生い立ちに思いを馳せることはつまり、決別したはずの過去と再び向き合いながら、子どもたちを育てていく自分を、人間として立て直す作業でもあった。

 なお、本書を手に取ってくれた読者には、私の言葉でなく、できるだけ原文に近い形で李雅卿の心に触れてほしいと考えている。日本語にはない表現が入ることで、どうしても少しぎこちない表現になってしまうが、彼女の表現をギリギリまで残すことを優先して拙訳・引用させてもらった。


育児指南ではない、これは家族の物語

オードリーの家族

オードリー・タン  
唐鳳(タン・フォン)、Audrey Tang 1981年4月18日 台湾台北市出身

父:唐光華(タン・グアンホア)
新聞『中国時報』元副編長。台湾初のコミュニティカレッジ《文山社区大学》校長、青少年のための哲学コミュニティ《楽観書院》創設者

母:李雅卿(リー・ヤーチン)
新聞『中国時報』元記者、取材班副主任。経済誌『商業週刊』元副編長、《種の親子実験小学校》創立者。台北市ホームスクーリング完全中学(13−18歳)実験計画主宰、《台湾主婦連盟基金会(以下、主婦連盟と記載)》および《毛毛虫(イモムシという意味)児童哲学基金会》共同創業メンバー。

弟:唐宗浩(タン・ゾオンハオ)
1985年生まれ。台湾国立政治大学理学院応用数学学科卒業。


『成長戦争』は1997年、李雅卿が44歳の時に出版された。
 本を手に入れ、頭から読み直してみると、前回『オードリー・タンの思考』のために急いで読んだ時には脳内からこぼれ落ちていた発見がいくつもあった。家族の話だ。誰に寄り添って読むかでまったく異なる感情が湧いてくる。

 もともとは黃光芹(ホアン・グアンチン)というベテランのジャーナリストによって取材や執筆が進められていたが、のちにその初稿を李雅卿が自らが引き取り、書き直して出版されている。本書の発行人で、台湾では著名な経済誌『商業周刊』ーー李雅卿も在籍し、副編集長だったこともあるーー創刊者でもある金惟純(ジン・ウェイチュン)は、〈発行人からの話:大地の母の召喚〉の書き出しを「この本は私が出版の仕事に携わって以来、最も好きな1冊だ」で始め、最後を「私が必ずお伝えしなければならないのは、本書の『成長戦争』というネーミングを、唐家の皆が気に入っていないということだ。彼らはどのような形であれ『戦争』は良くないと考えている。出版社が読者の目に止まりたいという一心でこのタイトルに決めたのであり、純粋にマーケティングのためなのだ。多くの方々にこの素晴らしい本を届けられるように願う」と締めくくっている。

 付録に収録されている黃光芹による寄稿〈私と物語の主役〉では、唐家がこの本の内容をできるだけ真実に近づけるため、過去の出来事について互いに何度も話し合いを行ったことが記されている。
 しかしながら、と黃光芹は補足する。彼女によれば、やはり個々人の記憶はところどころ異なっていたようだ。たとえばオードリーはこれまでに母親から2度叩かれたことを記憶しているが、李雅卿はオードリーを叩いたのは1度だけだと主張する。この件については、最後はオードリーが譲っている。それでもオードリーはこういった差異は受け入れられるものとし、これを「ドキュメンタリー」ではなく、「物語」だと思うと述べたそうだ。「物語を書くのであればミューズの協力が不可欠であり、ミューズさえ満足していれば、ドキュメンタリーがほんの5分の1であったとしても成立し得る」と。そして、オードリーは母親が描いた物語に大満足したという。ーーもっとも、複雑すぎて書けなかったできごともあったらしいがーーだから、読者には安心してこの物語を読み進めてもらいたい。

 ここで、『成長戦争』の目次を記しておく。

●発行人からの話
「大地の母の召喚」(経済誌『商業周刊』創刊者・金惟純)

●推薦文
・「直感で想像力を発揮する」(国立台湾大学でギフテッドについて研究していたオードリーの恩師・朱建正教授)
・「子を以って師とす」(李雅卿が《種の親子実験小学校》を設立時から保護者として参加するなど、早期からオルタナティブ教育に取り組んできた翻訳者の許琳英)
・夫からの話(唐光華)
・子どもからの話(宗漢と宗浩)

●第一章、くさび
神に感謝します

●第二章、まずは、自分について話そう
・物語は私の父と母から始まる
・光華との出会い
・新聞社での歳月

●第三章、宗漢生まれる
・新しい生命の誕生
・命を賭けた病魔との戦い
・幼き宗漢の日々
・成長戦争

●第四章、悪夢の日々
・登校恐怖症の爆発
・家庭大戦
・救いの星の出現

●第五章、夜明けの中で、茨の道を切り開く
・ドイツの経験
・宗漢の選択
・宗浩と兄
・親子の学校設立記

●第六章、自分、そして世界との和解
・新しい始まり
・宗漢のコンピュータの世界
・宗漢おめでとう

●附錄
・「私と物語の主役」(この本の初稿を書いたジャーナリスト・黃光芹による寄稿)
・「成長ーー真理の大海への探索」(父と宗漢の対談。絶版になっている対談集『縱浪談』(時報文化出版企業有限公司)からの転載)


 この本は、オードリーという1人の類まれなギフテッドを育てた母親による手記ではあるが、「天才を育てるためのメソッド」といった類の話は一切書かれていない。これは母の手によって描かれた唐家の「物語」である。李雅卿は第一章〈くさび:神に感謝します〉のなかで「自分の家の中のことを書くのは、それはもう、とても気まずいことだった」と打ち明けている。

「けれど、宗漢(ゾォンハン、オードリーの当時の名前)の自宅学習が成功した時から家の中の静けさは破られた。15歳で友人らと会社を設立し、商業雑誌の表紙を飾る人物となった彼は、自分が作ったバイリンガルのインターネット検索システム(筆者注:全世界で800万セットを販売した検索アシストウェア〈FUSION SEARCH(搜尋快手)〉のこと)でグローバルマーケットへの道を開き、自分や弟の教育過程における苦難がそうだったように、再び皆の注目を集めるようになった。

好意をもって連絡をくれる記者や広告界の皆さんにまた『ごめんなさい』をしなくて済むように、そして息子らと同じようなニーズのある子供やその保護者の方々のために、ふたりの子どもたちの学習過程をしっかり語り、これをもって過去の日々に別れを告げると決めた。これから先、息子たちのことは彼らに任せ、もとの生活を取り戻し、自由に成長できる空間を与えてあげてほしい。『一人ひとりの人間そのものが、語り終わらない物語』なのだから、よその家のことは、ちょっと聞いて参考程度にすれば良い。皆さんにはどうか、自分の日々としっかり向き合って過ごしてほしい」

 
 同書の付録にはオードリーと父親との対談が収録されており、その締めくくりでオードリーは「自己認識はとても重要で、人は自分と環境を理解することによって、環境を変えていくように思う」と話している。まるで第六章のタイトル〈自分、そして世界との和解〉に通じるような言葉だ。こうして本の至るところに散りばめられた文脈を探りながら、私は確信するようになった。“オードリーを育てた母親の、幻の手記”に、これまでにない育児指南を期待する人は多いだろう。けれど、ここから学びを得られるのは、子育て中の保護者だけではないはずだと。

 ワンクリックで簡単につながったり、つながりを断ったりできる社会で、私たちはどのようにして自分や世界と折り合いをつけていけば良いのか、その普遍的な手がかりが得られるように思う。

 本書の冒頭には、家族一人ひとりからの推薦文が寄せられている。当時16歳のオードリーから寄せられていたのは、潔いこの1行だ。

「というわけで、あなたはこれから私たちの物語を読むわけです。どうぞお楽しみください」ーー唐宗漢

 解釈はご自由にーーそんなオードリーの声が聞こえる。


※彼女がトランスジェンダーであることを公言し、名前を現在の「オードリー」に変更したのは24歳の時だが、本書ではわかりやすくするため名前は一貫して「オードリー」に統一、性別にまつわる表記は24歳以前は男性のもの、以後は女性のものとする。

※李雅卿が『成長戦争』の中で「宗漢(ゾォンハン、オードリーの当時の名前)」「彼」と記載しているものを引用する際は、そのまま残しながら拙訳する。

※人物の所属先や肩書きは、基本的に『成長戦争』当時のまま記載する。

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