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曽野綾子「《増補改訂版》誰にも死ぬという任務がある」

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 曽野綾子先生が淡々と綴る生死観。人は高齢になると終活を迎える。それはどんなに有名な人でも、市井の凡人でも変わらない。「死」は義務であり、必須のゴール。生前の記憶は直ぐに必要性を失い、やがて忘れ去られる。しかし死を受け入れるためには、今の生を精一杯生きておくことにある。会いたい人に会っておくこと、行きたい場所に行っておくこと。人生に与えられた時間は限られていて、歳を重ねるに連れて過ぎ去る速度は増してゆく。「死ぬ」ことは現象だが「死に切る」ことは人生だ。これは雇用延長の終点である65歳を迎える、われわれの社会人人生においても、似たような傾向を示す。ゴールは遠いようで、近いのである。
 カトリック信徒である曽野綾子先生は、人生を「一粒の麦」に例える。ヨハネ伝第12章24節で、キリストが自らの死に例えて遺したことばである。人生を「一粒の麦」たらんとするには、それなりの割り切りが必要。「自然死を選ぶ」「自分の死も軽く見る」「この世に醜い未練を残さない」「最後に残るのは財産でも名声でもなく愛」。なかなかできそうでできない、わかっているようで割り切れないのが人生。いつまでも権力や名声にしがみつくのは、曽野綾子先生に言わせれば「醜い未練」なのである。夫である三浦朱門先生と夫婦揃って有名作家という環境は、もちろんわれわれ一般人とは違う。しかしご夫妻お二人は、それでも自らを失わないように自身を律して生きてきた。その結末が、巻末に寄せられた三浦朱門先生の在宅看護と看取りの日記だったのだろう。

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