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2022油山観音「西部軍司令部事案及び九州大学医学部事案慰霊法要」

今年も油山観音で「西部軍司令部事案及び九州大学医学部事案慰霊法要」が開催された。昨年は私も参加させて頂いたが、飛行機代もバカにならないので、今年は遠慮させて頂いた。そのかわりに近所に住んでいる従兄に行ってもらった。なぜ私が参加しているかと言うと、私の父が太平洋戦争終結後の横浜軍事法廷で裁かれた最後のBC級戦犯だったからだ。終戦間際の日本軍は、証拠隠滅の意味や空襲報復の意味合いから、国際法に違反して捕虜を殺害した。西部軍三大事件があり、遠藤周作が「海と毒薬」で描いた「九州大学医学部生体解剖事件、島尾敏雄が小説にした「石垣島事件」、吉村昭が「遠い日の戦争」で描いた「油山事件」があった。亡父は「油山事件」で処刑に参加していたためだった。三年半の多治見隠遁の末に、朝鮮戦争などの時節柄、幸いにして絞首刑を免れた。巣鴨プリズン出所後に結婚して、私が生まれた。奇しくも亡父の処刑から逃亡生活は、メモ魔の父が遺した資料から小林弘忠がノンフィクション「逃亡〜油山事件戦犯告白録」を執筆して日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。「逃亡」を読んだNHKディレクターが井浦新主演で「最後の戦犯」としてテレビドラマ化した。この法要を主宰して下さるのは大分県の篤志家の方。戦争で亡くなった米軍捕虜たちの慰霊法要なので、アメリカ領事館の方々もトップ以下参列されている。

 昨年度に参列した際に、処刑した側の遺族代表二人のうち一人として挨拶させて頂いた。その中で、アメリカの遺族に父のしたことを謝罪した。ただ当時の父は新兵で、上官に命令されてやむなくと言うか、人格が崩壊するほどの衝撃を受けて命令に従った経緯は話させてもらった。命令に逆らえずに待っていた時間の葛藤、斬首した瞬間の頭が真っ白になっていたこと、また処刑された捕虜が若くて怯えて可哀想だったこと、斬首した日本刀についた血が洗っても洗っても脂で取れなかった忌まわしい経験など、父の語ったことなどを伝えた。後々に私の話したことを英訳して聞いた米軍捕虜の遺族から、今年の法要に向けてメッセージを頂いた。それは私のメッセージを読んで「父を許す」と書かれていた。もちろん処刑には多くの兵が参加していたから誰が誰を処刑したかは、当時も今もわからない。しかし彼女の祖父を処刑したのは、私の父であった可能性もあるのだ。「自分の祖父を処刑した兵士が、上官の命令に従っただけであったこと、空襲の恨みで処刑に参加したわけではなかったこと、処刑した相手に惻隠の情を持っていたこと。それらで祖父が昇天(日本風に言えば成仏)できるのではないか」と述べていた。主宰者はこのことを私に連絡してきて「あなたのメッセージで、私の取り組みは報われた」と電話口で泣いていた。英語は不如意なので未だ書いていないが、メッセージを下さったご遺族に返事を書くつもりである。

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