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日米遺族77年後の通信

西日本新聞に記事が掲載された。題して「2歳の娘残し、処刑された米兵…“油山事件”の日米遺族『まさかこんな日が』」。毎年6月に福岡市の油山観音で、第二次世界大戦で犠牲となったB29搭乗員の慰霊法要が行われている。しかもこの搭乗員たちは墜落事故による犠牲者ではなく、墜落後に捕虜となった後での日本軍による処刑での犠牲者である。ロシア軍によるウクライナ軍捕虜への虐待もニュースとなっているが、戦争捕虜への虐待は国際法で禁じられている。しかし日本軍は終戦間近を迎え、証拠隠しと空襲への報復で、多くの米軍捕虜を殺害した。特に西部軍は「九州大学医学部生体解剖事件」「油山事件」「石垣島事件」の3つの捕虜殺害事件を起こした。

 実は私の父親も「油山事件」に関与していた。昨年の法要の際に、関係者遺族代表として、ご挨拶させてもらった。アメリカ側からの出席者は、福岡領事館の方たちだけで、被害者たちのご遺族は列席されていなかった。しかし主宰者が私の挨拶を英訳してくれて、アメリカのご遺族たちに伝えてくれた。私の挨拶は「父親も着任したばかりで、上官の命令に泣く泣く従った。その結果、絞首刑に怯えて逃亡することになった」という内容だった。アメリカのご遺族の中で孫娘であるヘザー・ブキャナンさんからは、私の父の性格や経歴に関して10くらいの質問が寄せられた。私は英語に堪能ではないので、回答を連れ合いに英訳してもらった。その結果「あなたの父親を許します」というメッセージがアメリカから寄せられた。処刑された悲しみを背負うご遺族が、処刑を命じられた不幸を背負った父の苦悩を察してくれたということだろう。それまでは、米兵を殺して喜ぶ「日本鬼」のイメージを持っていたそうだ。父も残した手記やメモで若かった捕虜を殺した斬鬼の念を記していたので、よもや死後にアメリカのご遺族との交流で、戦争終結間際の事件が精神的に清算されるとは思ってもみなかったことだろう。ヘザー・ブキャナンさんはライターだそうなので、処刑された祖父についての本を執筆中であるそうだ。父がヘザー・ブキャナンさんの祖父を処刑した確率は、処刑を担当させられたメンバーが10名ほどいたので、1/10くらいだろう。しかし彼女が許せる存在である父の存在が、ご遺族としての気持ちの整理に繋がるのであれば、不幸中の幸いである。

 西日本新聞の記者に「将来的に父親のことで、何か考えていることはあるか?」と訊かれて、「書籍やテレビドラマになった部分は、逃亡以降の内容が多かったので、処刑や横浜裁判について書かれた手記を翻訳して、アメリカのご遺族に読んでもらいたい」と伝えた。自分のライフワークかもしれない。最近は息子も事件に興味を持ち始めたようで嬉しい。結果的に、このような日米間の遺族交流を生んだ主宰者の深尾裕之氏の手弁当でのご尽力に深く感謝している。

https://news.yahoo.co.jp/articles/874997d6789cdf4bf769b2ee7a9c13b086be99b9


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