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ようやく懸案の大海赫夫人「アジサイさんを偲ぶ会」を開催

ようやく懸案の大海赫夫人だった「アジサイさんを偲ぶ会」を、発起人として開催できた。お亡くなりになった2年前。お世話になったファン一同、コロナ禍でお別れを惜しむ機会が持てなかった(結局はご家族で海で水葬)。そこで昨年の一周忌命日に決心して、三回忌を機に開催を目指した。大海赫先生のファンクラブ「ビビを見た❗️会」メンバー中心に30人近くが集まった。遠くは札幌や名古屋からも参加。大海赫先生も92歳。自分の心の中では、失礼ながら大海赫先生ご自身の生前葬も兼ねたイベントだった。鹿島教会の牧師先生のお話し、BEERHIVEによる歌と演奏では、どちらも涙腺が決壊してしまった。実行委員会の皆さま、参列して下さった皆さま、協賛を寄せて下さった皆さま、ご協力ありがとうございました。一年をかけた手作りイベントを終えて、心身とも脱力放心。これで自分は心おきなく、いつでもあの世に行ける。


◆当日のプログラムは、まりスティーヌの名司会で以下の通り。


1️⃣開会宣言(発起人)
・3回忌にアジサイさんを偲ぶ会を開催。


2️⃣大海赫ご夫妻の通っていた鹿島教会の牧師・大塚愼先生のお話
・アジサイさんは役場を58歳で退職された後、多摩センターで「リサイクルショップ魔女」を14年間経営された。この頃から「ステージ4」の癌を抱えている中で、人生の最善を尽くされていた。その後で、終の住処である鉾田市のアトリエに移られた。そこで82歳にして腹部大動脈瘤で、この世を去られた。亡くなられた日に茫然としていた大海赫先生の姿を忘れることはできない。それまでずっとアジサイさんは、大海赫先生を支えてきた。神奈川芸術劇場での「ビビを見た!」演劇は、私もご招待頂いて観覧した。その時に大海赫先生と一緒に居て、誇らしげだったアジサイさんの姿が印象的だった。
 アジサイさんはクリスチャンホームで育ったが、クリスチャンだった母親の死後に63歳で受洗された。母の死までに受洗されなかったことを、とても後悔されていた。鹿島教会には、大海赫先生の絵があちこちにある。是非日曜礼拝に来て、ご覧になって頂きたい。聖書についても夫婦ともども、牧師を質問攻めにする研究熱心だった。アジサイさんのお好きな聖書の箇所は、マタイによる福音書第1章23節「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。教会の婦人会である「オリーブの会」に参加されて「『悲しい人や辛い人に寄り添って生きてゆく』と思い上がりたい』と、アジサイさんらしい独特の語り口でおっしゃっていた。今もきっと天国から、大海赫先生や皆さんのことを見守って支えて下さっていることでしょう。


3️⃣献花
・白いカーネーションを、それぞれの想いで献花台に。


4️⃣ 弔歌(BEERHIVE=Mayaさんとコイデヒトシさん)
・アジサイさんの好きだった曲を、哀切のこもった歌とギターで天国に捧げる。
①ムーンリバー
②ワンノートサンバ


5️⃣アジサイさん思い出の動画
・滝田キヨシさんが編集して下さった約8分の思い出。出席者全員で懐かしくも楽しかった光景に大笑い。


5️⃣親族代表のご挨拶(アジサイさんの弟さん)
・自分は姉より8歳年下でした。姉は面倒見のいい人で、府中でも「3畳間が空いている」と同居させてもらった。横浜にもついて行った。経済的にもずいぶん援助してもらった。大海赫先生と姉が結婚した時は『大丈夫?』と親戚中で心配した。姉は自身も童話作家を志した時代があり、大海赫先生の創作活動に生涯尽くした。大海赫先生は姉という人と出会えて、本当に良かったと思う。
 尚、姉が実際に亡くなったのは、10/8の午前11時だった。姉が亡くなった時に、2匹の犬を預かった。風太郎と風次郎の2頭だったが、風次郎は山梨県に移って直ぐに死んでしまった。風太郎は今年の8/11に19歳で生涯を閉じた。今日は姉の遺影を作って持ってきたが、犬好きの妻のアイデアで、犬たちを姉の遺影に一緒にした。ふつうならやらないことだが、お許し頂きたい。


6️⃣大海赫先生からアジサイさんに贈ることば
・「今日はありがとうございました」とシンプルにお礼。20分を予定していたが1分以内(笑)。いつも良くも悪くも期待を裏切ってくれる先生。


7️⃣食事会
・岩本利明・復刊ドットコム社長の献杯でスタート。なんと子供の頃「ビビを見た❗️」を読んでいたそう。


8️⃣散会
・土浦CHIC-SALEの山下さんご夫妻に作って頂いた「ビビを見た❗️」ハンカチと絵葉書、大海赫作品シール6枚の素敵な記念品3点セット。


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