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先日話を聞いたあのひとは、カオナシだったと思う。


 
 
 もちろん、シルエットのことではない。
 それはそれで色々そそられる人もいらっしゃるだろうが。

 まずは、わたしの話を聞いてほしい。

話を聞くということ

 わたしは、ひとの話を聞くことが多い。
 そういう職業なのか、ということはご想像にお任せする。

 話を聞く、という行為は簡単そうにみえてとても難しい。
 その「聞く」という行為だけですっきりすっかり終わるときもあるが、わたしの場合はそうでないことの方が多い。(わたしの聞き方に問題がある可能性については、ここでは言及しない。)

 何らかのアドバイスや解決策、具体的な手助けを求められることもある。
 かといって、アドバイスしたら全員納得するのかというとそうでもない。


 ここで、カオナシ、いやカオナシさん(仮名)の登場である。


 先日のカオナシさん(仮名)は、完全にそのタイプであった。
 どのタイプかと言うと「聞くだけですっきりすっかりしないタイプ」である。


 内容は避けるが、カオナシさん(仮名)との会話は「あー言えばこー言う」状態であり、正直アドバイスする気も聞く気も失せた。疲れた。なんでこんなことしてんだろうとまで思った。


 最終的には、カオナシさん(仮名)からわたしへの糾弾で幕を閉じた。
 どんな糾弾があったのかという詳細は聞かないでほしい。


 この話がなぜ、かの有名なカオナシとつながるのか。不思議に思われるだろう。
 ここからは、完全なるわたしの独り言である。
 あ、これまでも独り言だった。

カオナシ、とは



 カオナシには諸説(と言っていいのかもはや分からないが)、公式含め色々な考え方があると思う。
 それを引き合いに出すつもりはない。


 大人になり、おばさんに片足突っ込む年になって観た映画でわたしはこう感じた。


 神様になれなかったカオナシ。
 誰とも混ざれず。そこにあるのは孤独。寂しさ。

 踏み出すきっかけをくれた彼女に、カオナシは依存した。
 それでも、やっぱり、やっぱり、みんなに受け入れてほしかった。

 それと、彼女には、本当の意味で受け入れて欲しかった。

 でも結局は金がモノを言う。
 誰も本当に望む形では受け入れてくれなかった。

 彼女しか、受け入れてくれない。
 彼女には、自分だけがいい。
 彼女には、自分さえいれば、いい。

 でも、彼女に否定されてしまう。

 募っていた思いが溢れて、溢れて、暴動になる。

 彼女が、みんなが、もっとさらに遠くなる。


 映画の終盤では、彼女と彼はひとつの愛を形作る。

 そしてカオナシも、最初に思い描いてたものとは違う形で、受け入れてくれる場所を見つける。

 わたしはここでこう思った。
 「これって、誰しもが持ってる感情じゃない?」って。


 先日わたしがお会いしたカオナシさん(仮名)も、これ以上傷つけられず、ありのままで、認めてくれる、受け入れてくれる、安心して過ごしていける、そんな場所を、ひとを、探していたのだと、いまになって思う。

 そして、わたしはそんな場所に、ひとに、なれなかったのだとも思う。


 みんなに好かれて、は難しい。
 みんなに認められて、は大変だ。
 みんなに求められて、なんて無理だ。

 たったひとりを、たったひとつがあれば、心穏やかに過ごせるのかも。


 カオナシさん(仮名)は、安寧の地を求めて、まだ彷徨っているのだろうか。
 わたしには、結局わからないまんま。

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