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待ち受け画面〜奇譚集②〜

いつものカフェ、というには少しレトロすぎる喫茶店。
今は午後から夕方に向かう15時過ぎ。いつも騒がしい学生軍団もおらず、またランチどきも終わっていたので、店は静かだった。
俺は大学での授業を終えて、少しばかりの休憩と仕事を持ち込み、カウンターの自分の定席に広げていた。コーヒーの湯気と少し控えめになったオペラのBGMがあるだけ。店主は俺に店番を任せて買い出しに行っておらず、まさに俺だけの空間。‥‥と思っていたのは、どうやら俺の勘違いで、俺の席から一つ空いたところに人が座っていた。
全く気づかなかった。ちょうどひと段落終えて用意していくれていたコーヒーと軽めの軽食に手を伸ばした時だった。隣に見えた影に驚いた。手を伸ばしたコーヒーカップをひっくりかえしていまい、コーヒーがこぼれてしまった。カウンターにコーヒーが広がっていく。

「おぉわ!あ!無事か!」

コーヒーがこぼれたことに驚き慌てるも仕事道具に支障は出ていない。1人で大声を出しているのが面白かったのか、隣からくすくすと笑い声が聞こえてきた。

「ごめんなさい、あなたの行動が面白くて」
どうぞ、と白いハンカチを差し出された。声は女、そしてやっと顔を見た。肌の色の白い髪の長い女だった。絵から出てきた清楚な令嬢、という言葉が本当に似合う女。服は肌の色に合うように、紫のワンピース。魔女のようだと思った。
じっとりと俺の姿を見てくるのに、どこかそんなことを思わせた。

「あぁ、すみません。ありがとうございます」
借りたハンカチでコーヒーのシミを拭いていく。白いハンカチに茶色のシミが付いてしまった。
「シミがついたので、弁償します。いくらですか?」
コーヒーのシミが大きくついて、これは染み抜きしても落ちないだろうと思い、値段を尋ねるも、相手は首を横に振り断った。

「構わないわ。それに私がいて驚かしたようなものだもの。あなたの面白い動きも見れたから」

クスクスとさっきの俺の動きを思い出しているのか笑っている。
「あ、いや。お恥ずかしいところを。でも、こんなきれいなハンカチを汚してしまったし、せめてなにか」

断られたとはいえ、ハンカチ一枚だめにしたので、罪悪感はある。
今はマスターもいないので、何も出せないが、帰ってきたら軽食ぐらい出してもらおう。

俺の提案に相手は「そうね」と口元に指を添えた。

「あなた、お時間あるかしら?」

「え、えぇ。マスターが帰ってくるまでは」

「なら、私に起きた不思議なことを聞いてくださる?
とってもとっても、不思議なことを。ハンカチはそのかわりでいいわ」

相手は近くにあったハンドバックからスマホを取り出して話を始めた。

私のある友人の話なの。
友人には好きな人がいた。とってもとっても、毎日毎日眺めていたいと思うほど、その人が好きだったの。
けれどね、物理的にそんなことをしたら、ストーカーになってしまうし、その人からも嫌われてしまう。嫌われたくないし、その人とは本当にいい関係でいたい。
だから、その友人は考えたの。
『一生、自分がその人のことをどこかへ閉じ込めて毎日愛でたらいいのよ』
もちろんそんなことをしたら犯罪。第一、相手の家族や周りの人が探し出すでしょう。
けれども、友人はある方法を見つけた。閉じ込めたいものを相手に見せて閉じ込めるっていう、簡単なもの。友人は実行して成功した。そして、今でも友人は大好きな人を毎日毎日見つめて幸せだそうよ。

「けれどもね、閉じ込めた相手はその中にいるのがわからないのか、毎日毎日助けてって叫ぶの。結果、スマホのひび割れが本当にひどいらしいわ。
でも、それはそれで愛よね。その人が私のことを愛しているように、私もその人のことを愛しているのだから」

相手はそう話し終えると、スマホをこちらに見せた。
スマホの画面はひび割れをしている。その奥には髪の短い人物が拳を振り翳して壁を叩くようにバンバンと叩いている。ピキピキ、とひび割れの音が聞こえ、スマホの画面にヒビが一つずつ入っていく。口元は何かを喋っているように口を動かしている。こちらに気づいたのか、必死にバンバンと叩く。叩く頻度に合わせてスマホの画面のひび割れも増えていく。

「あぁ、また暴れてる‥‥。もう、本当にあなたは私のことが大好きね。
大丈夫よ、あなたのことはこの人にしか話をしてないから」

スマホを自分の方に向けてうっとりと微笑む。そしてひび割れたスマホの画面にキスをする。
その表情はどこか狂気を含んでいた。昔こういう目をたくさんみてきた、口元は歪み、目尻は落ちているのだが、眼はどこまでも暗く、闇が深まっている。じーさんの仕事に付き添っていたときに、客たちがする目‥‥。狂気に囚われた人間たちの目だ。

「これでこのお話はおしまい。素敵なお時間をありがとう。あぁ、コーヒーのお代は置いておくから、マスターに渡しておいてくださる?」

スマホを大切にハンドバックにしまい、相手は去っていった。

カランカラン、とドアベルが鳴り響く。
パタリと扉が閉まるまで、俺はただ立っていることしかできなかった。
あれは、あのスマホの待受は、本当に人間なのか?
今流行りのVロイドなどという、自分で動きをつけて作れるキャラクターなのではないか。
納得させるために、知識を総動員しても自分で自分を納得する理由が出来なかった。
なぜなら、あれは本当に人間だった。アニメキャラクターやイラストでない、ましてや写真を動画のように動かしているわけでもない、正真正銘の人間‥‥。肌の質感、目の生気感、全てにおいて人間だった。むしろ、あのスマホを愛おしそうにみているあっちが人間ではないように思えた。

相手が去った後、俺は額の汗が落ちるのとともに座っていた椅子に力無く腰を下ろした。
狂気と天才は紙一重、という。まさかあの人のいうとおり、調べた方法なるものが成功したのか?それとも、今の時間帯が見せた幻だったのか。

「幻‥‥」

カランコロン。

独り言を呟いた瞬間に再びドアベルが鳴り響く。思わずその音に驚き、扉を見ると、買い物袋を持ったマスターが立っていた。

「すみません。店番を頼んで‥‥どうかしましたか?」

「あ、いや」

「カウンターにコーヒーのシミがある。珍しいですね。あなたがコーヒーをこぼすなんて。それに、その白いハンカチ、早く洗わないとシミになりますよ」

ハンカチ‥!俺は咄嗟にカウンターを見た。確かにそこには、あの人が俺に渡したハンカチがあった。

『なら、幻じゃない‥‥!』

俺はゾワリと背中に寒気が走るのがわかった。あの人は、愛している相手をスマホの待受画面に閉じ込めて、一生愛でてるのであろう。
しかし、そのスマホが壊れた時、閉じ込められている人はどうなるのだろうか‥‥

「どうかしましたか?さっきから顔色が悪い」

マスターはカウンターの中に入り、俺の顔色を指摘する。そして、おや?というふうにカウンターをみてつぶやく。

「俺がいない間にお客様でもきましたか?新しいカップと、お札があるのですが」

俺は訳もわからずに寒気から逃げるように、残りのコーヒーを飲み干した。
あの人のあの恍惚とした狂気の表情を忘れるために。
         了

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