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雨の日のバータイム③

「‥‥あんた本当にそんな与太話信じるの?」

グラスを持ちながら女が聞く。表面にはうっすらと水滴がついている。
話し終えた男も喉を潤すようにグラスを傾けて苦笑いを浮かべた。

「まさか。あなた方の前ですよ?ただこういう人間もいるのだなと思っただけです。雨の日におあつらえ向きではありませんか?」

「そうね‥‥。暇を潰す程度にはなったかしら。‥‥悪魔だなんて、なんでも願いを叶えてくれるメフィストフェレスじゃあるまいし」

「メフィストフェレスですか‥。ファウスト博士が望んだものは、若さ。
そしてその彼が望んだものは富と名声だったのか、それとも凄まじい絵を描きたかったのか。それは画廊のオーナーにもわからないと。
そして、パトロンを名乗り出た人物から後日連絡があったは、その青年を見つけて、自分の家に置いて絵を描かせている。という連絡はあったそうですよ」

「与太話も与太話。三文小説じゃない、アホらしい」

女は髪を掻き上げて声を大きくした。その様子をカウンター越しでバーテンダーは何も言わずにグラスをただ拭いている。

男は女の様子を構わずに話を続ける。
「ですが、その青年の親族を名乗るモデルになった少年、彼はどうなったのでしょうね?
少年に関しては何もわからないそうですよ。もしかしたら、その少年こそ、彼が契約した悪魔だったとか」

「あるいは、天使だったのかもね。迷える子羊に魂の救済を。
そして、肉体の行く末を身をもって知らしめた、または人間の欲深さを知ってしまい、絶望したとか?」

女の言葉に男は目を見開いて、女に体を向けて驚いたように両手を上げた。

「おやおや、あなたがまさかこんな与太話の続きを推察するとは。
だから雨がひどくなるわけだ」

男は両手を下げてカウンターに向き直る。そしてグラスを傾けながら窓の外を見る。先ほどより雨は強く降り、窓を強く打ち付けていた。
ジィ‥‥とレコードが終わる音がする。二人はただその音を黙って聞きながら酒を飲む。静かな空間に、ただ雨の音だけが響く。

「本当に怖いのは、欲深い人間だわ。悪魔は己に忠実であっても、人間には興味がない。あるのは己の欲のためだけよ」

「それはわかっていますよ。タバコ、吸っても?」

バーテンダーは黙って頷いた。男は笑いながら懐からタバコを出して吸い始める。バーテンダーはそっと男の前に灰皿を置いた。
フーッと煙を出す。その紫煙をバーテンダーと女はじっと見る。

「‥‥雨の日の煙もなかなかいいものね。三文小説の汚れが煙と共に落ちていきそう」

女はポツリとつぶやいた。その呟きに男は苦笑いをした。

「雨の日に、こんな話もたまにはいいじゃないですか。
真面目な話ばかりでは肩が凝りますから。
それに、本物の悪魔たちの前で話すから、三文小説にも箔がつきますよ」

男は苦笑いと共に紫煙ととも吐き出した。
女はちらりと男を見て、バーテンダーを見た。女の目は少しだけ金色に光って見えた。

雨はザーザーと強い音を立てて窓に雨粒を叩きつけていた。

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