見出し画像

日記#01│めんどくさい人間の特権

昨晩もやもやする事案があり、それをもやもやの原因となったひとに伝えるために、LINEで長い長い文章を書いて送った。

よくテレビ番組やSNSで「長いLINEを送るやつはめんどくさい」という意見を目にする。ほんとうにそうだろうな、と送ってる当事者もわかっている。わかっているけれど、短い文章で相手に伝えたいことを伝えきることができない。

仕事では「できる限り簡潔な文章で、わかりやすく」を心がけているのに、プライベートになると「自分がいかに傷ついたか伝えたい」という欲望が暴れて言葉の連鎖が止まらなくなる。おなじ「文章」という分類でも、「調理器具」という分類の中にある「まな板」と「包丁」くらい、前者と後者の役割は異なる。だから「文章」にも「〇〇」と「△△」みたいに小分類が欲しい。

私から発された言葉の連鎖に、相手はじつに丁寧に対応してくれた。その人にしては、珍しく長い文章を書いて戻してくれた。それを汲んで、私はまた最初以上に長い文章を送る。そのキャッチボールは一球があまりに重たくて、あっという間に時間が溶けていく。相手からの返信を待っているあいだ、生きた心地がしない。

電話すればいいじゃん。何度もそう思った。でも、こわくてできない。リアルタイムの会話だと言葉の暴走がもっと止められなくなる。言わなくていいことが口からこぼれてしまうのがこわい。

私は言葉を連ねるとき、キーボードの左上のデリートキーに頼りまくりだ。何度も消す。この言い方は強すぎる、この言葉は本質的じゃない。リライト、リライト。実際の会話ではデリートキーが打てない。だから、喧嘩であったり、誰かに何か重い内容を伝えたりすることが昔から苦手だ。私の頭は感情があふれると時系列や事実を歪めてしまう。

深夜まで続いた重たい言葉のキャッチボールは、就寝を合図にいったん休戦に。でも眠れなくて、ベッドの上で溢れ続ける言葉や想いを抱えて、うずくまっていた。

今日、その一連を振り返ってこぼれたほんの数行の言葉をSNSに投稿したら、親友が即座に助けの手を差し伸べてくれた。「ん、これはすぐ話を聞いたほうがいい事案っぽい」と親友アンテナが反応したらしい。感度が優秀すぎる親友に感謝しかない。

親友とはすぐ電話をつないだ。いや、つなげた。今回の原因に関わる本人じゃないからというのもあるけれど、彼女は私の言葉の合間にある感情を「解る」ひとだという絶対的な信頼がある。だからデリートキーがなくても安心して話せる。

心から本音をリリースいくうちに、だんだんと荒波が凪になっていった。加えて自分の考えに共感してもらえたことで、感情の暴走は収まっていった。

彼女の言葉の多くが私にあたたかな感情をくれたけれど、いちばん自分のなかに刻んでおきたいと思ったのが、「めんどくさい人間だからあなたは繊細な文章が書けるんだよ」という言葉と、「めんどくさいけれどおんなじくらい愛しいんだよ」という言葉だ。

自分のなかに渦巻く感情、疑問を簡単には手離せない。スルーもできない。それらがぐちゃぐちゃに混ざって煮詰まったものが、文章になっていく。

そうやって書いた文章が、ときにほかの誰かにとって何か価値のあるものになるときもある。それを評価してくれる人がそばにいるということを思い出したら、私のなかの壊れかけた自信が、すこしずつ回復していった。

誰にでも簡単に自分の感情を吐露することができたり、会話のなかで自分の感情を整理することに苦手意識がなかったりしたら、私は文章にここまで執着しなかっただろう。もしも文章を書いていたとしても、デリートキーに依存する人間じゃなかったとも思う。

めんどくさい人間にはめんどくさい人間の特権がある。そしてここは、めんどくさくない人間が生きやすくデザインされた星だ。だから、めんどくさい人間は「生きにくさ」を乗り越えていくために特権を行使して、「生きにくいけど、まぁまぁ楽しいんじゃない?」くらいの人生を勝ち取っていくほかないんだろう。どんなに頑張っても、めんどくさくない人間にはなりきれないんだから。

特権の使い方は千差万別だし、たとえ特権を使っても実際に楽しくなれる人は少数だと思う。でも、そんな自分を誰かが「愛おしい」なんて言葉で表現してくれる日が来るんだから、人生捨てたもんじゃないよな。

だから、この星では呼吸しづらくてしんどい、めんどくさい人たち。どうか自分を心理的にも物理的にも殺さず、めんどくさい人間同士、無理しないで生きていこうね。

読んでいただき、ありがとうございました!もしコンテンツに「いい!」と感じていただいたら、ほんの少しでもサポートしていただけたらとってもとっても嬉しいです。これからもよろしくお願いいたします。