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次は乾杯する前に

ジュリという女性がいる。

眠そうに脱力した瞳と、めったに笑わない物憂げな唇がチャームポイントだ。ショートヘアからのぞく大振りなアクセサリと、たるんとした花柄のシャツなどの組み合わせが似合ってしまう。ずるいくらいにしゃれた女性だ。

ジュリと出会ったのは大学時代。身に余るウェットな大恋愛を抱えていたのがふたりの共通点だった。はじめから意気投合して、豊かな語彙力を盛大に無駄遣いした恋愛話を交わした。極めてロジカルでドライ。けれど情で非合理的な判断に至ることもある。強いようで、弱い。固いから、脆い。私たちは根が似ていた。

私たちはデートをするようになった。ぶらぶらと歩きながら語り、時々本屋に寄っては語り、おいしいものを食べつつ語る。

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道程や食事の店はほとんどジュリが決めていた。ジュリはおいしいものが好きだ。都内の至るところで、砂の中に埋もれた星のような店を見つけては、私を誘ってくれる。

それは例えば、珍しくクスクスを食べられるフレンチだったり、妙な形の手打ちパスタを盆に十種以上並べて選ばせるイタリアンだったり、駅からやたら遠い住宅街に潜む蕎麦屋だったりした。そのどれもが、私のおいしい店ランキングを更新していく感動をくれた。

どうにも娯楽や飲食を後先考えずむさぼる私に、「量はわきまえて」とぴしゃりと言えるのがジュリだった。そうやってジュリに叱られると、心配してくれる存在をひしひしと感じて、思わず顔がほころんだものだ。ジュリとの時間、私はできる限りゆっくりと酒を味わい、止まない会話に浸った。

ジュリとのデートの日ほど、洋服を選ぶのが楽しみな朝はなかった。それまでは誰かと会って、時間が足りないと思うことなどなかった。そして私たちは、きっとそれぞれ自分の弱さを十分理解していたからこそ、テーブル越しの距離を崩すことがなかった。

面倒くさくなる距離感、お互いの心情を踏みにじってしまう一言。それらを丁寧に避けながら、もっと相手を知りたいと願い続けてきた。だからテーブル越しという表現がぴったりくる。おいしい食事を挟んだ私たちは、大切だからこそ時間をかけて、互いを好きになり続けてきたと思う。

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うたうことがジュリのライフワークだ。大学のサークルに入ったのがきっかけで本格的に歌い始めたそうだが、まるで魂で歌う国の生まれであるかのように、彼女の声はパワフルで妖艶、そしてどこか丸くやさしい。出会ったころからずっと、私はシンガー・ジュリのファンだ。

カラオケでその歌声を独り占めできるのもうれしいが、一番しあわせなのはステージで歌うジュリを見ている時間だった。

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いつもは無表情を決め込んでいるジュリが、ぱかっと大きく開かれた口から、深く吸い込まれた呼吸を声にして放つとき、それは香りや色となって空間にあふれるのだ。ジュリは泣きそうな笑顔で歌うことがある。その表情は、歌に向き合うジュリの幸福そのものなのだと思う。

ステージと観客席。この距離でジュリを見守るとき、私はいつも清らかな気持ちになった。ただ彼女の才能を称賛し、嫉妬することなく、輝ける時間を味わう彼女をいとしく思えたから。そんなこと、めったにないのだ。いつだって私は、周りのすぐれたひとと相対するとき、自分を卑下するから。

私の病的な自信のなさを超える強さで、私はジュリが好きだった。だから、ステージ上から私を見つけて、やさしい目でサインを送ってくれるジュリのことを、心から美しいと思えた。

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29歳の秋、私は東京から北海道に引っ越した。引っ越す理由は多々あったが、それでも東京に残りたかった理由はただひとつ、ジュリと一緒の場所に居たかったことだった。

「だいじょうぶ、出張したら会えるんだから」と心のなかで言い聞かせ、私はジュリと気候も文化も異なる場所で暮らし始めた。ジュリと出会ってから、ちょうど10年の月日が流れていた。

出張するたびにジュリと夕飯の予定を入れた。ジュリも大切なひととふたりで北海道旅行に来てくれた。結局、引っ越してからのほうが会う頻度が増えた気もする。遠い距離を経て会うことで、ジュリとの時間はより尊いものに感じられた。

ある時に至っては、ジュリのライブに合わせて飛行機を予約してしまったことがある。遠征までして、ほんとうに従順なファンだなと我ながら感心する。

パリの街を一日中歩いても疲れひとつ見せず、口に余るバケットサンドを頬張って公園の風を受ける姿を見たとき、この人には一生適わないな、と私は笑った。初めて友と海外旅行に行ったが、「次」を願う旅になった。自分勝手に休みたい私と動きたいジュリは、互いの時間を尊重しあえるから、旅仲間としてもぴったりだったみたいだ。

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でも、やはり私たちの距離はたしかにあるものだった。ほんのささいな会話のなかでも、ジュリと私の間に認識の差のようなものが生まれはじめたことを感じるときはあった。住まう場所が違うというのは、そういうことなのだろう。それでも、私たちは変わらず会話を楽しめた。互いの生活を面白がれた。

そんな矢先、私たちの距離を分断するものが暗雲のように社会を覆った。

「そろそろ電話がしたい」とジュリからLINEが来たのは、2020年3月末ごろのことだ。そのメッセージの最後に(さみしい)と加えられているのを見て、「これはただごとではない」と察した。

スマートフォンが熱くなっていくのを耳で感じながら、久々にジュリの声を聴いた。ほぼ一時間。ジュリは相手の時間の重みを知っているから、だいたいそれくらいしか話さない。

コロナ禍で初のリモートワークに突入した、とジュリは説明する。

――東京は今、こんなふうだよ。大好きな飲食店巡りも、休日に楽しむ遠出も、息抜きだった海外旅行も当分は行けそうにないよ。歌もなかなか歌えそうにないな。いまできることを、するしかないんだけれどね。

やけに淡々と近況を話すジュリの落ち着いた声に、私は痛みを覚えずにはいられなかった。

文章を書くことが生きがいで、かつ自分から田舎にこもって暮らすことを選択した私にとって、コロナ禍は不安でこそあれ魂を削られる日常ではなかった。一方、ジュリの場合はどうだろう。しあわせな時間の多くが閉ざされ、いつ終わりが来るかもわからない状況なのだ。

月に数回、私たちは電話をするようになった。少しでもジュリの家での時間が華やぐようにと、お気に入りの茶葉を送る。これまで互いの誕生日は直接プレゼントを渡しあっていたが、今年は郵送した。ほうぼうでZoomのやりとりが増えるなかでも、ジュリとの会話は電話だった。顔は見ない。声だけ。PCも使わない。スマホで。それが暗黙の了解というか、しっくりくる手段だった。

「会いたいね」と、ジュリは電話を締めくくるときに言う。その声色は決して悲しさを感じさせるものではない。けれど、電話を切った直後しんとした天井を眺めていると、その声が反響して、心がじりじり焦げるにおいがした。

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コントラストの強い風景を窓から眺めるだけの夏がやってきて、『また乾杯しよう』というテーマでエッセイを書く機会をいただいた。このテーマを目にしたとき、私は誰にこの希望の誘いをかけたいだろう、と自分の心に訊いた。

その瞬間、はじけるように鮮やかによみがえったのは、ジュリとの乾杯だった。いったいどれほどの回数、私たちはテーブル越しにグラスを鳴らしただろう。時にそれはワインで、あるいはビールジョッキで、ジュリだけソフトドリンクのときもあり、深い色の猪口のときもあった。

髪の毛が伸びて、また短くなり、洋服の趣味が変わって、季節が巡って。生きる場所が離れても。テーブル越しに向き合いグラスを持つジュリは、どの記憶でも、歌うときのように笑っていた。

幾度もの乾杯が心のなかで重なり合ったとき、涙がこぼれた。
会わなければ。私たちは乾杯できないのだ。
私たちはオンラインで再現することなど到底できない時間を交わしてきたんだ。

ジュリが心からしあわせをかみしめる姿を、私はまた感じたい。
歌い、おいしいものを食べ、喜ぶ笑顔が見たい。

だから私は『また乾杯しよう』という誘い文句を、ジュリに贈る。
この文章とともに、東京の部屋でひとり歌を口ずさむあなたに贈ろう。

悪いけれど、今度会うときはテーブル越しの距離を越えさせてもらう。
次は乾杯する前に、その小さなからだを抱きしめさせてくれ。



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このnoteは、キリンと開催する「 #また乾杯しよう 」投稿コンテストの参考作品として、主催者の依頼により書いたものです。

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