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なるべくしてそうなっているから、私は稼げない人生か!?

 今朝はゴミの日。ゴミ出しは軽トラを運転してゴミ捨て場まで出しに行く。じゃがいも農家にいた時以来のマニュアルの軽トラ運転。まだ一人じゃ危ないので、隣のかあさんに同乗してもらう。

 ゴミ捨て場の近くに、私が働かせてもらっているボスの畑がある。
 オクラの花は咲いているけれど、夏野菜ももう終わり。バイトもほとんど行ってない。

 そこでゴミを捨てに行った帰り、隣のかあさんと今後の話になる。
 
「基盤をもたなきゃいけないよ」

 これ、前にも言われたこと。

 確かに私は基盤となるものが何もない。
 転職も多いし、一所不在の生活スタイル。
 借金はないが貯金もない。
 その日暮らしのキリギリス。
 風来坊とか裸の大将とか行く先々で今までも色々言われてきた。

 そのかあさんも別に私のことを批判しているわけではない。

「経験豊富でコミュニケーション能力も高いし、きっと活躍できるところはあると思うのに、こんな田舎でその日暮らしはもったいないよ」

 そういうことを言っている。

 私は本当は稼ぎたい!
 自分を発揮して豊かになりたい!
 人の情けで生きるのもそれはそれでありがたいけれど、本当は自分が一番自分のことをどこかで情けないと思っている。

 だから朝ごはんのカレーを食べながら一人泣いている。

 カレーはおいしいし、住処はありがたいし、幸せだと思うんだけど、心がざらっとしている。

 なんで自分は稼げないの? 

 今は中国の大学の日本語科のオンライン授業をしているが、いくら学生に慕われたって、最高の先生と言われたって、私の給料は大学生のバイト代と変わらない。

 まあもともと私は「先生」になる気なんてなかった。
 元夫の仕事についていって、自分もなんとなく始めたら、人気教師になったというだけで、日本語教師の資格もなければ、語学が堪能なわけでもない。

 ライターの仕事をしていたときも、元夫と別居になって家賃はらうための雑用のバイトで面接に行ったら、「あなたは書くことの方が向いているからライターの方をしてみないか」と勧められたのがきっかけだった。

 このように、仕事って、なんとなくその仕事に就いたって流れでなる人もたくさんいると思う。

 それはもうその仕事とのご縁というか、芸能人でいうと「親や親戚が勝手に応募した」とか趣味でやってたインスタや動画が注目されてみたいな。

 だから私は才能や努力があれば必ずしもその仕事に就けるとは思ってなくて、それはもう生まれる前に「今度の人生プランはこうしよう」みたいに大体決めてきていて、それに必要な旅の資金、つまり稼げる金額も決まってるのかなとすら思う。

 十代の頃私は本気でミュージシャンを目指していて、それこそ寝る間も惜しむぐらいの努力をしていて、大きいオーディションの四次審査までいったがダメだった。

 今は漫画でも出版社に持ち込みとかしなくても、pixivとかで発掘してもらえる時代。ネットシンガーもあふれてて、ライブ経験なしでもデビューなんてことざらにある。

 泥くさい努力なんていない。情報があふれたこの時代では、スポーツでもなんでも高度な模倣である程度のレベルにまで達する。
 その代わり、破天荒な天才が現れにくくなっている感は否めない。芸人ですらコンプライアンスを求められるこの時代、赤塚不二夫や横山やすしみたいな人は出てこない。

 ちょっと脱線したけど、何が言いたいかと言うと、時代性や背景にあるものも含めて、そうなるべくしてなるものはなるってこと。

 中学の時の先輩の言葉を今も思い出す。

「これだけのエネルギーがあるのだから将来なにがしかの成功をおさめるだろう」

 私は宝を持ち腐れてきたわけじゃない。

 その時、その時でやりたいことを一生懸命やってきた。

 でもいまだにモラトリアム人間な私がいる。

 もう今となっては、「この生き方こそが自分であって、この生き方をしている私というのものがすでにほかの誰でもない自分という表現の形だ」なんて思ったりもしてるけど、居直りだろうか。

 でもそこには少し寂しいあきらめもある。

 本当は誰に言われる言葉より、自分自身が自分のことを「情けない」って思っている部分があるからつらい。

 人の口から言われる言葉は、自分が誰かの口を借りて言わせている自分からのメッセージ。

 だからこんなにも心が痛い。まさに痛感。
 この生き方も嫌いじゃない。
 でも、「稼げない」「基盤がない」っていうのは自分の強いコンプレックスでもあって、時々殻に閉じこもりたくもなる。

 基盤とか安定ってなんだろう?

 今の時代、定職について老後のために貯蓄して安定した暮らしをするって当たり前のことでもない気がする。

 周りから見れば私の生き方は危うくて、それこそ真冬のキリギリスになるのが目に見えているんだろう。

 でもそう言われながらもここまで生き抜いていきた自分もまたすごいとは思っていて、不安よりも「なんとかなる」が強化されてしまった。

 必要なものは必要な時に与えられる。
 これは経験上確かにそう言える。

 だから老後のたくわえがなくて将来不安ってのが悩みというより、単純に「なんで稼げないんだろう」ってところが悩み。
 何の努力もしてこなかったわけでもない。行動力がないわけでもない。縁も運も強いと思う。

 それでもここでも相変わらずのダメ出し。
 ダメ出ししているのは自分。

 本当は納得なんてしてないし、「稼げない自分」っていうレッテルを自分自身につけていることが許せない。

 これもエゴなんだろうな。それを捨て去るために乞食や托鉢があるんだろう。あれはプライドやエゴとの闘いなのかもしれない。

 ああ、しょっぱい、しょっぱい、カレーがしょっぱい!

 今夜のカレーも塩辛い。

 

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