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【クラシック音楽】サティの魅力

名作『ジムノペディ』を生んだ音楽界の異端児、
エリック・サティという作曲家を知っていますか?

エリック・サティ(1866〜1925)、フランス・オンフルール生。
かつて大学教師から「長所はない」と評価されるほどの怠け者であったが、
これまでの音楽にはなかった新しい雰囲気を醸し出す作品作りに成功した作曲家。

この時代で有名なフランスの作曲家として、ドビュッシー(1862〜1918)やラヴェル(1875〜1937)がいる。
まさにこの2人は印象主義の音楽を大成させた作曲家と言われており
サティよりもポピュラーな存在かもしれないが、
実はこの印象主義音楽の先駆けとなる作品を手掛けていたのがこのサティ。

彼は、音楽も生き様も全てが風変わり。
彼の曲のタイトルの大半はふざけている。
『犬のためのぶよぶよした前奏曲』『梨の形をした3つの小品』などなど。
犬のためのぶよぶよした前奏曲って・・・
ツッコミを入れたくなるところですが、サティは題名で作品を判断する人たちへの皮肉を込めてこのタイトルをつけたのだとか。

サティの人生については、以下のような感じだ。

・1866年、フランスのオンフルールで生まれる。
・教会に入り浸る。
・13歳、パリ音楽院に入学。
・20歳、パリ音楽院を中退。(退屈すぎたらしい)
・21歳、モンマルトルの酒場でピアノ弾きのアルバイトをする。
・1889年、パリ万博
・24歳、薔薇十字教団の神秘小説家と出会い、聖歌隊長になる。
  *薔薇十字教団・・・ドイツに興った精神運動
・27歳、薔薇十字教団を去り、画家と付き合い始める。(半年で交際終了)
・38歳、スコラ・カントラム(聖歌学校)に入学。(傘で喧嘩して警察に留置されたりしていたらしい)
・42歳、学校卒業。アルクイユの社会主義委員会へ入党。
・48歳、ジャン・コクトーと知り合う。
  *ジャン・コクトー・・・詩人、小説家、劇作家、評論家、画家、映画監督、脚本家。芸術のデパートと呼ばれる
・53歳、ダダイズムの芸術家と交流。
  *ダダイズム・・・スイスに興った芸術・思想運動。既成秩序を批判。
・1925年(59歳)、肝硬変のため死去。

サティに限る話ではないが、人との出会いはその芸術性にも大きく影響を及ぼすのだなと感じる。
ピアノ弾きのアルバイトを辞めたあと、別の酒場に移りドビュッシーと出会ったり、
前衛舞台芸術『パラード』を通じてスペインの著名な画家であるピカソと出会ったり。
(衣装、舞台美術はピカソ、台本・詩はコクトーが担当。)


そして彼の音楽は、どれも掴みどころがない。
突然現れたり消えたり・・・
だけど人は、そんな雲のような、漂っては逃げていくものに魅了される。

現代は、音楽や映画、小説などにおいては、新しいものに目が写りやすい。
また、インターネットやSNSの普及により、誰でも自身の芸術を発信できるようになった。
しかし、サティが生きていた時代はそうではなかっただろう。

どんどん変わっていく世の中。
どんどん変わっていく芸術のあり方。
そこに多様性を求め様々な作品を残したサティの存在は、忘れてはいけない。

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