見出し画像

年の瀬に、凹んでいる自分にエールを送ってみる

今年も終わろうとしている。
全体的には悪くなかったが、ひとつ、石につまずいた。
 
状況を適切に判断できず、対応が少々まずくて、結果としてある人と気まずくなった。
その傷をいまだ引きずりながら、年の瀬を迎えている。
 
あのとき、もう少し思慮深く行動していれば……
あそこで事態を軽く考えず、もっと慎重に行動していれば……
 
悔やんだり反省したりを繰り返している。
いまさら過去に戻ってやりなおすことなどできないのはわかっている。
ただ、自分がどこでどんな判断ミスをしたのかは気になる。
 
生きていると、何かと判断を迫られる。
大したこととは思わずに、そのときの気分で右か左かを決めることもある。
 
しばらくして、「あれ、違う、こっちではなかった」と気づく。
少し時間が経ってから、「そうか、あそこが分岐点だったんだ」と悟る。
「なぜあのとき、分水嶺にいると気づけなかったのだろう」と首をひねったりもする。
 
今回はちょうどそんな感じの出来事だった。
 
慎重さを欠いていたのか。そうともいえる。
軽率だったのか。そうともいえる。
でも同時に、そんなに単純なことではない気もしている。
 
どうしたら判断ミスを防げるのか。
 
そこは案外、簡単かもしれない。
何もしなければいい。
判断せず、じっとしていればいい。
 
そうすれば今回のようなミスは起こらない。
その代わり、人生が終わりに近づいたときに、
自らの生き方を悔やむことがあるかもしれない。
 
どっちがいいか。
やはり、主体的に生きたい。
自分で選びとりたい。
たとえ、痛い目に遭ったり苦しんだりしても。
 
そんなふうに考えていたら、凹んでいる自分をどやしつけ、活を入れたくなった。

    * * * 

おい、こら、シナモンロール!
そろそろ気持ちにケリをつけようぜ。
 
傷が癒えるのに時間がかかるとはいうけれど、
時間をたっぷりかければいいというものではないだろう。
 
さっさと気持ちを切り替えろ! これは、非情なことでもなんでもない。
嫌なことはさっさと忘れろ! これも、いけないことじゃない。
 
ただ、覚えておいた方がいいこともある。
迷ったときは、選択の幅をいっぱいに広げてみるということ。
望み得ることと、望み得ないことの線引きは、しっかりやるということ。
そうすればこのたびのような失敗は、多少なりとも防げるかもしれないから。
 
さて、来年はどんな年になるだろう。
きっとまた、想像もしないことが起こる。
きっとまた、判断を迫られてあれこれ思い悩む。
 
それでいい。
生きていれば問題は起きる。
生きていれば判断ミスは起きる。
完璧には生きられない。でも、主体的には生きられる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?