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自分以外のことの、大切にするやり方

私の生活はついに、孤独ではなくなった。

一緒に寝て、起きて、ご飯を食べて、喧嘩をする人を見つけた。

ずっと焦がれていた。

共に生きていく人。

絶対的に大切にしたい人。

私と出会って、手を引いて、こんなに遠い所まで連れてきてくれた彼を、幸せにする。

彼の笑顔と健康を、一生、守る。


そういうわけで、私は同時に、

一人でも、なくなった。


一人の頃私は、自分の仕事と趣味をやってればよかった。

将来を約束するわけでもない恋愛は、依然として、私のことだけを構っていればいいのに過ぎなかった。


誰かのために生きることと

自分のために生きることの境目がわからない。


相手の幸せを守ることと

自分の幸せも大事にすることの塩梅がわからない。


相手の意見を重視することと

自分の意見を持つことの優先度がわからない。


家族としての仕事を考えることと

自己実現として仕事を考えることの感覚がわからない。


どちらか一方だけではなくて、

自分の納得するものを大切にしながら、

相手のことも考えるっていうのが、

最善の解だということは頭ではわかる。


でも、

仕事でもがんばって、

家でもがんばるなんて、

できない。


だけど世の中の女の人が、

妻という人が、

母という人が、

それをやっているというのなら、

私は怠け者ということになるのだろうか。


それとも私は何か、偏見で固められた理想のこうあるべき、というものを、追いかけてしまっているのだろうか。

そんなにがんばらなくてもいいんだよ、という幻聴も聴こえてくる。


相手のことを尊重して大切にしようとすると、自分のことよりも優先させてしまうやり方になってしまって。


自分を犠牲にして、身を削って愛してしまう。


塩梅が、わからないのだ。


仕事のこと、女としてのキャリアプランのこと、子どもを産む年齢のこと、今の日本で子どもを育てるということ、健康のこと、自分のやりたいたくさんのこと、家族のこと、繰り返してしまう悪い習慣のこと。


そんなもののことでいっぱいで、

頭の中はまるで、

スノードームを逆さまにしてまた元に戻したときのようで。


私はそんな時ただ、

愛する人の腕の中でくるまって眠ってしまいたい気持ちになる。


3分でいいから。


今夜はそう言って、甘えてみようか。


私に足りないのは、一体何なのだろう。

いつか上手くやれる日が来るといいのだけれど。


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