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探偵file 001 大阪ディープ探訪① 「西成 天下茶屋」

大阪ディープ探訪① 「天下茶屋」


大阪ディープ探訪-西成 天下茶屋

地下鉄に乗って終点、最終駅で降りた。
天下茶屋駅である。北海道の人間にとってこのケッタイな地名は何ぞやと興味を持ち探訪に出発した。

天下茶屋という地名の由来

天下茶屋の地名は、かつてこの地にあった茶屋の名に由来するという。

この地は、古くは「天神の森」と呼ばれる鬱蒼とした森の茂った鄙びた土地だったそうで、そこに湧く水の良さに着目して茶室を建て、森を切り開いて道をつけたのが、豊臣秀吉の時代、あの有名な千利休の師に当たる武野紹鷗という人物で、以来この地は「紹鷗の森」とも呼ばれるようになったのだという。

天正年間 (1573–92) には楠木正行の十世孫であるという初代芽木小兵衛光立がこの森の西側を開き、ここに茶屋を出した。そして三代目芽木小兵衛昌立のとき、住吉神社を参拝した関白・豊臣秀吉がこの地に立寄り、この芽木家の茶店から清泉を汲んでお伴の千利休に茶を点てさせたところ、味の良さに感激。
そこでこの泉に「恵の水」の銘を、芽木家に玄米年三十俵の朱印を与えた。そこから関白殿下の「殿下茶屋」、天下人の「天下茶屋」などの名が知られるようになったという。

天下人 豊臣秀吉

江戸時代の代表的な仇討ちの舞台

備前国の戦国大名・宇喜多秀家の家臣・林玄蕃は、家中の長船紀伊守との争論が原因で、慶長5年(1600年)9月2日夜、当麻三郎右衛門のために闇討ちにあった。
その子・重次郎と源三郎の兄弟は敵をたずねもとめて苦心の末、当麻が伊藤将監と変名して豊臣氏の家臣・大野治長の家来となっているのをつきとめた。兄・重次郎は病態のために途中でむざんな返り討ちにあったが、弟・源三郎は家来の鵤幸右衛門(いかるが こうえもん)の助力によって、慶長14年(1609年)3月3日、天下茶屋で首尾よく父と兄との仇を討った。
しかし、この事件は実在しなかったという見解が一般的である。平出鏗二郎は『敵討』(1909年)において天下茶屋の仇討を「事実か不明、または不確実」としている。鵤幸右衛門は伏見人形の創始者と伝えられるが、これも疑わしいという。

江戸時代の代表的な仇討ちの一つとして有名で、これを歌舞伎化した『敵討天下茶屋聚』(かたきうち てんがぢゃや むら、通称:『天下茶屋』)は人気演目の一つとなった。

豊国三代「天下茶屋の仇討ち 早瀬伊織 足達元右衛門」万延元年【浮世絵】

明治時代後期になり、地域の東部は郊外別荘地としての開発が進められ、大阪市の発展に伴って住宅地へと変化していった。
大阪に縁もゆかりもない私みたいな者からすると、あの豊臣秀吉がこの地で飲んだお茶に感激したという所からついた地名だとは知らない人が多いのではないだろうか。
そんな由緒正しい地名だが、さてこの街はどんな街なのでしょう。

現在の天下茶屋公園が是斎屋の跡であり、公園東口の横に石碑が立っている。薬屋是斎屋は寛永年間(1624 - 44)近江の国の津田宗右衛門が住吉街道に面した当地へ来て「和中散」という薬を商ったのが起こりで、街道の旅人達で大いに繁盛したという。また茶屋としても有名であった。

天下茶屋探訪

降り立った天下茶屋駅はたいそう近代的で至って普通の立派な駅舎で、地下鉄にJRの複合駅。
ここには阪堺電車という路面電車が通っているのですが、「今船」「松田町」「北天下茶屋」の3駅周辺が天下茶屋一帯のエリアになるそうです。

天下茶屋駅


南海では最も古い歴史を持つ駅の一つで、かつては当駅と天王寺駅を結ぶ南海天王寺支線が存在した。新今宮駅の開業以降、天王寺支線は需要が低下して廃線となるに至ったが、天満・船場・島之内を縦断する堺筋線の延伸以降、利用者数は著しい増加を見せ、全列車停車駅に昇格した。出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B8%8B%E8%8C%B6%E5%B1%8B%E3%81%AE%E4%BB%87%E8%A8%8E

住所的には「天下茶屋」「天下茶屋東」「聖天下(しょうてんした)」という所。北に「天下茶屋北」という住所があるのですが、エリア的に「萩之茶屋」という所で、大阪、いや、日本屈指のヤバい所になります。

さて、さっそく探索してみましょう。
なんと、駅を降りてすぐ目の前の商店街がすでにディープスポット。

昭和な雀荘
天下茶屋商店街
暗い商店街
シャッター街 閉店している店の方が多い

駅東側にある天下茶屋駅前商店街はなんとも言えない昭和レトロな雰囲気を漂わせています。
大阪の西成区と言えば昭和の時代から治安が悪いことで名を馳せており、天下茶屋はその西成区の中でも特に治安が悪い場所として知られているといいます。少し新しめの住宅には防犯カメラを設置している住宅が多く、また、治安維持のための警告看板も多々見られます。

立ち飲み処
あびこ道・浜寺駅前
昭和で時間か停止した商店街
ここも昭和すぎる文房具店
昭和な街並み
シャッター街が続く
これぞ昭和レトロな街並み
現役の傘なのか…
町中に灰皿バケツ
良いですねーこの雰囲気
惜しくも営業時間外
どこを見ても昭和のまま
これ以上ない昭和なアパート
ほぼ長屋
得体の知れないディープなお宅
レトロですねー
100円カラオケ
相次ぐ閉店

探訪シリーズでたくさんいろいろな街を訪ねてきましたが、治安が悪い地域は昭和レトロな哀愁あふれる街が多いというのも特徴です。この天下茶屋という街もやはり昭和レトロな哀愁を漂わせる情緒豊かな素敵な街となっています。

商店街を進むと阪堺電車の北天下茶屋駅があります。そこは鉄道写真ファン、いわゆる撮り鉄の間でも有名な撮影スポットとなっているらしく、駅の周辺は昭和レトロな感じがとても強く、その雰囲気と電車を撮影している方がいました。

基本的にこの北天下茶屋駅の通りは、もっとも昭和レトロ感があふれる地域で、天下茶屋商店会という昭和中期にタイムスリップしたかごとくの商店街もありました。探索しながら、今が令和ということを忘れてしまい、とても懐かしい気持ちがこみ上げてきました。

とはいえ、やはり令和ともなれば、このディープスポットを少しだけ離れると、新しい建物もあり、特に投資用賃貸アパートが見られました。あ、因みに、地元の若者は、天下茶屋を「ガチャ」と称するらしいです。

さて、前述した萩之茶屋というもっとヤバめな街にも向かってみたいと思います。

西成区は中々に奥が深い街です。

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