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『 港の見えるヶ丘公園 』

あれが あなたの好きな場所

港が見おろせる 小高い公園…

➖オフコース 秋の気配 ➖


好きな公園はたくさんあるが、横浜の
港の見えるヶ丘公園は別格な気がする。

横浜を見渡し、ベイブリッジが見えて、
時期になれば薔薇が咲き、園内には洋館もあります。

ふと、思い出した事があります。

そう、あれはたぶん22歳の頃…  
美容師を挫折して、フリーターをしていたとき
高校時代の友人Kと一緒によく横浜に行った。
Kはバイクに乗っていたので、いつも二人乗りで
いろんなところに行った。でも一番多かったのは
横浜である。
Kは、僕と同じように中学3年のときに転校をしていて、僕は南麻布から木更津に…
Kは横浜の本牧から木更津の隣りの袖ヶ浦に転校をした。そして、高校で一緒になり友達になった。
たまたま、同じ西武新宿線沿線に住んでいたこともあって、一緒に飯を食ったり、遊びに行ったりもした。前回書いた、ディスコに行ったのも同じKである。

Kは横浜の中区にずっと住んでいたこともあって、
いろんな場所に詳しかった。

それであるとき、夜の港の見える丘公園に行ったのだ。

たぶん、もう12時近くになっていて誰もいない
公園から深夜の夜景を見ながら、ゆっくり園内の歩道橋を歩いていると、目の前に女の子がふたりいた。
真っ暗なので、最初はお互い気づかずにびっくりした。

素通りするのも気まずいような、細い歩道橋なので、「ここ、夜景が綺麗でいいですよね」と声をかけた。
女の子たちも、夜景を見ようと来たのだという。
せっかくなので、少し話をしてみると
相手は二人とも同じ歳だった。

そして、ふたりは地元で、近所に住んでるとのこと。小学生からずっと大学まで一緒だと言っていたので、おそらく近くにある「フェリス女学院」なのだと思った。

僕たちは木更津から上京して、今は都内にいること。Kはもともと、近くの本牧が出身だと言うと
すっかり意気投合して、四人で歩道橋に座り
いろんなことを話した。

サツキちゃん(仮名)は、大人しく、品のいい感じの女の子で、ユカリちゃん(仮名)は、
活発な元気女子という印象だった。

お互いの夢や、好きなものや、港町 横浜の話は
尽きることがなく、すっかり明け方まで話し込んでしまった。
夜明け近くになって、サツキちゃんと、ユカリちゃんを歩いて送った。
どちらも立派なお家に住んでいて、お嬢様なのだなぁ…と、なんとなく思った。

別れ際に、僕たちは電話番号を教えた。
僕とKは一人暮らしだが、ふたりは実家だったので、こちらからは聞かなかったのだ。

僕とKは、帰りのバイクの場所まで歩くなか
楽しかったね!と、盛り上がっていた。
僕はユカリちゃんをすっかり気に入っていて、
それをKに伝えた。もちろんわかってたよ、と
Kが言った。
ユカリちゃんも、僕のことを気に入ってくれてるのがわかっていた。
そしてまたバイクに二人乗りで杉並まで帰った。バイクの後ろで、僕は若干うとうとしていた。

僕はその頃、歌舞伎町のパチンコ屋でアルバイトをしていのだが、早番専門だったので、バイトが終わると急いで家に帰った。
まだ、留守番電話などなくて、直接電話をとるしかなったからだ。

バイトが終わると、ディスコの誘いなども断り
一目散に西武新宿線で帰って、電話の前で
忠犬ハチ公のように、ジーッと電話がなるのを待った。トイレに行くのも我慢して、行くときは
電話線を引っ張り、出来るだけトイレの近くに持って行った。

僕は、ユカリちゃんは僕のことを好きなはずで、
電話は必ずあると信じきっていた。

基本的には、早番なのだが、そんなときにかぎって、遅番の休みのひとのせいで、数日は残業をさせられたりした。
僕は電話のことが気がかりで、時計ばかり見ながら残業をした。

たぶん、夜10時くらいには帰ったのだが、
それでも電話は一向に鳴らなかった。
もしかしたら、あったのかも知れないが、
一週間が経ち、10日が過ぎた頃、やっと諦めることにした…。
ユカリちゃんの番号も聞けば良かったかな…
と、思ったのだがもう遅い。

たぶん、きっと、そんなに自分が思ってたほどは
気に入ってはもらえてなかったのであろう。

そんな、実らぬ恋にすらならなかった思い出話なのです。

あれから、ずいぶんと年月が経ち、ここ数年は
山手エリアの洋館めぐりに行くことが多くなったが、今でも、港の見える丘公園に行くと
そのときのことが、少しだけ思い出されるのだ。

おわり

秋桜の時期の港の見える丘公園、散歩道。
こちらは、イギリス館。
この右上↗️の歩道橋の上で
夜景を見ながら語り合った。
これは昼間だが、夜になると綺麗な夜景が見える。
後ろがイギリス館
ここは、港の見える丘公園のすぐ近くの外人墓地。

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