猪鼻康幸

木更津、bar toricoの店主をしています。 これまでの、自分に起こった出来事な…

猪鼻康幸

木更津、bar toricoの店主をしています。 これまでの、自分に起こった出来事などを つらつらと書いてみようと思います。 誰かに読んでほしい気持ちと、自分自身が忘れないための記録でもあります。 Instagram @yachi_bakushu @bar_torico

最近の記事

『 007 スカイフォール、スペクター 』

007シリーズの中でも、 6代目  ジェームズ・ボンド 役である ダニエル・クレイグ作品が何より好きだ。 ※ カジノ・ロワイヤル ※ 慰めの報酬 ※ スカイフォール ※ スペクター ※ ノー・タイム・トゥー・ダイ こちらの5作品で一応、完結している。 中でも、特に気に入っているのは 『スカイフォール』 『スペクター』 である。 まずは、監督のサム・メンデスの撮り方が素晴らしいのと、衣装はすべて『トム・フォード』がデザイン。 スカイフォールでは、ジェームズ・ボンド

    • 『 千代ヶ崎 砲台跡 』

      僕は灯台が好きだったり、洋館めぐりが好きだったり レトロ喫茶が好きだったりと、いくつか紹介しましたが 実は、要塞跡地も好きなのです 近いところしか行ってないのですが、 横須賀に、猿島、観音崎、千代ヶ崎 と、明治時代の要塞跡地が三ヶ所残っているのです。 今回は千代ヶ崎。 要塞跡地の何がどう好きなのかと、問われると 困るのですが 江戸時代が終わり、明治に入り、軍事力をつけるために試行錯誤して作られた要塞 煉瓦の質も悪く、石の積み方も決してキレイとは 言えないが、そこ

      • 『 魔性の魅力 』

        これは、数年前に撮った曼珠沙華。 好きな花のひとつでもある。 曼珠沙華は撮るのが難しく、一番気に入ってるのがこの写真だ。 よく、曼珠沙華(彼岸花)は墓地の周りに咲いているが、その理由は皆さんおわかりだろうか。 その昔、江戸時代くらいまでは、土葬があたりまえだった。 ひとの血を啜る花である曼珠沙華は 必然的に、墓場に多く咲くようになったのだ。 それに伴い、真っ赤な血の色の、妖艶な姿になったのである。 と、いうのは真っ赤な嘘で、墓地は確かに 昔は土葬だった。 なので

        • 『 ツルモク独身寮 』

          まあ、ほとんど知られていないマンガだとは 思いますが、僕にとっては、深い思い入れがあるのです。 あまりマンガを読まない僕が、数少ない 所有している作品のひとつ。 僕は千葉の県立高校を卒業し、美容専門学校に 入学するため上京した。 それと、ほぼ同じくして、この「ツルモク独身寮」の連載が始まった。 確か、週刊スピリッツだったと思う。 美容学校の同級生の勧めで読みはじめたのだが 惹き込まれるように夢中になって読んだ。 内容について書いてみる。 四国の片田舎の高校を卒業

        『 007 スカイフォール、スペクター 』

          『 最後の夏休み そして、淡い恋 』part 2

          8月も終わりが近づこうとしたある夜 ミユキはふとこう言った。 私たち、もうじき会えなくなっちゃうね… 僕は、そんなこと考えてもみなかったが 確かに8月末には都内に戻り、9月からは また二学期が始まる。 余談だが、ミズエ(仮名)、ミユキ姉妹は同じ 木更津市内のSONYの工場で働いていた。 姉は高校には行かず、そのままSONYに就職、 ミユキは富津市内の高校を卒業してから、同じ SONYで社会人一年目をしていた。 ふたりの家は、経済的に厳しかったらしく 姉は高校には行かなか

          『 最後の夏休み そして、淡い恋 』part 2

          『 最後の夏休み…そして、淡い恋 』part 1

          ※  これは、僕が高校を卒業した年の夏の出来事で、三十数年前の話です。 僕にとっての最後の夏休みは、山野美容専門学校である。  その一ヶ月は木更津で過ごした。 地元に残った同級生はすでにクルマを持っていて 毎晩のように友達と飲みに行くか、ボーリングに行っていた。 カラオケボックスがまだない時代だ。 いつもヒマそうにしてた"ゴッツ"(あだ名)と 富津にある、スターレーンというボーリング場に行っていた。 ある週末、ゴッツとボーリングをしていたら となりのレーン(ポールが出る

          『 最後の夏休み…そして、淡い恋 』part 1

          『 町角のキバナコスモスに気づくひとでいてください 』

          ひとは疲れていたり、余裕がなくなったりすると 自分が歩いた場所に どんな花が咲いてるのかも気づかなくなります。 僕が住む木更津の市街地には、毎年この時期になるとキバナコスモスが咲きます。 (おそらく、市の観光課などが植えてくれたのだと思う) お店のお客さんに、「キバナコスモスが綺麗に咲いてるね。」と話しかけると 「え?そんなの咲いてます?」という答えがかなり多い。 ※お店の周りにも、キバナコスモスがたくさん咲いてます。 そんなときに思うのが 町角のキバナコスモ

          『 町角のキバナコスモスに気づくひとでいてください 』

          『 標的は濱マイク 』

          あまり知られていないのだが、映画、ドラマに なっている ➖私立探偵 濱マイク➖ 今回は、ドラマ版について語ります。 2002年 7月1日〜 9月19日 全12話  日本テレビにて放送。 主人公 濱マイクは、映画と同じ永瀬正敏、 その他、主要キャストには、中島美嘉、市川美和子、村上淳、井川遥、松田美由紀、阿部サダヲ などなど 錚々たるメンバーが揃っています。 このドラマのすごいのは、毎回 一話毎に 監督、脚本が変わり、メインキャスト以外は すべて変わるのです。 そ

          『 標的は濱マイク 』

          『 元気いっぱいのムギ 』

          台風が近づいて、各地が不安定な天気… そんなときは、ムギの動画で癒されてくださいね。 ネコの成長は、ホントあっちゅうまです。

          『 元気いっぱいのムギ 』

          『 696 』川村カオリ part 2

          人気絶頂の川村カオリが、突如引退したのは アイドル扱いや、商業的音楽(要はCDが売れるための音楽)に、嫌気がさしたのだ。 その後、荒れた生活や、悪い素行を重ね 自暴自棄になった。 二度目の業界復帰はしたものの、川村の心はどこか燻っていた。 そんなときに、母の死が訪れる…。  川村は、悲しみに打ちひしがれ、気力をなくすのだった。 しばらくして、見かねた友人が、LIVEでも観に行こうと誘った。 それが「ソバット」であり のちにギターのモノアキと恋におちた。 その頃、川村は

          『 696 』川村カオリ part 2

          『 川村カオリ 』part1

          憧れの人はたくさんいるけど 川村カオリは別格な気がする。 川村カオリが亡くなってから、何年が経つのだろうか…。 最後の最後まで、生きることを諦めずに 最後まで、ロックンロールと、愛娘を愛したひと。 僕より二つ年下の彼女を観たのは、『ZOO』で デビューした1988年。僕が19の頃だ。 女性的な美しさは感じなかったが、妙に惹かれる何かを感じた。 単純に、カッコよかっただけなのかも知れない。 山田邦子の「やまだかつてないテレビ」や CMなどで観ることが多かった。  一

          『 川村カオリ 』part1

          『 尋常小学校 』猪鼻宏   

          尋常小学校とは、明治維新から第二次世界大戦勃発までの時代に存在した、初等教育機関の名称 祖父の名前が、猪鼻健造ということを初めて知った。 職業 自動車業(タクシー・バス会社を経営していたからですね。) 猪鼻宏 昭和8年11月20日生まれ 昭和16年 尋常小学校入学(1年生) 昭和17年 国民学校初等科に変わる(2年生) . . 中略 . . 昭和21年 国民学校初等科卒業 昭和22年 国民学校高等科第一学年修業 と、なっている。 さて、その後、13歳の宏はどうしたの

          『 尋常小学校 』猪鼻宏   

          『 ムギ 少しいっちょまえ 』

          目が開いてきて、自分でいろいろ探検するように なってきました。 一日、一日、成長していく姿が愛おしい。 人間は、特に大人は毎日疲れます。 そんなときは、ムギの成長動画で癒されてくださいね。

          『 ムギ 少しいっちょまえ 』

          『 歩く 』

          この頃は、昼間にできるだけ歩くようにしている。 暑さと、風と、孤独と、自分の無力さを感じるために。 今日は、夏の最後の蝉が、力を振り絞って鳴いていた。 そして、まだ羽化したばかりの蜻蛉が群れで飛びまわっていた。 真っ赤ではなく、少し橙のような、アキアカネは 無邪気に走り回る子供たちのように ハツラツと、イキイキとしていた。 八日目に近づいているだろう蝉たちの声と 産声をあげたばかりの蜻蛉の姿は、 この世の諸行無常のことわりをあらわし 小さな世界の、小さな生命(

          『 歩く 』

          『 ムギの成長記録 』

          生まれて、数日が経った頃だと思う。 モモも、慣れてきたのか、リラックスしてるように見えます。 ネコが、赤ちゃんでいる時期は、 とても短いので、大切な記録です。 僕にもこんな頃があったと思うと、 つくづく感慨深いなぁ…。(人間だったけど) 僕が産まれたとき、母は母乳が出なかったそうで 僕は粉ミルクで育ちました。 そして、何故か妹(尋美)のときは、母乳が出たのだそうで 僕は病弱、妹は健康児として育ちました。 やはり母乳には、免疫や、目に見えない 大切な養分が入ってる

          『 ムギの成長記録 』

          『 ムギ動画 part 2 』

          いくつか、YouTubeに ムギ動画をあげたので、 まとめて観たい方は、『猪鼻康幸』で 検索してみてください。 たぶん、それで観れるはず…

          『 ムギ動画 part 2 』