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思い出が変わる

部活の思い出は、家族よりずっと長く一緒にいた人たちとの、共有できる大切なもの。

もちろんいいことばかりではない。
悲しくなったり、悔しがったり、頭に来たり。
中学を卒業して30年、今ではそれも笑って話せることが嬉しい。
何より、人生であんなに一生懸命がんばったのは、あの中学の部活だったと言えることが、ただ嬉しい。


私が所属していた軟式テニス部は、当時全国大会にも行くような強豪。
土日はもちろんほぼ休みなし。
ナイター設備のない公立中学校では、先生が車のヘッドライトで照らしながら練習したことも。
「向こうのペアは6:30だって。」
「じゃあ、うちらは6:00ね。」
「じゃあ、こっちは5:30から。」
と、朝練のスタート時間はペアで競い合うほど。

でも、私はいつも補欠。
もちろん、一生懸命練習したのは私だけじゃないから。
私が試合に出れるのは、年に数回大勢参加できる大会くらい。
それでも、実は他校には、ちゃんと勝てる。

それは、当時本当に鬼のように怖かった顧問の先生が、ちゃんと全体の底上げが図れる指導をしてくれていたから。
上手くても、遅刻するやつは試合に出さない、と言って、本当に真面目に練習に参加した人を試合に出したことも。

当時はただ怖かったけど、なかなか試合に出れない部員も、モチベーションを下げずに頑張れたのは、先生の指導力だったんだ、と、あとになってから気づいた。


数年前、母校近くの中学校の校長を経て、教員生活を終えた先生。
その中学の保護者として、先生と接点があった先輩が発起人となり、1回生から9回生のテニス部が集まって、お疲れさま会が開かれた。

神様のような存在の先輩たちに会う緊張感。
先輩たちと同じ空間にいると、つい直立して小声で話してしまう同期。
なんなら、練習中の声出しまでしてしまいそう。
そして、当時の至近距離スマッシュなど、恐怖エピソードしか思い出せない私。

私にマイクが回ってきた時、「実はネガティブエピソードしか思い浮かばないんですが。」と前置きしながら、当時よく高校や大学に合同練習をしに行ってたことを先生に聞いてみた。

「練習試合はコートに4人しか入れないから。」

そっか、だから、練習試合ではなくて、合同練習だったのか。
補欠の私たちのためでもあったのか。

他にもいろんな話が聞けて、ただただ怖かった先生が、今さらながらどれだけ一生懸命取り組んでくれたか、考えてくれていたかがわかって、会いに行って良かったと心から思えた。

「こんなに、部活の教え子たちだけで集まってくれるなんて、聞いたことがない。仕事仲間も驚いていた。」と言って、終始ニコニコだった先生。
本当に、かけがえのない経験をさせてもらえたと、清々しい気持ちになった。

今、息子が私の母校に通っているけれど、子どもたちにも「もう、すっっっっっごいがんばった!」と言える、今しかできない経験をして欲しいな、と心から思う。

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