久々にnoteを書く。「執念深さ」の裏にあるものとは。

しばらくnoteを書いていなかった。

理由は、あるオーディションに参加した時、「もしかしてこの人は私のnoteを読んだのかな」と感じるようなやや感じの悪いリアクションや質問をされ(詳細に言いたくないが)(そもそもお前が好き放題noteを書いていたのが問題なんだろっていう話だが)「私のnoteの内容を全て勝手に事実だと断定された」「私のnoteで私の人間性を勝手に推測された」と感じ、トラウマになってしまったからである。

藪内ってそんなに繊細な人だったのかと思われそうだが、別に私はそれほど繊細な人間ではない(と思う)。

ただ、1つのことをやたら引きずり続ける執念深さだけはある。この性質は秋田出身のおばあちゃんに似たらしい。おじいちゃんはそんなそんなおばあちゃんに対し「虐げられたアイヌ民族の血だ」と言っていたらしい。私に虐げられたアイヌ民族の血が流れているのか、そもそもアイヌ民族が実際に執念深かったのかは謎だが、本題に入る。

私は、執念深さって結局、いじきたなさの現れだと思っている。

つまりいじきたないのだ。このnoteの冒頭で、オーディションで1回会っただけの知らない人間に対し「トラウマになりましたーー!!」とわざわざ叫ぶだけのいじきたなさが、私にはある。認める。性被害やパワハラに遭ったならともかく、お前の些細な心の傷など世間はどうでもいいのだ。思慮のない人間なんて世の中5万といる、一々構う必要などないのだ。が、わざわざここに書きたくなるほどに私は自分の些細なトラウマに対して、いじきたなさを持っているのだ。

あとこれに関連してもう1つどうしても納得できないことがある。

それは

失恋の傷は女より男の方が引きずる

という話だ。私だって執念深さのスペシャリストだ。こういうことも男に負けるとは到底思えない、執念深さだけには自信がある。

この手の「実は女より男の方が弱い」という世論に黒マーカーを引いて上から「そんなの嘘だよーーん!!!」と書き殴りたくなるほど、「実は」とかそんなこと知ったこっちゃないという気持ちだ。私はこの手の話に清々している1人である。

なぜ男に美味しい「弱者」ポジションを奪われなきゃいけないのか、非常に納得がいかない。「女性の自立や権利」を訴えている方々には大変申し訳ないが、私には残念ながら「私だって弱いんだよ!!!」と言い張りたいくらいには「弱者ポジションを下手に男に奪われたくない」といういじきたなさがある。

..…一体何の話だろうか。




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